2008年03月31日
あんまり話題になっていませんが、3月30日の道新の記事です。 >札幌を運営する北海道フットボールクラブ(HFC)の村野晋管理部長が2月、 >育成部長も兼ね、強化部も統括するゼネラルマネジャー(GM)に就任した。 >GMという役職はクラブ創設後初。J1最下位クラスの強化費でJ1残留を目 >指す札幌で、責任は重く、苦労は多いが、生え抜きの若手を中心とした育成型 >のチームを目指している。http://www.hokkaido-np.co.jp/news/consadole/84364.html 村野晋さんが、札幌初のGMになったという記事です。 村野さんというよりも、「しまふく寮通信」で有名なアッコさんの旦那さんといった方がコンサポにはわかりやすいかも。実際には、ご夫妻で寮に住まわれて、村野GMは、僚艦として若い選手たちの日常に目を光らせています。 さて、ここに来て村野さんをGMに置く人事はどういう意味でしょうか。GMというと、戦力補強の責任者といったイメージですが、どうやら札幌のGMは、育成部門、強化部門、管理部門の統括背錦紗、つまり営業以外の部門の取りまとめ役ということで、Jで言う一般的なGMとは少し違うようです。 村野さんは、64年に神奈川県に生まれ、駒大卒業後、日本初のプロマネージャーとしてフリューゲルスと契約、その後ヘッドマネージャーになり、94年から代表入り。97年フランスW杯アジア最終予選まで日本代表の統括マネジャーを務めたそうです。HFC入りは03年。降格した年ですね。05年7月に総務部長を兼ねる執行役員に、そして今年の2月からGMだそうです。また別な記事によると、かの「5段階計画」の素案を作ったのも村野さんのよう。 ところで三浦監督は63年7月生まれで駒澤大学ですから、村野さんとは学年が一つ違い。遅生まれだと同期です。村野さんが駒大サッカー部とは書いてありませんが、常識的に見て村野さんは駒大サッカー部で三浦監督と一緒だった可能性がかなり高い。つまり三浦監督の札幌招聘には、村野さんの駒大繋がりが大きく役割を果たしたんじゃないでしょうか。 三浦監督は、誰よりもサッカーに情熱を持ちながらも、体格に恵まれず、怪我にも泣かされて、大学サッカー界ではまったくの無名でした。一方、村野さんも選手の道ではなく、マネージャーの道を歩んでいますから、選手としては鳴かず飛ばずだったんじゃないでしょうか。それでもサッカーの仕事がしたいと。選手としては大成しなかったもののだれよりもサッカーを愛した二人が駒大で出会った、というような絵を想像してしまうわけです。 村野さんはちょうど小山強化部長がJ2降格の責任を取って辞めた後、城幅さんとほぼ同時期に日本代表の総務から札幌へ入ってきています。小山さん、城福さんは、早稲田のサッカー部で岡田監督と同じ釜のメシを食った仲間です。そして村野さんは、日本代表のスタッフだった岡田監督と同じ時期に代表で苦楽を共にした仲です。J2優勝時の新聞記事で見る限り、岡田監督は三浦監督とも深い繋がりがあるようですし。 これらの事実から、まったく私の想像ですが、01年に札幌を離れた岡田監督は、札幌を離れたものの、その後も札幌のことを気遣い、小山さん、城幅さん、そして村野さんと、「札幌をよろしく頼むぞ」と、近しいスタッフを札幌に寄越してくれていたんじゃないでしょうか。 まぁ、想像ですけどね。 いずれにしろ今回の人事で、グランドの中は三浦監督。グランドの外は村野さんという体制がしっかり出来たわけで、その三浦監督と村野さんは、(おそらく)駒大サッカー部の同期。ということで三浦監督をささえる、かなり磐石な体制が作られているようです。
2008年03月31日
