2006年03月17日
卒業式のシーズンです。もう一つの“卒業式”がありました。
コンサドーレ・ユースの卒団式です。12日にU-12が父母の主催で、
16日はU-15とU-18がHFC主催で。笑いと涙が交錯した貴重な夜でした。
U-15は16人、U-18は10人が中3、高3を終えての卒団です。
式では、過ごした3年間の思い出のシーンを編集した映像が写され、
感激のゴールでは拍手が、こっけいな、しぐさに笑いが沸きました。
そのあとは、選手一人ひとりのスピーチです(写真)。
「怒られることが多かった毎日だったが、なぜか楽しかった」
「髪が長い。切れ、といわれたが、結局切らなかった。コーチありがとう」
「学校でのサッカーは辛かったが、コンサ・ユースの生活は心地よかった」
「ほとんど試合に出られなかったが、みんなとの練習は楽しかった」
「人間として成長できた」
「どつかれたり、蹴られたりしたが、今は感謝の気持ちでいっぱいです」
だれもが、言葉を詰まらせ、手のひら、指先で涙をぬぐいながらのスピーチです。中には、言いたいことが次から次からへと湧き出て、止まらない場面も。
明日からの未来に向けて、こうも語っていました。
「あきらめなければなんでも出来ることを学んだ」
「ユース生活が終わるのは残念だが、素晴らしい友達がこれからもいる」
「別々の道を行くことになるが、それぞれの場所でトップになろう」
そして、だれもが、練習への送り迎えなどあらゆる面で支えてくれた父母に対してありがとうの言葉を、はっきりと言い、監督、コーチへも感謝の言葉を述べていました。
同席した父母はうなずきながら、目にハンカチを。先輩を送り出す後輩の中には、笑いをとるパーフォーマンスのあと、急に泣き出して、両手を突いて感謝の気持ちを表す一年生もいました。
U-18の10人はそれぞれの道を歩みだします。トップチームへ、大学へ、専門学校へ。またサッカーから全く離れる選手もいます。
プレーヤーではなく指導者、トレーナーを目指す子もいます。
コンサドーレにとってユースは宝です。どこへ行っても輝いていてほしい。そう思った夜でした。
プロフィール
北の大地に憧れて、1959年、横浜からやってきました。特急はつかり、SLもまだ残っていたころです。北海道新聞で42年間、記者生活をおくりました。そのあとはシニア向けの新聞を作ったり、福祉、介護のボランティアNPOにかかわったりしていました。 道新スポーツの経営をしていたこと、コンサドーレサポーターズ持ち株会副理事長をしていたことなどから、05年3月、現職に。山登り、オートバイ、野菜つくりなどが大好きです。
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