2020年04月21日
今日の日刊スポーツにはチームの練習再開が当初よりも延長されたという話が載っていた。 早ければ21日から分散練習をする予定だったが、緊急事態宣言の全国拡大を受けてオフを26日まで延ばすことを決めてその後も未定だそう。 三上GM「週明け(27日)からどうするか。自主練をOKにするしかないか、どういうやり方をするかを詰めている。ステップを踏んでいかないといけない。」と言っている。 このような状態だけにオフを延ばすことはやむを得ないことだと思う。ただ、選手たちは自宅で自主トレを行っていると思うが、家でやるのも限界がある。 浦和の武藤は、「再開まで何週間と言われたら、すぐできるように、与えられた中で(コンディションを)作るのがプロ」と前置きしたうえで、1か月以上は全体練習ができない状況を想定して「サポーターの皆さんの前で最高のパフォーマンスをみせるために3週間はないと厳しいかな」とも言っている。 先日選手会が6週間必要と言ってたように、一旦このような休みに入ると、選手たちは体を再び作らなければいけない。 その期間が必要で、その期間も含めるとやはり6月再開も難しくなってきそうだ。 練習は分散開催でもいいが、やはり試合形式をやらないと、試合勘は戻らないのではないか。 このようにずっと家で過ごせば体力も落ちてくる。三上GMも言っているとおり一旦休んでしまうと徐々に練習の強度を上げていかないと難しいのだろう。 選手達も練習から離れて、練習をやりたがっているに違ない。(一部を除いて?) 早く練習ができるように願うしかない。 勝手に叱咤コンサ外伝 孔明ツイッター
プロフィール
名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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