2009年12月01日
北海道に住む者ならば、札幌南高校という名前を知らない者はいないだろう。いうまでもなく、北海道一の進学校とされる公立高校だ。入学の門戸が開かれているのは学年の1位と2位まで。3位にはいれてもらえないという名門だ。 2009年のJ2で引退を表明した曽田選手の出身校はこの札幌南校。厚別競技場のある厚別区から札幌南高に通った曽田は、卒業後の進路を筑波大学を選んだ。筑波大学のサッカー部からコンサドーレ札幌に入団している。 曽田のいた筑波大学サッカー部は、大学サッカー界の名門で、レギュラークラスには、年代別代表がゴロゴロといる。そんなサッカーエリートばかりが集まっている部の中で、推薦でもない一般入試の選手が、レギュラーを取るためには、どれほどの苦労があったのか。 おそらく曽田という人は、どんな分野でも、目指したからにはトップを極めなければならないと誓っているのだろう。高校は道内ではナンバーワンの南高であり、サッカーでは、大学ナンバーワンの筑波。そしてやるからにはプロ。そして、そのいずれの目標をも達成している。 そんな曽田だから、2部リーグにいる自分というのが許せなかったに違いない。2002年の降格以来、曽田は、「J1に行きたいというよりも、J2にいたくない」と、2部リーグにいる不満をことある毎に口にしてきた。曽田の美学として、2部に甘んじていることが許せないのだろう。 少し前のエントリーで、“昇格の原動力はため込んできた悔しさの総量"というようなエントリーを書いた。思えば、2007年の昇格、曽田がその原動力の一人だったことは間違いない。とするらば、曽田だためた「悔しさの総量」が、前年までリーグ中位の実力しなかった札幌を、昇格に押し上げたに違いない。 サッカー選手としてのキャリアを2009年で終止符を打った曽田だが、むしろこれからのキャリアを期待したい。トップに上がるという目標を、どんな困難な状況に陥っても、最後には達成してきた曽田。 その彼が、次にはどんなトップを目指し、そして実現していくのか、とっても楽しみだ。昨日のドーム最終戦、10分に満たない出場時間で、2万人の観客が中止する中、引退のメモリアルゴールを決めてしまう曽田の「人生力」の強さに、セカンドキャリアの飛躍を期待せざるを得ない。
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
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