2009年09月29日
そういえば、前回、湘南戦のレビューをすると言いながら、その実、高原物語に終始して、試合のことにはまったく触れていなかった、ということに今気がついた。 前節というか、無失点で終わったこの3連戦。次のように言えると思う。すなわち、 三浦サッカーの復活 守備的と言われる三浦さんのサッカーは、印象ほど守備的でもなく、結構攻撃的だった。中盤をコンパクトにし、前からプレスをかけてボールを奪い、素早くゴールに運ぶというコンセプトは、石崎さんと変わらない。 ではどこが違うかというと、ボールの奪い方のように思う。石崎さんは、相手のボール保持者に対して直線的にプレッシャーをかけ、相手が慌ててボールを失うことを期待する。そのために、ボールを持った相手に一目さんで駆け寄る激しい運動量が必要だ。 これがために、前半でガソリンを使い切り、後半にガス欠することが見られた。そして、疲労が積み重なってくると前半から体が重い状態になった。それが、第1クールの勝ち切れなさの原因であり、第2クールの低迷を招いた原因。ちなみみハードプレスを信条とする水戸や湘南の今の不振も基本的には同じことだと思う。 それで札幌の選手は考えた。第2クールの終わり頃から、前半は抑え気味に、プレスをゆるめるようになってきたように見える。体力温存を意識するあまり、前半から飛ばしてきた相手に後手後手になり、ペースをつかめないまま破れたのが、前のセレッソ戦、甲府戦だったのではないか。 一方、三浦さんのサッカーは、全体をコンパクトにし、カオスの状態を作り出し、混戦の中で相手のボールをかっさらって、まずダビにぶつける、それが無理ならサイドに出す、というサッカーだった。そんな三浦サッカーの申し子は昨年までのキャプテン芳賀だ。 ダニルソンが前々節に負傷退場をすると、穴を埋めたのが芳賀。当初、ダニルソンがつとめていたワンボランチを一人でこなせるのかという不安の声があったが、期待以上に役割をはたした。ワンボランチと言うけれど、三浦さんの時代、クライトンとダブルボランチを組んでいた芳賀は守備専門。攻撃をクライトンに任せた事実上のワンボランチだった。 この3試合、身体能力に優れたダニルソンがいなくなったので、心配になったチームは、より全体をよりコンパクトにし、芳賀の守備範囲を狭めた。そして、このDFラインを統率したのが、これまた三浦さんを良く知る吉弘だった。さらにチーム全体も体力の消耗を嫌って、石崎サッカー流の鬼プレスを控えめにした。 ほら、こうすると、あの三浦さん時代と一緒でしょ。 4-4-2の三浦サッカーに対して、4-1-4-1の石崎サッカーと言うけど、三浦サッカーのツートップはダビと中山。これはキリノと宮澤の関係と変わらない。まして先発・控えを含め三浦サッカーを全く知らない選手は、石川と二人のブラジル人だけ。すなわちこの3試合。三浦サッカーのキャプテンだった芳賀を中心にして、システム的にもコンセプト的にも、三浦サッカーをやっていたのだ。 そして、その結果は、1-0,1-0,2-0という実に三浦サッカーらしいスコア、というわけだ・・・違うかな?
