2009年12月31日
既に他の方のブログでも書かれているところですが、CVS仲間が亡くなったとの連絡が昨日の昼に入りました。1日経ったいまでも信じられません。 12日に行なわれたCVS交流会での10年表彰で、はじめて自分と同期だったんだ、と知ったぐらい周りから頼りにされる人であり、もっと長くCVSを続けてこられた方だと思っていました。新時代の幕開けを予感させるこの時に逝かなければならなかったご本人の無念さはいかばかりかと思います。 自分にできることは、ご冥福をお祈りすること、CVSに傾注した彼の情熱の一片でも引き継いでいくこと、を自らに言い聞かせながら年を越したいと思います。
2009年12月14日
昨日は一日散歩きっぷを使って室蘭へ帰る、と書きましたが、本当の目的は秘境駅No.1として有名な「小幌駅」へ出かけることでした。 自動車を所有していなかった頃は実家の函館へ帰るときにJR(国鉄)を利用していたので、トンネルとトンネルの間に駅が存在していること自体は知っていました。しかしながら停車する列車も少ないですし、用事もないのでわざわざ出かける気にはなりませんでした。 ところが昨日は夕方に豊浦へ出かける用事もあり、ふと気づいて時刻表を調べてみたところ、札幌発8時55分のエアポートに乗れれば、一度家に戻って荷物を置いてからでも小幌へ行って豊浦へ戻ってくることが可能でした。これならCVS交流会で飲み過ぎても何とかなる、ということで実行することとなりました。 小幌へは東室蘭13時45分発の長万部行きに乗車しました。1両編成のディ-ゼルカーは旅情をかき立ててくれます。豊浦からの帰りに車を運転しなければならなかったためビールを飲めなかったのがちょっと残念でしたが、学生が多く乗り合わせていたのでそれで良かったのかも。 豊浦までにほとんどの乗客は降りてしまい、手前の礼文を出発したときには4名となっていました。 長いトンネルを走行するなか小幌が近づいてきたというアナウンスが流れ、無事小幌に到着、下車したのは当然のことながら自分だけした。秘境駅とは言っても下車する物好きは結構いるようで乗務員さんも普段通りの対応でした。 ホームに自分だけが残り、乗ってきた列車はトンネルの中へ消えていきました。帰りの列車は23分後に到着するので今回は洞窟移籍や岩屋観音の見学はできませんでした。崖下に広がる海岸を眺めにいったりホームに括り付けてある時刻表を撮影したりと慌ただしい時間が過ぎていきます。そのうち警報機が鳴り始めて列車の接近を告げだしました。函館方面からは貨物列車が、室蘭方面からは北斗が相次いで通過していきました。トンネルの中にあった速度標識は115というのを見ていましたから少し離れて撮影したつもりだったのですが、それでも迫力がありました。
やがて帰りの列車がやってきて短時間の秘境探検は終わりました。今度訪れる時には釣り竿持参でじっくり楽しんでみようかな。
2009年12月13日
まだアルコールは残っていますが爽やかな朝を迎えました。 サンタ業務もちゃんと終えたし、一日散歩きっぷでのんびり帰ることにします。 昨年の交流会から選手がテーブルを回るようになったと記憶していますが、その影響か食べ物が残るようになりました。選手との交流>食欲 なんですね(笑)。シーズンが終わって体調を崩した選手もいるようで吉弘と岩沼が参加予定だったと3次会で聞きました。短いオフシーズンですし早く体調を戻して疲れを癒しリフレッシュして欲しいものです。征也の姿を見たとき「あれっ」と思ったのは中標津へ行く予定でしたもんね。 選手のスーツ姿をはじめて見ましたが格好いいですね。大伍のあの靴はないと思ったけど(苦笑)。 今年もフェアプレイフラッグが当たらなかったことを除けば和やかに交流会は終わりました。これでコンサドーレ関連の行事は終わりかと思っていましたが、年内に会議がありそう、とのことでした。まだまだ今シーズンは終わらないようです。
2009年12月12日
CVS交流会が終了しました。 早いものでもう10年が経過したんですね。大したことも出来ていないんですが、表彰していただきありがとうございました。来年も担務数は少ないでしょうが、少しでも戦力になれるよう頑張ります。 石崎監督と藤田、西、堀田、曳地の4選手が交流会に参加してくれました。CVS担当のOさんも今年は大丈夫でした(苦笑)。 交流会の内容は後の機会に報告するとして、まずは熱いシャワーを浴びてから2次会へ向かうこととします。