リーグ戦、初勝利ですね。 勝つとようやく、J1になったような気がします。 前にも書きましたが、 J2は負けて悔しく、J1は勝って嬉しい。 そしてまた勝ち星の数だけ、J2の記憶が薄くなるような。 さて、今節は録画に失敗したということもあって、 あまり深く見ていません。ざっと印象だけ でも前の試合で、札幌のJ1仕様と言うようなことを書きましたが、 今日の試合は、終了間際に池内を入れて逃げ切りをはかるところを含め、 まったく昨年のサッカーでしたね。 これは、雨の悪いピッチを嫌ってロングボール主体にしたのか、 それとも、札幌のサッカーは変わっていないのか、 次節のドームで明らかになると思います。 それはそれとして、クライトンがいいですね。久々に当たりという感じがします。 これは1週間でお引き取りいただいたアウセウに感謝しなければなりません。 ダヴィはうまくなりました。一対一が決められないのは相変わらずですが、 そこにいたるプロセスが、確実にワンランク上がったように思います。 今日の試合、岡本はちょっと出したけど、西はだんだんと馴染んで、 ついに初ゴールです。 基本的に昨年仕様のままだけど、若手がレベルアップした、そしてクライトンが入った。このことで、ようやくJ1でも戦えてるようになってきたのかも知れません。 いずれにしろ次節は、リーグ戦の前半を占う試合になると思います。
2008年03月26日
本当ですか? フッキが川崎を辞めたというのは。 そうですか。ビックリしましたね。というか、うちは入団1週間で、アウセルが辞めるというのを経験しているので、驚くような立場ではないんですが、それにしてもですね。 思えば、一昨年、まだ2歳も若かったフッキは、話し相手もいない札幌でよく1年も辛抱したものです。FWらしくやんちゃなところがあったけれど、根はいいヤツ、と思っていました。 川崎の関塚監督にゲームから外されたことが原因らしいですけど、札幌時代のフッキを覚えている身としては、それだけでこんな辞め方をするとは、ちょっと解せません。 フッキは、札幌の前に1年間、川崎にいたこともあるのだし、アウセウのケースとは違うと思うんですよ。それだけに、報道ではうかがい知れない、何かが、フッキと川崎の間にあったんでしょう。 我々としては、近づくリーグ戦での対戦でフッキを相手しなくともよい、ということになりました。昨年は散々にやられています。札幌の三浦サッカーはフッキのようなタイプには弱いような気がしますので、この面では一安心かな。 でも、財政的も厳しい札幌がフッキを受け入れるということはないでしょう。残留のライバルである東京Vに行くのだけは勘弁して欲しいですね。どうせならば、ヨーロッパに旅立ってもらって、バロンドールなんかに輝く選手になってもらい、あのフッキは札幌にいたことがあるんだよ、なんて自慢できるようになってもらうことが一番ですね。 それはそれとして、ノナト君、君はどうする?
2008年03月23日
ただいま、室蘭より戻りました。(すみません、今回は写真は無しです)。 この試合は、中継がないということのなので、すこし詳しく報告させていただきます。 前半、早々にセットプレイで失点したときには、川崎と最後に厚別で戦った試合を思い出してしまいました。2004年のJ2第27節。開始0分と9分、立てつづけに我那覇に決められ、後半38分にジュニーニョにだめ押しで、1-3で敗れるという試合でした。奇しくも今日の川崎のツートップは、同じ我那覇とジュニーニョ。得点者こそ我那覇なではなく寺田でしたが、前半3分という時間での失点は、04年の悪夢を思い出させるの十分でした。 失点後、川崎がゲームを支配しつつも、札幌が時折するどいカウンターを見せるという、ちょうどドームでのマリノス戦の前半のような展開になりました。ダヴィはJ1相手でも存在感を示しましたが、初先発となったノナトは、ファン感謝デーで見たときよりも絞れてスポーツマンらしくはなりましたが、動きがちぐはぐでゲームに入りきれていない、という感じでした。たぶん前半はシュートゼロ。ボールタッチも2-3回という感じじゃないでしょうか。 後半、三浦監督は動きました。ノナトを下げて西を入れました。表記としてはクライトンとダヴィのツートップとなるのかも知れません。実際のところは、ダヴィの1トップで、西がボランチに入り、クライントンが前目で自由に動く、という布陣になったと思います。 そして札幌が徐々にゲームを支配し、川崎を押し込みます。後半16分に砂川に代えて岡本が入ると、ますます札幌ペースになり、後半29分、鄭が入ってすぐのペナルティキック、入ったばかりの鄭が壁からの跳ね返りを打ち返して同点。ここまでずっと札幌が圧してました。