2009年09月27日
高原寿康というキーパーは、愛知学院大学の時代に大学ナンバーワンキーパーとうたわれ、全盛期のジュビロ磐田に正ゴールキーパー候補として入団した。しかしルーキーイヤーの2003年8月左足首を複雑骨折し、シーズンを棒に振ってしまう。これが高原の最初の挫折だった。 怪我から復帰した翌シーズンにはまったく出番はなく、2005年に解散的な出直しを図ったJ2札幌にレンタル移籍。開幕から10試合にゴールキーパーとして試合に出たものの、11試合目、山形に0-3で敗れたのを契機に正ゴールキーパーを林卓人に奪われてしまった。これが高原二度目の挫折だ。 翌年も4試合しか出番がなく、レンタル期間が終わると札幌は「要りません」と答え、親元の磐田は高原の契約を解除してしまった。いく場を失った高原に、声をかけるクラブはなかった。所属クラブを失った高原は、練習生として札幌に留まる。クラブから放り出され、プロの資格を失うという屈辱を受けながらも選んだ練習生という立場。どんなに屈辱的だったことだろう。これが高原三度目の挫折だ。 しかし、人間どこで運が向いてくるかわからない。練習生として始まった2007年。ヴェガルタ仙台の正ゴールキーパー・シュナイダー潤之介の負傷により、林卓人が仙台に貸し出されると、札幌はゴールキーパー不足になり、高原は札幌と再び契約。晴れてプロのキーパーに戻った。 それでも高原は第3キーパーの位置づけだった。久しぶりにJ1の舞台に戻った高原に、試合出場の機会はなかった。それでも高原は腐ることなく、コツコツと練習を積み重ねていたのだろう。今年、開幕は第3キーパー。その後、佐藤が不調に陥ると第2キーパーに昇格。そして正ゴールキーパーへ。 そして今日。この試合のMVPは高原であることに、誰も異論はないだろう。 厚別での湘南戦ーーー。高原には特別の思いがあっただろう。2006年7月29日。J2第31節湘南戦。林の腰痛再発で1年ぶりに先発した高原は、この試合で5点も失ってしまう。湘南のシュートに対して一歩も動けず立ち尽くしてしまった高原。これで監督の信頼を失い、再びキーパーの座が巡ってくることはなかった。そして屈辱的な契約解除=練習生。 昨日、昇格は悔しさの総量、というコラムを書いた。本来であれば、昇格争いの最前線にいる湘南と、まだ可能性を残すとはいえ、アウトサイダーの札幌とは自ずからモチベーションが違ったはず。それでも、今日は札幌が気持ちでも運動量でも湘南を上回った。 J1を目指す湘南の悔しさの総量よりも、3度の挫折を乗り越えてきた、そして湘南戦に特別な思いがあるであろう高原の“悔しさの総量”が上回ったのだ。 札幌の昇格はミラクルだろう。ミラクルというのは現実には存在しないことを意味する。しかし、今日の高原は、一度はプロサッカー選手としての命を絶たれた者がこの試合に正ゴールキーパーとして立っていることを含めて、まさに“ミラクル”だった。ミラクルも、強い気持ちを持ち続けると現実になる。我らの正ゴールキーパーは、そう教えてくれる。
2009年09月26日
今日は思いっきり感情論だ。 とどのつまり昇格は、クラブの“悔しさの総量”によって決まるのだと思う。J2に落ちて悔しい。何年も昇格できずに悔しい。こんなところにいることが悔しい。こうした悔しさの総量が、もっとも多いクラブが昇格する。 長年J1に定着し、現在も実力のあるクラブは、J1の舞台にいない自分たちが悔しい。昇格を期待されながら、涙を呑み続けたクラブは、悔しさがたまりにたまっている。 これは今期の上位チームにそれぞれ当てはまる。そして札幌は、セレッソ戦の初戦を除き、それぞれに“悔しさ”をため込んだ上位チームに勝てていない。 こうしたチームと戦うとき、若い札幌は、この前の甲府戦が顕著だったが、一対一で、相手のボールやポジションを譲るような場面が見られた。たった一つのボールを巡って、相手に睨まれると、思わず視線を落としてしまう。こうなる決して勝てない。 クラブとしての歴史に加え、選手一人一人の“悔しさ”の量にも違いがあるだろう。J1から解雇され、見返してやりたい思い。再びあの檜舞台に立ちたい想い。それらは、やはり長くプレイしていた年長者の方にこそ高いだろう。 札幌は一昨年に「悔しさ」をはき出し、今年は若手が中心となったことで、“悔しさ”の総量が落ちてしまったのではないか。