HFC発足時の問題点。 -その1-

2011年04月01日

お陰様で、前回の記事に色々と反響を頂いたので、
それにも対応しようと書いていたら、えらく長くなってしまいました(-"-;A ...

ということで、以後、何度かに分けて書こうと思います。
(↑いつ終わるか不明です。途中で止めるかも(笑))





まず、今のHFCの経営問題を考える上で、問題の原因が、
コンサドーレ札幌、発足時にさかのぼってあったことは確かでしょう。

おそらく当時の状況について詳しい方もいるでしょうけれど、
出来てから15年経ち、知らない方もいるようなので大まかに説明すると・・・
(※以下wikipediaより)

>前身の東芝堀川町サッカー部は1935年に神奈川県川崎市で結成され、日本サッカーリーグの中-後期は1部リーグで活躍する強豪実業団チームだった。しかし川崎市は当時ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)の本拠地だったことから、川崎市でJリーグ昇格を目指そうとしてもまず人気・実力でのハンディキャップを背負ってしまう。札幌市の財界人が中心となって「札幌SJクラブ」が発足、札幌ドームを将来的な本拠地とすることを目指したプロサッカーチーム誘致活動を実施中だったこともあり、1996年のシーズン開幕時に設立された運営会社「株式会社北海道フットボールクラブ(HFC)」が東芝サッカー部を受け入れて、札幌市を本拠地とする「コンサドーレ札幌」が発足した。


しかし、当時、道外からチームを持ってくるのではなく、
すでに道内にあるサッカーチームを母体に北海道からJリーグ昇格を
目指そうという勢力もあり、その間でしっかり根回しされなかった。

その結果、道外から東芝を招致して昇格を急いだコンサドーレは、
Jリーグに発足3年目の98年に昇格します。
しかし、昇格を優先するあまり、決して一つ一つの規模が大きいとはいえない道内企業が、
一致団結できない状況を作ってしまったともいえます。
(※双方に、様々な言い分があるでしょうから、出来るだけ中立的に書こうと思います(苦笑)。)

おそらく、一部で悪玉とされる方の思惑としては、新幹線のような大型公共事業同様、
とにかく作ってしまえば後は何とかなるという発想があったのではないかと推察します。


そこで、東芝誘致に積極的だった某メーカーがチームを大きく支えることになります。
さらに悪いことに、東芝とのつながりも数年で切れてしまいます。
(※その状況が今も大きく変わらず、東芝招致当時を未だに引きずっているともいえます。)






この状況も、時間が解決すれば良かったのかもしれませんが、
そこに2002年の日韓W杯で札幌ドームが出来たことで、
ファイターズが北海道にやってきて、さらに難しくなります。

東京でセリーグの人気チームの中で長年苦労していた球団は、
必死で北海道に定着しようとし、
その結果、短期間で確固たる地位を築きあげることになります。

そして、始めは、ファイターズ微妙なんて言ってた道民も、
今や流れはすっかり変わって、雪崩をうってそっちに資金が流れている。

最早ファイターズがど~んと北海道に存在する中で、かつてすったもんだあった
道内の財界の支持をどう取り付けるのかという難しい状況になっている。

だから、自業自得なのかもしれませんが、
もうそこが支えるしか仕方がない構造になっているともいえます。






でも、だからといって、そんな昔話をはじめて、
この状況は仕方がないのだといっても本当に仕方がない(笑)


発足から15年経って、HFCが主体となって、
当時のわだかまりを少しでも解消できればいいんでしょうけどね。

ただ、北海道のサッカーの将来を考えるのなら、
当時の関係者の皆さんには、どうにかするなり、
解決への道筋をつけて欲しいとは思いますけれどね(-"-;A ...