その後、少し川崎が戻してイーブンゲームとなりましたが、40分に西島が、クライトンの上げたコーナーから、うれしい同点ゴールをたたき込みました。 この試合で、目を見張ったのは後半、特に岡本が入ってから、今季の優勝候補と言われたあの川崎を相手陣内に押し込んだことですね。得点も相手に、押し込まれながらも一瞬の隙を突いてのカウンターではありません。力で相手を押し込み、ゴールを奪いました。これはシュート数こそ6対7とほぼ互角ですが、コーナーキックは7対4と、ほぼ札幌が倍打っていることでも示されます。 これはどういうことかというと、三浦監督は明らかにサッカーを変えて来た。そしてその新しいJ1仕様のサッカーが、今日始めて機能したということだと思います。 J2を制した札幌のサッカーは、カウンターのリスクを排除するために、シンプルにロングボールをツートップに当てるというものでした。ところがJ2を制したこのサッカーは相手に中盤の支配権を明け渡すことになり、著しい消耗を招くことが、開幕の鹿島戦で明らかになりました。J1を戦うためには、やはり中盤を作らないと試合にならないのですね。 そこで今節、とくに後半。ノナトを外し、ダヴィの1トップ気味にし、岡本と西というテクニックのある若手を中盤に入れることで、中盤に数的優位を作った。少なくとも奪ったボールを簡単に前にはたくのを止めた、少しはつなげる、貯められる技術のある二人を入れた。そしてクライトンを前目に上げて、前にボールの収まりどころを作った。 そして最終ラインは昨年よりもさらに高いラインを保った。これが効いたんですね。川崎もラインが高いですから、いわば満員電車状態なんですね。そうなるとパス交換のスペースが潰されて、札幌と川崎はイーブンな状態となった。そこにクライトンが前目で抜群のキープ力を見せるんです。クライトンが持っている間に、札幌は全体として押し上げる。こうして川崎を押し込みました。 一方、後半28分に変えられた藤田ですが、札幌のこの新しいJ1仕様のサッカーに一番対応できていない感じでした。あと、ノナトはこの新しいサッカーの中で居場所を確保するのは正直言って厳しそうです。 もっとも川崎にしても代表組がいない中での試合で、彼らが復帰するとどういう展開になるかわかりませんが、J1に上がって初めての勝利。それも押し込まれてのカウンターではなく、相手を押し込んでの力づくの逆転勝利は、「これで戦える」という自信を選手に植え付けたと思います。
2008年03月20日
今日はナビスコの初戦だー! と思ってテレビにかじりつき、中継が無いのでがっかり。(スカパー!は全試合生中継だったんじゃないのか。) 仕方ないから、水戸と甲府を見ていました。 さて甲府というチームですが、パス回しの巧みなことで知られますよね。いつあんなにうまくなったんでしょうね。うちらよりも少ない予算規模で、選手だって、まぁJ2の平均レベル。なのにある時から途端にタマ回しがうまくなりました。 今日、水戸との試合を見ていて、このタマ回しの秘密というか、気づいたことがあります。 今日の試合で、甲府は前半こそ局面局面ですばらしいタマ回しを披露したものの、後半はすっかりJ2サッカーに飲み込まれ、パスサッカーの姿を消してしまいました。 (水戸の監督はいつの間にか、元札幌の木山さんだったのですね) J2といえどもプロですから、練習などのノープレッシャーの状態では、どのチームも素人ができないようなパス回しはできるんだと思います。しかし、プレッシャーを受けると途端にぶれてしまう。ところが技術の高い選手というのは少々のプレッシャーを受けてもタマ回しがぶれない。 なので技術の高い選手が多いJ1では、少々プレッシャーをかけても、タマは回されてしまう。ならば、相手がいい形でボールを受けたら、プレスに行っても体力のムダですから、ディフェンダーとしては消耗をさけるためにも闇雲にプレスに行かない。 ところがJ2では、いい形で受けてもプレスをかけられるとボールがぶれてしまう。ならばディフェンダーとしては、確率的にプレスに行った方が良い、という判断になりますよね。なので、J2ではひっきりなしに走り回って、相手を追い込むスタイルが定着した。 今日の試合も水戸はすばらしい追い込みでした。 