しかも、昨年までJ1にいた。ほとんど勝つことができず最下位だった。そのことが、J2にいたくないというモチベーションを下げているのでは、ないかと想うこともある。 明日の対戦相手。湘南は94年には天皇杯を獲得した日本サッカー界の名門。その名門が、99年に降格し現在まで10年にわたってJ2にとどまっている。この間にためこんだ“悔しさの総量”は膨大なものだろう。 前節、湘南のスタメンの平均年齢は24.5才。対して札幌は21,7才。ちょうど大学生と社会人ぐらいの差がある。個人がため込んだ悔しさの量でも相手が上回るのだろう。 しかし、それでも札幌は明日、勝たなければならない。負けることは許されない。 理由は、もう述べるまでもないだろう。
2009年09月23日
51もある試合の中の一つの試合。 悪いがそんな感想以上の印象はない。強いて言えば「勝った」ことだが、同じ1-0であっても、前節の福岡戦のような緊張感はかなった。そのくせ、アウェイできっちりとゼロで抑えて危なげない勝利と言うほど、確かな勝利ではない。 特に後半に宮沢を下げて吉弘を入れてから、受け身になり後半残り10分は防戦一方だった。ペナの付近から何度もあわやというクロスを入れられた。相手がJ1であれば、確実に1点以上は取っていただろう。 もっともこの防戦は、相手の勢いに押されてずるずると下がったと言うよりも、途中から追加点をあきらめてゼロで終えようという意思統一だったようには思った。 後半の半ばで最初に切ったカードがハファエルではなく、宮沢だったことはシャットアウトで試合を終わらせようという監督の意思表示だったのか。 これまで、こうした展開では守るのか、追加点を取りに行くのかがはっきりしないまま得点を奪われ、引き分け、逆転という展開が多かっただけに、はっきりとゼロで終えようという意思統一ができたことは評価できる。 しかし、それにしてもと思う。ゲームのコントロールの仕方が「稚拙」で、引いて守となると、何の工夫もなく、ズルズルと引いてしまう。「守る」ということがあからさまなため、相手も安心して攻撃に専念できる。同じ守るにしても、相手にカウンターの脅威を与えながら、少しずつ自陣に籠もるというような高度なゲーム運びはまだまだのようだ。危なげないゲームコントロール。これも念頭に置いてもらいたい。 さて苦言はここまでにして、岡山というチームは昨年までのJFLで、今季初対決なのだが、背番号50番というのはどういうことなのだろう。 50番のほかにも46番、48番という選手がいた。今期のプレイヤー名鑑を見ると、J1・J2全チームの中で最多の45名登録で始まっている。とすると、46番以降の選手は途中から補強されたと言うことか。そう思って、JSGOALの移籍情報を見ると、なんとシーズン途中の4月10日に22人も抹消されていた。 勉強不足を晒すようで恥ずかしいが、さらに調べるとファジアーノ岡山ネクストというジェフのリザーブスのようなアマチュア組織を作り、そこに選手を移動させたようだ。さらにそこからなのだが岡山のほかに現在FC岐阜SECOND・徳島ヴォルティス・セカンド・愛媛FCしまなみ というチームがあるようだ。 アマチュアリーグであるJFL時代。ここから昇格してきたチームは、人件費のかからないアマチュア選手を多く抱えており、プロに移行するにあたって、無情に切り捨てるわけにはいかないということなのだろう。 Jの育成というとユースなどの組織が思い浮かぶが、これとは別なカタチの育成として アマチュア組織を持つと言うことが、J2では一つのトレンドになりつつあるようだ。今後の日本サッカー界の動きを知る上でも、Jの下のアマチュア組織の動向については注意してみていきたい。
2009年09月21日