この記事に対するコメント一覧

M・Y

Re:HFC発足時の問題点。 -その1-

2011-04-01 15:59

 まさに指摘の通りなのですが、この問題はもう少し、政治的に深く考察した方が良いかもしれません。  保革対立の55年型政治体制が色濃く残る北海道では、コンサの経営問題は「政治の色」を引きずっています。それは、Jリーグ昇格を決めながら、経営危機に陥り、道や札幌市から補助金を得た時点から、避けて通れないものになってしまいました。  当時の道知事は堀達也という人で、社会党出身の横路知事の後継という位置づけでしたが、道庁の役人出身の堀氏は、がちがちの社会党というわけではなく、経済人からも広く支持を得ていました(2期目は相乗りでしたね)。説明が長くなるので、簡単に書きますが、当時の堀氏を支援していた若手経済人がまさに東芝誘致派の人だったのです。  一方、道内保守派を代表する経済界のトップは北電の戸田会長でした。戸田氏は当然に自民党候補の支援に回っていましたから、先の若手経済人と意思の疎通が図れる立場にありませんでした。大げさに書けば、「俺の目の黒いうちは許さない」という構図と言ってもよいかもしれません。道内の政治構図から読み解くと、現在まで、コンサが道内経済界から幅広い支持を得られない最大の理由と見ることができると思います。  現に、道がコンサへの財政支援を決めた際にも、地方選出の自民系道議を中心に異論が続出。「社会人野球への支援をしないで、なぜプロサッカーは支援するのか」「道知事よりも給与の高い選手がいるチームに財政支援は不要」などの声が出たことを記憶している人もいることでしょう…。コンサへの財政支援の是非を論議することを契機に、コンサは本来スポーツが持つ、さわやかさや健全性とは別次元の「政治銘柄」になってしまったのです。  思い出して欲しいのは、当時のコンサの財政危機の時に、缶バッジを購入しての支援というのがありましたが、政治家関係では、これはよく民主党系の議員のパーティーで販売されていました。現在、選挙中なので、これ以上は書きませんが、いまでも、この構図は少なからず、尾を引いていると思います。  そして、先の若手経済人だけのチーム運営では、道内から幅広い支持を得るのが難しいとの判断から、歴代のHFCの社長は若手経済人から、札幌市OBへと移り、さらに道新OB、道新現役と移っていくわけですが、これは、ある意味、場の空気がそうさせているのであって、特定の個人を選んだというよりは、ある組織に属しているおよその人を選んだだけと見るべきで、それが、極論すれば、サポーターから見ると、無責任体制と見えることにつながっているのでしょう。  道新から社長が出れば、何となく、道内の一体感が醸し出される程度のことで社長は選ばれているのではないでしょうか? そして、それは誰がどういう手続きで決めたのでしょうか。しかも、道新は社長を出しながら、投資という形で社長を具体的に支援している風はないわけで、最大出資者との、そのねじれは、サポーターから見れば、不可解と言えるものでしょう。  そして、道新から社長が出るようになってからは、先の自民系道議の主張が道の予算が審議されるころになると必ず、読売新聞道内版で展開されることになりました(今年は選挙の年だったせいか、見ていないが…)。読売から見れば、ライバルである道新出身者の失敗は「最高の話題」でしょうから、「いつまでも赤字の組織にこれ以上の税金投入は不要」との声が道議会から沸き起こっているとの記事を書きたくなるのも必然と言えるかもしれません。  というわけで、わたしは前から思っているのですが、経営責任の追及と経営陣への問いかけは、当然に行っていく必要はあるのでしょうが、すでに、このブログへのコメントにもあったように、もう議論は出尽くした感があり、これからは、真にコンサにふさわしい、運営会社はどういう形、形式、形態であるべきなのかを、サポーター側から提起する必要があると思います。でないと、いつまでも、この状態、状況が変わるとは思えないからです。それが経済の実態、いや、株式会社の運営方法から言って、おかしな主張だと分かっていますが…。  長文、大変失礼しました。

whiteowl

Re:HFC発足時の問題点。 -その1-のお返事。

2011-04-01 16:47

貴重なご意見ありがとうございます。 色々とわからなかったことが一気に氷解しました。 さ~て、これから、どうしましょうかね(笑)。

AMZ

Re:HFC発足時の問題点。 -その1-

2011-04-03 03:18

政治的な話といえば、当時31万人の署名を集めていたことも関係あると思います。 http://www.consadole-sapporo.jp/club/history.html 単純計算で札幌市全市民の6分の1の署名を集めた計算になります。 札幌市としてはこの事実を無碍にできないのではないかと考えています。そういう経緯があって公とのぬるま湯的な関係が続いてしまったことが推測できます。

Information

Re:HFC発足時の問題点。 -その1-

2019-09-29 16:27

署名を集

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