2019年11月20日
昨日の日本代表戦の前半は本当に酷いものだった。1対1で負けるわ、パスは通らない。 相手に押し込まれサイドで数的不利になって、サイドを狙われ失点重ねた。 武蔵は先発だったが、なんとかボールをはたいて前に出るもボールは来ないし、見せ場はほとんどなかった。胸でトラップしてダイレクトでシュートを打ったくらいか。 武蔵が悪かったという人も多いが、いつもの武蔵だと思った。それでもポストプレーやスペースに抜けるプレーはよくやっていたと思う。 もう少し積極的にボールに絡むプレーはしたかったが、日本の守備が酷く下がる場面が多くて攻撃になかなか回ることができなかった。 武蔵は前半で交代。 前半2トップにしていたことが疑問だった。浅野とのコンビだったが、どちらかというと武蔵とは同じくスピードタイプ。2人横に並べても連携はほとんどなく、1+1が2ではなく0.5位になっていた。前線に人数をかけるだけ、無駄で中盤の人数が足りなくなっていた。ここは前半で2トップを縦の関係にして、ワントップ2シャドーの形に変えるべきだったと思う。 後半、逆に日本の猛攻で1点はとったが、ベネズエラがもう攻める気がなくしていたので、まったく参考にならないだろう。 また、後半の交代策もよくわからなかった。 永井や山口といった経験のある選手を入れて、1つ交代枠を余すし、「キリンチャレンジカップ」と言っているんだからチャレンジして新入りの選手を試すべきだった。 後半はオナイウをワントップに武蔵と中島のシャドーを見たかった。 いずれにしても森保監督の修正力やしいては能力がないというのがわかった。 進藤は結局使われなかった。3バックならと思ったが、3バックに変えることもなく、終わった。 「進藤だせ」と思ったがあの状態では確かに難しかったかもしれない。 しかし、本当に3年後を見据えて日本代表を鍛え直すなら新しい選手を試すのは必要だし、自分で呼んで試さないでどうすると強く思った。 勝手に叱咤コンサ外伝 孔明ツイッター
プロフィール
名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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