プロサッカーに魅せられたきっかけが96年、厚別でのペレイラの直接フリーキックという私は、ゴール前での直接フリーキックに強いあこがれを持っている。 しかし、コンサドーレ札幌のサポーターになって以来、この直接フリーキックに喜ぶよりも、煮え湯を飲まされることの方が圧倒的に多かった。今期だって何度、悔しい思いをしたものか。 私の記憶が正しければ、昨年、一昨年、我が札幌が直接フリーキックを決めた試合はなかったはず。それ以前、辛うじて柳下コンサの時代にフッキが決めたのを覚えているぐらい。それよりも前となると、もはや神話の時代。 その神話の時代を含めても、日本人選手がきれいに直接フリーキックを決めたことはコンサドーレ13年の歴史の中で、2、3回あったか、なかったかというぐらいのものじゃないだろうか。 96年の発足以来、何十人、何百人もの日本人選手が入ったものの、直接フリーキックは長く外国人の特権だった。その流れが変わったのは、2004年。解散的再出発を迫られ、外国人ゼロのチーム作りが行われたとき、プレースキッカーをまかされたのは三原広樹だった。フリーキックの職人と言う触れ込みで、その芸術的な左足に期待が高まった。しかし、札幌で3年。三原はけがに泣かされ、何度かあったチャンスで、それらしい放物線を描いたものの、確か枠に行ったこともなかった。 三原の後、砂川が蹴ることが多かったが、ほとんど可能性を感じることがなかった。そして今シーズン。監督が代わり上里が満を持してキャプテンに任命されると、クライトンを押しのけて、メインキッカーに。 8月の福岡戦のミラクルロングシュートは、前節、室蘭での福岡戦でのフリーキックの呼び水だったのかもしれない。前半5分。自らがドリブルで仕掛けてFKをもらい、これを相手キーパーが全く反応できないスピードとコースに見事決めた。こんな弾道は、今も札幌サポの記憶に残るホベルッチ以来じゃないだろうか。 前節、昇格への望みをかけた甲府戦で、敗因となったミスを意識していたのだろう。この日の上里には、プロサッカー選手としての執念が感じられた。また、前半のアクシデントで早々に退場したダニルソンのあとを受け、ワンボランチの大役を命ぜられた芳賀は、期待以上にこの責を全うし、勝利に貢献した。これも、前年前のキャプテンとしての執念だったのだろう。 解説では、風と長い芝に邪魔された薄味の試合のような言い方だったが、両軍の勝利へのピュアな気持ちがぶつかった好ゲームだったと思う。札幌は前節で事実上、昇格の望みが断たれ、目標を見失ったかのような試合になるかという危惧もあったが、そうした気配は感じさせず、課題である守備をきっちりとしめて、残りの試合に望もうというモチベーションが感じられた。
2009年09月19日
親会社の日本テレビが撤退し、OBを中心に設立される持ち株会社に譲渡されるのだという。J2落ちした今年、日本テレビの撤退は確実視され、ここに変わる親会社探しが行われてきた。来週には正式発表というような報道があったこともあったけれど、その後、まったく話を聞かなかった。そうしたところ、今回のような発表だ。 しかも、持ち株会社の事業計画に掲げたスポーサー獲得ができなければ、Jからの退会させられるという。普段意識しないことだが、Jリーグに参加するたは、いくら下部リーグで好成績を挙げようとJリーグの会員でなければならない。今、ヴェルディは札幌よりも順位が一つ上だが、このままの成績でシーズンを終えても、リーグが会員資格を認めなければ、リーグから姿を消してしまうのだ。来期もJであり続けるためには、2ヶ月で5億以上、集めなければならないのだ。 僕らの世代にとってヴェルディという名前は、ほんとうに王者の象徴だった。それがこのわずかな間に、クラブの存続も危ぶまれるまでになっているなんて。 一方、降格が確実視されているJ1大分の台所事情も苦しい。胸スポンサーにマルハンというパチンコメーカーの広告を入れていたが、これは青少年の健全育成を旨とするJの趣旨に反するとして、一期のみの特例だった。この契約が切れて、大分は新たな契約先を探さなくなり、ようやく見つかったのが、怪しげな健康食品会社。サポーターは、クラブのイメージを落とすものとして、これに抗議。横断幕を掲げたところ、クラブから観戦禁止の通達が出されてしまった。それにとどまらず、この横断幕におこった健康食品会社が、契約撤回を示唆しているという。 J1であり続ければ、いずれスポンサー問題も好転する、という大分の戦略が崩れ始めようとしている。 リーマンショック以降の100年に一度の大不況はスポンサーに依拠するJのクラブに大打撃を与えている。このほかにマリノスから日産が撤退する噂なども聞こえている。 