2013年09月20日
肌寒いドームサブグラ、時折風が吹いて寒かった。 練習はミーティングで30分遅れて始まった。パウロンは全体練習に参加していた。紅白戦も参加してフルメニューをこなしていたので復活したと言っていだろう。また、ホスンは戦術練習の外、紅白戦にも出ていた。 なぜかボールとたわむれる前俊北海道教育大学岩見沢校のユース出身上原君ランニングしながらストレッチキーパー練習アジリティ青ビブス、黄色ビブスに分かれ鳥かご ビブスの番号を同じにして(青2番と4番、黄色5番と6番) 同じ番号の選手がミスをしたらその番号全員が交代するといったゲームロングボールの練習守備3人。攻撃側はサイドから楔を入れて、サイドに再び振ってクロスを入れて攻撃する練習 ホスンもキーパーとしてメンバーに入っていた。紅白戦 メンバーはいよいよあの選手が初先発か。 GKも期待していいと思う。左から中へパスが繋がり神田のゴールが決まった。 細かく止めてセットプレーの練習 ホスンもキーパーとして紅白戦に参加 'ゴール前で前俊から出たパスを岡本へ 岡本からのパスを宮澤がゴールと言ったきれいな連携が見れた。' サブ組のFKからヘッドが決まる。 主力組はしっかり対応しないと前俊のコーナーからフェホのヘッドがゴール。最後はシュート練習 今日のドームサブグラNO.2はこちらから
プロフィール
名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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