2019年12月11日
昨日のE-1選手権の中国戦、日本は前半武蔵がようやく決めた。 左サイドのテンポよいパス回しに、左からクロスが入り、武蔵がゴール前に走り込んでダイレクトに左ネットに突き刺した。これで代表初ゴール。ようやく結果を出した、 この試合は、武蔵は出だしからボールが収まり、うまくボールをはたいていて、これは期待できるかなと見ていた。 案の上、武蔵によいボールが入ってきた。昨日は同じシャドーの森島の調子がよく、前半は 森島を中心にボールが回っていて、よく攻めていた。 しかし、後半になると相手も攻めてきて危ないシーンも何度もあった。 武蔵は後半は調子があまりよくなかった。ミスが多く、後半25分過ぎに交代になった。ただ、やはり日本代表でゴールという結果がでたのは素晴らしかった。 武蔵らしいスピード、決定力を十分に見せてくれた、 次の香港戦はあと2日後、菅と田中俊太がいつ出場するか。 また武蔵が次にいつ出場するか楽しみである。 出場したら是非また点をとってほしい。 勝手に叱咤コンサ外伝 孔明ツイッター
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名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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