かつて、コンサドーレ札幌サポーターの中で、強力な親会社にサポートしてもらう企業クラブがよいのか、市民に薄く広くサポートしてもらう市民クラブがよいのか、なんども繰り返し議論された。私は、コンサドーレインフォメーションで、「やれやれ」さんと論戦を繰り返したものだ。(いつも攻められてばっかりで、私はゴール前に貼付けになっていました) こうした事態を受けて、いまさら「だから企業クラブなんて」と得意顔に語るつもりはない。とどのつまり、市民クラブであろうが、企業クラブであろうが、そのクラブが地域で作り上げたクラブの本来持っている経済価値、社会価値を超えて、経営規模を膨らませるならば、いずれは破綻するということなのだと思う。そこに、市民クラブ、企業クラブの違いはない。
2009年09月13日
数字の上での昇格と、現実的な昇格の差。 こうした気持ちの違い、モチベーションの違いが如実に出た。 試合開始から気持ちで札幌は、相手に負けてしまっていた。 パスが相手に渡る。 それはこっちが思うよりも相手の出足が早いからだ。 イーブンなボールをとれない。 それは、必ずボールを取ろうという気持ちが相手の方が上だからだ。 ボールを奪われる。 それは、どうしようかと考えている間に、相手に詰められるからだ。 全体的に相手の勢いに押され、飲まれ、そして、怖じ気づいてしまった。決定的な上里の凡ミスばかりではなく、こうなると、判断が遅くなる。そしておっかなびっくりになってしまう。そして気持ちの悪循環を起こす。 前半、今期最悪の出来。わずかシュート1本という数字がそれを示している。 こうした中、甲府を上回る気持ちを見せたのは、高原だけだった。高原は、一度札幌を首になり、練習生からはい上がってきて、ようやくここでレギュラーを奪取。 地獄を見た男が、レギュラーの座だけは渡さないという気迫は、甲府に並ぶか、上回っていた。 その高原の気迫に押されるように、後半盛り返したものの、ハファエルを換え、上原を入れてから、前半のような展開に戻ってしまった。藤田が一点を返したところで、この甲府に善戦できた、1点を返したと言うことに満足してしまった。 マラニョンの決定的なのが入っていれば、3-1.4-1の惨敗も普通にあっただろう。その後は、相手の「勝ちたい」という気持ちにボールを譲り、そのままタイムアップ。 解説によれば、札幌と甲府との間には平均年齢に4歳の差があるという。そうした年齢の差も少なからず影響を与えているのだろう。 スコア的には僅差の敗戦だが、相手に気持ちで負けてしまった札幌に、最初から勝機はなかった。
2009年09月07日
日曜日は、ホーム厚別だというのに行けなかった。 少なくとも道内ホームはコンプリートを目指すものの、やはり年間3試合くらいはいけない試合がある。 こういう時にはあらゆる情報を遮断し、生中継に近い気持ちで録画を見る。前半の歯がゆさは、現地厚別であれば相当なものだったろう。そしてご承知の通りの大逆転。6月ぐらいの勝てない頃だったら、0-2で終わっただろう試合を見事にひっくり返した。それなりにチームの成長と言うことなのか。 ところで、この試合をこれの前日に行われた日本代表とオランダ代表との親善試合とダブって見えた人は、結構いたのではないか。 J1だった頃(と言っても昨年ですが)、J1のチームと対戦して、思わずこんな上手い人たちの中から選りすぐりの上手い人たちだけのチーム(代表のことです)が、一体どこに負けるのだろう、と思ってしまった。 日本代表の試合を見て常々感じるのは、日本人のまじめさ、ということ。世界のサッカーの最先端がこうです、と言われれば、きっちりとそれをなぞってくるし、監督がこうしろ、というと、黙ってこうする。プレスと言われればプレスするし、走れと言われれば走り、パスだと言われれば正確にパスサッカーをする。こんなまじめなチームが、一体どこに負けるのか、と思うのだ。 さて、土曜日のオランダ戦。昨年の鹿島アントラーズとの開幕戦を思い出してしまった。前半は0-0。シュート数でも5-6とほぼ拮抗し、札幌のプレスに明らかに鹿島は後手に回っていた。しかし、札幌は押していたものの得点を挙げられず、後半に荒井場が決めると、そこから足が止まり、あれよあれよという間に4失点。失点数こそ1点多いもののと展開としてはすごくよく似ている。 もちろん鹿島はJの覇者であり、札幌は年間4勝の陥落チーム。