2017年12月29日
全国少年サッカー大会決勝戦Uー12は準優勝だった。 C大阪U-12との対戦。 前半は好守の切り替えが早い試合。決定的なシュートもあったが、相手の決定的なシュートも防いだ。前半は一進一退0-0だった。 後半はC大阪に攻め込まれる展開。 セカンドボールが相手に行き、波状攻撃を受けるもしっかり守る。 コンサは準決勝で見せたサイドの上がりがなかなかでない。 左サイドの3番の須磨君がなかなか上がれないのでチャンスがなかなかない。 相手に攻め込まれるシーンが多くなるも、カウンターで勝負 11番の出間君が左サイドを1人で突破してDFの間を突破してゴール。1-0でリードする。そこからコンサの流れがよくなる。攻撃も多くなる。 堅守のチームなので1点を守れると思ったが、 しかし、徐々にC大阪に押されると右サイドを単独で突破されゴールを許す。1-1 この後相手にコーナーを許し そのコーナーから直接のような軌道決まってしまう。1-2 最後ロスタイム、左からの持ち上がりに、ゴール前で出間君がシュート。決まったかと思ったが、無念にもシュートは左に外れてしまった。これが決まっていればというシーン。 そのまま試合終了 1-2で準優勝だった。 コーナーがとれず相手に何本もコーナーを与えすぎたのが敗因か。 しかし、この準優勝は誇っていい。全国のジュニア世代にコンサドーレの名を轟かした。 この年代の選手たちは自信をもったはず。 このなかからU-15、U-18と進み、プロになる選手が出てくれればと思う。 選手の皆さん。スタッフの皆さん。お疲れさまでした。 勝手に叱咤コンサ外伝 孔明ツイッター
プロフィール
名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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