2016年12月03日
今年のシステムは3-5-2で堅守速攻を目指した。 守りでは5-3-2になりしっかりブロックを作ってまずは守備を固めた。 主な攻撃はサイドからの攻撃で、サイドを走らせ、CBからのパスや、ボランチからのパスでサイドから攻撃を仕掛けていった。 また攻守の素早い切り替えからカウンターを仕掛けていった。 キャンプで試した4バックはスタートからはやらなかった。負けているときなど攻撃的に行く時に何試合か試合途中でやったくらいだった。 3ボランチはリードしていたとき、中盤を支配されたときにバイタルエリアでカギをかける時に逃げ切りの策として行った。 今年の特徴はセットプレーから多く得点をとったことだろう。 これは上背の高い選手が揃っていたのもあるが、福森の精度の高いキックのおかげといっていいだろう。 シーズン途中まではボランチに深井とイナがいたので中盤でボールを刈ることができたが、イナが怪我、深井も怪我でいなくなってからは中盤でボールを拾うことができなくなり、苦戦した。後半失速したのは深井の離脱が大きかった。 ボランチが不安定だったのでなかなかマイボールにできなかった。 1-0で勝ち続けたのはやはり守備がよかったから。 しかし、後半はあまりよい試合ができなかったのも、中盤でなかなかボールを持てなかったからが大きい。 最後は失速したがアウェイの千葉戦でなんとか勝ってホームで優勝を決めた。 J1ではいくら守りに頑張っても失点ゼロで終われる試合はなかなかないだろう。 やはり攻撃に力をいれないと。攻撃は最大の防御ということをもう一度しっかりと認識したい。 勝手に叱咤コンサ外伝 孔明ツイッター
プロフィール
名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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