その実力差は明らか。そんな実力差があったとしても、70分までハードワークを続けれれば、互角以上に渡り合える。しかしながら、人間のやることゆえ、そのハードワークを90分間持続できない。続けられないがゆえに、日本も札幌も陥落してしまった。 岡田監督は、世界のベスト4を目指すならば、ハードワークを持続させるしかないというようなコメントだったが、それは無い物ねだりなのではないだろうか。昨年の札幌だって、ハードワークを90分続けられたのならば、鹿島に勝つことはもちろん、J1優勝だってあっただろう。「これしかない」と思い詰めた岡田監督の表情に、日本代表の危うさを感じた。岡田さんは札幌の恩人の一人だから、頑張ってほしい。 さて、昨日の愛媛と札幌だが、後半に札幌がひっくり返したからと言って、札幌と愛媛の間に、日本とオランダの間、札幌と鹿島の間ぐらいの開きがあったというのではない。なぜならば、日本代表も昨年の札幌も結局は一点も奪えなかった。圧していたように見えても、肝心なところでは仕事をさせてもらえていなかった。 ところが、昨日の愛媛は札幌からきちりと2点を奪っている。その差は大きい。これをゼロで終えられるようにならないと、昇格は難しい。
2009年09月02日
35節の鳥栖戦でショックを受け、36節の草津戦では政権交代の行方を深夜までテレビ観戦。そしてアッという間に37節。J2は進むのが早い。 そんなんでここ3試合をまとめてレビューだ。 35節鳥栖戦。 あれは入らない。普通入らない。入っていなかったら普通に勝っていた。 うちらなんか、ここ何年も入っていない。最後に入ったのは、フッキが厚別で決めて以来じゃないか。そうロスタイムの直接フリーキックだ。 あの場面で、J1ならまだしも、J2ならば思いっきりふかすか、壁に当てるかだ。ましてJ2の中では数少ないいれる能力を持った相手の島田は引っ込んでいた。 たぶん選手も、(そして相手も)、入らないと思っていたのだろう。だから、入ってしまった。入りっこねぇーという油断が、(そして脱力)が生んだ同点劇だった。まさに、ディス イズ フットボール。ということで勝ち点2を失ったのは、事故としてとらえるしかない。 36節草津戦 出来過ぎだ。一時は深刻な得点不足に悩まされていた札幌だが、それが嘘のように得点を量産。たぶん、このゴール増産には「雨」が大きく作用していのだろう。 雨で全般的にボールスピードが遅くなり、早いボールだと底がみてしまう札幌のパスサッカーがうまくいったというところか。おまけに何年も入らなかった直接グリーキックがあっさりと決まってしまう。 でも2失点はいただけない。きっちりと守りきることができず、油断して失点してしまう癖は次の37節に続く。 37節水戸戦 これも勝てた試合だ。今期、直ることのない間抜けな失点癖が、今日ここでもみられた。対する水戸は、上位チームらしい戦いぶりだったが、あのチームに2-1で勝か、1-0で勝たなければ昇格はない。 一昨年の三浦札幌であれば、間違いなく1-0で勝っていた。監督が石崎さんになった今年のチームならば、2-1で勝たなければならない。それができずに1-1で終わるところに、今の順位がある。 と辛口なことを言ったが、2ヶ月前までは水戸と大きな差のあったチーム力が着実に向上したことを実感させる試合だった。 最後に、審判の問題。特に35節の主審はまだ経験の浅い20代と聞く。2万人近い大観衆に囲まれ、ドームのカクテルライトを浴びるという初めての試合で、気持ちが高ぶってしまったようだ。 今節の審判は、明らかに公平に、ホームチームに有利にならないように気をつけるあまりに、ホームチームに不利になってしまう、大森健作のスカパー!解説みたいだった。 J1を目指そうと思えば、当然に注目を集める試合は多くなる。そうした中で、経験の浅いが審判が、大舞台の中で箇条に反応してしまことは、これからもあるだろう。そんなハンディを抱えても、相手をねじ伏せる強さが、昇格には必要だと、今節、思い知らされた。
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
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