2016年11月26日
今年はJ1昇格、J2昇格を達成した。独走状態で早く決まるかと思ったが最後はなんとか逃げ切った。今日から複数回に分けて勝手に今年を振り返って見たいと思う。 今日は3回目補強編 補強はブラジル人3人と、CBに増川、シーズン途中にレンタルで菊地の計5人だった。 案外少ない人数だったが、いずれもあたった。 ブラジル人3人は実際に三上さんが見た選手達。 3人とも結果は残したし、なにより明るくチームにとけ込むのが早かった。 意外だったのはジュリーニョ。 前評判はあまりよくなかったが、足元の技術が素晴らしく一番活躍した。 伸二もキャンプで今年の外国人は当たりと早くも言っていたくらい。 また、ブルーノクアドロスコーチが厳しくそして和やかにブラジル人選手をまとめてくれた。 増川も堅固なDF陣のまん中を任せられ、堅守の中心になって働いた。 菊地は進藤がケガで離脱した後にちょうどDFに入り。アウェイのC大阪戦から出場してビルドアップの巧さや対人の強さでDF陣をリードした。 今年の躍進はなによりこの補強によりレベルアップしたことが大きかっただろう。 こんなに補強であたった年はなかったのではないか。 人数は少なかったが、今年の補強は当たったといえるだろう。 勝手に叱咤コンサ外伝 孔明ツイッター
プロフィール
名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
最新のエントリー
リンク集
月別アーカイブ
カテゴリー
コメント
検索