あん
Re: ここに至って非常に痛いのは試合中、相手がシステムの変更をしたり選手交代で流れを変えに来た場合の対応がミシャはできな過ぎることだ。
2024-11-05 10:16
後半はディフェンスラインが引きすぎて、中盤にスペースがかなりありました。最後をやらせなければいいだけなのですが、守りに入る時間があまりにも長すぎです。最後はそらそうなるよねという感じでした。 選手は途中あきらかに混乱していて、「監督にもっと指示してほしい。良く分からない。」となっていましたが、監督は「選手に任せているのだから、試合中に指示はしない。自由に動いてくれ」という感じでした。 選手交代も、それじゃない感がすごいありますし、監督は試合中ほとんど役に立っていないように思います。
孔明
Re: ここに至って非常に痛いのは試合中、相手がシステムの変更をしたり選手交代で流れを変えに来た場合の対応がミシャはできな過ぎることだ。
2024-11-05 16:22
あんさん。 本来、監督はこうなったらこうなるという対策を試合前に何通りも用意しているべきだと思いますし、ミシャほどの経験の長い監督ならいろんな経験があると思います。その中には当然、失敗した戦術も数限りあると思います。その経験をいかせていないのか、わざと生かさないのかわかりませんが、おっしゃるとり、ミシャがいない方が勝ち点が増えるとさえ思っています。
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名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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