2024年01月06日
昨日のコンサにアシストで小柏がFC東京への移籍の正式リリースが有った後のインタビューをやっていた。 以下要旨 小柏が大学生のころ一番先に話があったのがFC東京だったらしい。その後コンサの練習に参加してミシャのサッカーは難しかったが、自分に足りないところを補えるかと思い、コンサに入団した。その時もかなり悩んだ。 昨年の夏あたりから代理人へFC東京が気になっているという話を聞いていて11月くらいに代理人の方から「この冬とれますか」との話があってシーズン終了から非常に悩んだ。それで決定が送れた。本当は海外に行きたくて待っていたが、来なかった。報道で海外からオファーがあってそれを蹴ったとされているが決してそんなことはない。 自分の(海外から)オファーが来ないと言うのは(怪我が)ネックになっていて、そういうのもあって、やっぱり怪我の部分を変えたいので移籍を決めた。サポーターの皆さんには自分勝手な判断になってしまった。申し訳ない。本当に難しい判断になった。 小柏が海外からオファーがこなかったということがわかった。そしてやはり怪我が多いのでその環境を変えて、怪我を少なくしてできるだけ早く海外に行きたいということだろう。 FC東京の方が怪我のリスクを減らせる要素が大きいと判断したんだろう。ドームのピッチかそれともチーム内の怪我防止のハードとソフトの問題か。 いずれにしてももう小柏は行ってしまったのでどうのこうのは言いたくはないが、もう少しチームでけが予防の体制を強化できなかったかと思う。 来年機械を導入する予定らしいが小柏については間に合わなかったか。 勝手に叱咤コンサ外伝 孔明ツイッター
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名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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