2024年03月31日
ミシャのコメントでは昨日は高さのあるスタメンを選んだが、大迫に競り負け、セカンドボールを繋がれ失点したと言っていた。 まあ、こうなることは半ば予想していていた。展望でも書いたが守備ではこの試合はいかに大迫と武藤に入ってくるロングボールを跳ね返すか、跳ね返したボールを拾うかの1点だったが、まずは競り負け、セカンドボールも拾えず。 もっとも大八が競り負けたのは多分に個人のスキルの違いだと思う。大八はこれまでJ1の並みいる屈強な外国人に仕事をさせてこなかったが、なぜか大迫にだけは非常に分が悪くいままでもほとんど競り合いには負けていた。 もっとも相手の戦術がこちらを前に出させて、後ろにこちらの守備の人数が少なくなってきた段階でロングボールを蹴って1対1を制するという戦術だったので、セカンドボールを拾う選手もおらず、1対1に負ければ即終了という形になっていた。 過去から大迫は大八に負けたことがほとんどないからそういう戦術にくることは十分にわかっていたはずだ。ここ3年位同じように大迫にはやられてきた。 まずは過去に遡って対大迫で大八がどのような形で守るのがベターか。他のJ1のCBで大迫を抑えてきた選手がどのような守備をして大迫を抑えてきたのかそういう動画を編集してスカウティングが大八にちゃんと指示をしていたのか聞きたい。 もっともそういう動画を見ても実際とは違うだろう。ただ、何もやらないでいつもぶっけ本番なら話にならないし、全てが大八に丸投げではチームとしても危機意識は皆無だとしか言えない。 ただ、さすがにそういうことはある程度はやっていると信じたいが。 昨日の試合では競り合いでは負けるので相手のロングボールを待っているだけでなく大迫よりも前に出て対応していたが、これは一歩間違えると入れ替われ、非常に危険だが、そういう割りきった守備も必要だったと思う。 そもそもフルコートで練習し、誰かにロングボールを蹴らせて大八や桐耶に競らせてそのこぼれ球を拾うなんて守備などやっていないのだろう。練習でもやってないことは本番で出来るわけがない。 また、相手が1対1に仕向けることは当然わかっていたことでその対策として後ろに誰か置くとかそういうことも一切やっていなかった。 ただミシャのインタビューでは対策を準備していたとは言っていたがいったいなにを準備していたのか? 守備の全ては個人任せ。こんなサッカーチームはプロのチームとは言えない。 もっともチーム練習は守備では盛り上がらない。他のチームの練習も守備の練習の割り足は少ないらしい。しかし、現状ではこういう練習を地道にやってこそ、勝ち点は積みあがるのではないか。 今更言ってもしかたないが、神戸戦は前半はロングボールの応酬で良いと思っていた。下手につなぐと相手にカウンターを受ける危険性が非常に高いと思っていた。そのため割り切ってその対策をしてほしかった。ゆえにGKも阿波加でスタートから行ってほしかった。前半はなんとか無失点で乗り切り、後半勝負。後半は神戸は非常に早い段階でスペースが空くチームなので、そこを狙ってチェックや雄也、原など走力やスピードがある選手を投入しカウンター中心の攻撃をする。勝つためにはこれしか手がないと思っていた。もっともんなことをしても勝てたかどうかはわからない。素人の勝手な妄想に過ぎない。 しかし、普段と違う戦いをしなければ選手の能力が乏しく、キャンプで十分な連携の練習もできなかったチームでは勝ち点などは積み重ねられないだろう。 それをいつものようにショートパスにこだわり、わかっていても同じような形で失点を重ねる。本当に頭がおかしいのか?とさえ思う。 もう立て直しは遅いかもしれないほど降格へのカウントダウンに入っている。 今のミシャの頑な選手の配置のこだわり、戦術では明らかにもう完全に無理。これはもう一部の狂信的なミシャ信者を除きいい加減わかっただろう。 三上さんはすぐさまミシャを辞めさせるかミシャに自ら辞めさせるように持って行って、新たにカウンターができる、そして勝負にこだわる守備を指導できる監督を招聘すべきだろう。 そしてそれに見合った屈強な外国人FW、スピードあるFW、そしてサイドをを夏の補強でとるべき。(すでに遅いかもしれないが) そして自らトップを辞めてチームを去るかGMに専念してほしい。このようにいつも良いことしか言わず、本質を隠し続け、危機管理能力に乏しい人間がトップの座に居続けて言い訳がない。 それしか、このチームを残留に導く道はないと思う。 勝手に叱咤コンサ外伝 孔明ツイッター
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名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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