2009年12月03日
ピッチ上で最後の姿がちょっとでも見られれば、と思ってはいましたが、まさかあんな劇的なことになるとは。OSC仲間の涙腺が次々と決壊していったので自分は冷静でいたつもりでしたが、ゴール(PK)の後にレプリカユニをブン回しながら軽い興奮状態だったことは確かです。あんな結末あり得ないもの。決して順風満帆なサッカー人生とは言えなかった曽田さんにサッカーの神様が最後にデカイ贈り物をくれたのでしょう。挨拶の言葉も紋切り型ではなく、曽田らしいなぁと思いながら聞いていました。 引退セレモニーに隠れた感じにはなりましたが、ユースチームも勢揃いして、コンサドーレというクラブがこういう規模で運営されているというのが目に見える形となったのは非常によかったと思います。ただあれだけの人数がいながらトップチームに進める選手は片手ぐらいという厳しさも忘れてはいけないと思います。ユースを経験してその後サッカーに携わっていくことも立派な育成だとは思いますが、本人にしてみれば夢が叶わなかったということでしょうし、遠くから見守るしかないということですね。 駐車券が取れなかったこともあって土曜日から札幌にいたにも関わらず契約満了選手が発表されていたことを知りませんでした。ノートパソコンを持ってくれば良かったのですが荷物になるのでやめたのが失敗でした。 サンクスウォークでゴール裏に選手がやってきて、曽田の胴上げを行なったあと、胴上げされる何人かの選手たちをみて胴上げされている選手は契約満了なんだとはじめて気づきました。と同時に1階の柱に貼付けられていた選手のペナントと挨拶文に向かって携帯やカメラで写している人が大勢いたことの意味も理解できました。発表時期について、いろいろ意見はあるでしょうが、自分は今回のようにホーム最終戦前に行なった方が良いと感じました。別れが辛いことには変わりはないし、せめてそれらの選手に思いを伝える機会は設けられて当然だろうと思います。これまでチームのために頑張ってくれたんだから。 ホーム最終戦の余韻に浸りながらビッグフラッグを片付け、外に出ようとしたら北2ゲートがすごく混んでいました。どうも出口に選手が見送りに来ているようで空いていた北3ゲートから出ることにしました。そこにも選手がいるとは思ってもみなかったので少し驚きました。選手との触れ合いにはあまり興味はなく入場時のお出迎えもスルーしているのですが、柴田が目を真っ赤にしながら立っているのを目にしたらスルーして帰るわけには行かないなと。左側にいた岡本や曳地はパスして、まっすぐ柴田のところへ行って手を握ったのはいいんだけど掛ける言葉も見つからなくって自分でも何言ってるんだか分かんなくて。でも柴田はじっとこっちの顔をしっかり見つめて聞いてくれていた。あの日はじめて泣きそうになりました。隣にいた上原にも声をかけ、その奥には大伍がいたけどやっぱりスルーして(ユース出身選手と握手したりするのってなんとなく照れくさいんですよ)最後に箕輪と握手しながら来年への想いを託して帰路につきました。彼もまたしっかりと目をみつめて話を聞いてくれていました。こういう姿勢の選手に接すると、選手との触れ合いも悪くないな、と思います。 ここ何年かの冬のCVS交流会に来てくれた選手のなかで3人(元気、謙伍、柴田)も契約満了となってしまったのが辛いところですが、選手生活を続けたいという意思がある限り道は開けると思います。対戦相手となったときには応援できませんが(恩返しもいらないよ)活躍を願ってやみません。 時間が経つにつれて虚脱感を感じています。ヴェルディ戦へ出かける予定もないですし、OSCの忘年会やCVS交流会に参加しつつ緩やかに2009シーズンから2010シーズンへ気持ちを切り替えていくことになるのでしょうね。 劇的な結末を演出した形となった審判さんですが、あのプレイ自体はPKを貰いにいったわけでもないしあの場の雰囲気がそうさせたとしか言いようがありません。審判とは敵対するのではなく、上手に乗せていいジャッジングを引き出していくべきだと思います。それにしても聳城さんはいいジャッジングしていましたねぇ。こういう人が成長して早く笛を吹けるようになって欲しいなと思います。