2019年09月11日
昨日のサッカー日本代表はミャンマーに2-0で勝った。 前半に2点取ったときには何点とるだろうと思わせたが、結局2点止まりだった。周りの評価ももっと点をとらないといけないという意見が多かった。引いて守ってくる相手はやはり難しい。 初戦のアウェイで勝ち点3だからまずまずではないか。 ところで武蔵は試合終了約10分前に途中交代で入った。 いきなり動き回ってチャンスをつくっていた。 惜しかったのは右サイドのグラウンダークロスから飛び込んだシーン。 触れば1点だったが、惜しくも触れなかった。 それでもあの中ではスピードは別格だった。 サイドに流れて突破を図ったり、スペースに飛び出したり、武蔵の動きをして 後は点をとるだけと思わせた。もう少し長い時間を与えてくれれば点は取れたかもしれない。 大迫との2トップも面白かった。大迫が下がってボールを捌いてスペースを空けてそこに武蔵が入ってくるようなことをやっていた。 スカパーで鹿島OBの岩政さんとライターの清水英斗さんが試合の振り返りをやっていたが、このオプションはこれまでなかったことでなかなか面白いといっていた。また清水さんは 武蔵は大きなストライドで速くて、ミャンマーの選手も面食らっていたのではないかと解説していた。 武蔵はコンサの選手としてW杯予選初出場。チームの歴史を作ってくれた 次に期待するのはやはりゴールだろう。 昨日の試合で日本代表は1つの可能性を提示したと思う。それは武蔵を使った攻撃だ。 足の速い武蔵が前線で動くことで相手DFを慌てさせ、スペースを生じさせることにより、そのスペースを利用して決定的なシーンを作る。 森保監督は武蔵を使った攻撃をオプションとして考えているのではないか。 次の日本代表の試合は10月のW杯2次予選ホームモンゴル戦 武蔵はまた選ばれるようにリーグ戦に頑張ってほしい。 勝手に叱咤コンサ外伝 孔明ツイッター
プロフィール
名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
最新のエントリー
リンク集
月別アーカイブ
カテゴリー
コメント
検索