個人と集団の挟間-中田英寿引退に思う

2006年07月05日

 中田英寿が引退しました。代表からは退くのかも知れない、とは思っていましたが、すっぱり辞めてしまうとは予想外です。今日はサッカー選手としての彼ではなく、集団における振る舞い方について書いてみたいと思います。

 今回のワールドカップではチームメートとの意思疎通がしばしば話題となりました。彼は「練習する・プレーする姿から何かを感じ取って欲しい」との思いがあったようです。あれこれ言葉を費やすのは自分の得意とするところではないという思いからでしょう。
 確かに人に言われて気付いたことよりも自分で感じたことの方が強く印象に残ります。好意的に解釈すれば、中田はそうした効果を狙っていたのかも知れません。一方で、「態度で示しても伝わらなければ意味ないじゃないか」という見方もあると思います。「自分はキャプテンではないから自分のプレーに集中するだけだ」と殻に閉じこもってしまっては結局チームに対してプラスにならない、と。中田がそのような選手かという点について異論がある人もいるでしょうが、少なくとも一般論としてはそういうことはあると思います。
 「自分の姿から何かを感じ取って欲しい」という彼の気持ちはよく分かります。が、集団が弛緩したままでは結局自分にとっても利益はないわけで。今大会、中田自身は完全燃焼したのかも知れませんが、チームは不本意な試合しかできず、結果も伴わなかった。

 彼は大会前、「チームの今の雰囲気は問題。フレンドリーすぎる」と言っていました。が、「フレンドリーかつ厳しさに満ちた集団」にしていく方法はなかったのかな、と思います。でも彼は、自分はタイプではないから、と自らを「言えない立場」に置いて、言葉ではなく姿勢で引っ張る道を選んだ。「言葉」と「姿勢」と、両方を上手く使い分ける術はなかったのか…。だからといって中田が異なる態度をとったら代表はもっと行けた、などと言うつもりはありませんが。


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