2010年04月25日
あれだけシュートを打ってもゴールはたった1本 シュートの精度が悪いせいもあるのだが、やはり負けは負けだ。 失点シーンもいつものようなセットプレーでの対応の脆さから。 1失点目は飛び込む選手につききれず、せっかく高原がスーパーセーブしたのにそのこぼれ球を決められてしまった。 2失点目もマークが甘いところをつかれたもの。セットプレーしか得点のチャンスがなかった相手の術中にすっかりはまってしまっては勝てるわけもない。 攻撃のまずさも目立った。 クロスを上げてもずれていたり、ゴール前に人数をかけていなくて点で合わせることができなかったり。 特にワントップだからと言って言い訳はならないだろうが、せっかくクロスを上げてもゴール前に人数をかけなくては決まるシュートも決まらないだろう。 後半、上里が懸命に前線に上がり、藤山のパスを引き出したシーンがあったが、あのような2列目、3列目の飛び出しをもっとしなくてはゴールを奪えないだろう。そして意外性のある動きをしなくては。引いて守る相手には一工夫も二工夫も必要だ。また、キリノを入れるタイミングも悪かった。相手が完全に引いて守る前に、同点の場面で入れてほしかった。そしてそこまで入れるタイミングが遅れたらなキリノではなく中山だろう。中山の方がスペースのないなかでの駆け引きもうまく、勝負強いはず。選択肢を間違ってしまったのが悔やまれる。 もっとも問題の根は深いところにもある。依然としてポゼッションしての得点がとれないこと。2週間のインターバルでポゼッションしてからの得点のパターンを練習してきたはずなのに得点は速攻からの上里の個人技での得点。まったく課題はクリアされていない。 監督や選手達はせっかく集まったホームの1万強の観客に勝利を見せられなかった責任を大いに感じるべきだ。 ※ 試合の感想は勝手に叱咤コンサ外伝にもありますのでよろしければ御覧ください。
プロフィール
名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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