さて甲府ですが、一人ひとりのスキルは我々と変わらない。しかし、徹底したパス回しの練習によって、パスのいい受け方、いい出し方のカタチは身についている。で、J1だと、相手でフェンダーは「この形で受けられたらプレスしてもムダだな」と思ってプレスに行かない。結果、いいタマが出せる。そして、甲府はパスサッカーのチームとしてJ1で認知された。 ところがJ2に落ちた。J1ではプレスに来ないような場面で、相手からのプレスを受けてしまう。甲府にはカタチはあってもスキルがあったわけではないので、プレスを受けると途端にぶれてしまう。そうしてJ2サッカーの飲み込まれて、水戸に0-1、今期勝利無し、という事じゃないでしょうか。 ちょっと苦しみそうですね。
2008年03月18日
(札幌ドームに戻ってきた山瀬) J1の久しぶりの生観戦で、正直に思ったのは、J1とJ2のレベルの違い。 パスの精度が違うし、落ち着いて丁寧な上に早い。セットプレイでのボールの正確さ。山瀬のコーナーなんか、キーパーがパンチングで逃げるしないようなところに正確に飛んでいきました。(久しぶり見たけど、いい選手になったね) またここぞという時の突っ込み方。これは判断の的確さとスピードでしょう。それが早いので、今が決定機と感じたら何人もゴール前に殺到します。 その代わり、停滞したような局面では、J2よりちんたらしている。でも、これはゲームを見切れるので、緩急が付けられるということなのでしょう。 コンサドーレ札幌のサポ暦何年で、J1は初めてではないし、何試合も見てきたはずなのに、なんで今更、こんなことに驚くんだろう。 たぶん。。。 J2に落ちて最初の年。やっぱりどこかJ2を見下しているようなところがあったところで手痛いしっぺ返し。J2を侮ってはいけない、J2のレベルだってレベルは上がっているんだ、という意識が、J2とJ1には差がないという意識につながっていったと思います。 で開幕を迎えるまで、どこかでJ1といってもなんぼのもんじゃい、という意識がどこかにあったように思います。(私以上に選手もそうだったりして) しかし、実際に対戦してみたら、当然のように「格」というか、「ステージ」が明らかに違いましたね。 そして、やっぱり、見ていて面白い。プレイにブレというか、ピントの甘さが無いために、サッカーのサッカーとしての醍醐味がストレートに伝わるんですね。 J2時代のようにそんなには勝てないだろうけれど、「勝った、うれしー」とは別に、サッカーというスポーツを今年は楽しめそうです。
2008年03月17日
鹿島との開幕戦と比べ、前進したと捉えるのか。そうでないと捉えるのかで、評価の分かれる試合だと思います。 前半だけに限って言えば、シュート数やボール支配率こそ横浜でしたが、ゲームを支配していたのは確実に札幌でした。きわどいオフサイドやPKをはずしたシーンなど、ゴールに直結する決定機の数は札幌の方が多かったと言えます。もっともこの決定機を決められないところで、勝利を逃がしたわけですが。 この変化を生み出したものは、ラインの押し上げだったと思います。生観戦で比較したわけではないので、違うかもしれませんが、鹿島戦よりも何メートルか高くなっていたんじゃないでしょうか。 ラインが高いので、ラインとゴールの間に距離があり、相手のシュートに対応する時間的ゆとり(といってもコンマ何秒ですが)があったように思います。 もう5メートルとか最終ラインが低かったら鹿島戦の二の舞だったでしょう。 また、ラインが高いため、前線との距離が近く、鹿島戦よりもはるかに相手ゴールを脅かすシーンが増えました。また繋ぐ意志も出てきたと思います。後半も初めは前半の良かったイメージが引き継がれ、それがダヴィがうれしい今期初ゴールにつながりました。それこそ三浦監督の目指しているサッカーでした。 ※最終ラインはセンターサークルのすぐ側まで上がっています。
しかし、ラインを高いまま維持するのは大変なことなんだと思います。失点によって攻勢をかけてきた横浜の勢いに次第におされ、しだいに防戦一方に。そんな苦しい時間帯を何とかしのぎ、残り10分。池内の登場もまもなくかと思われたところで、痛恨の失点。それにおそらく気落ちしたんだと思いますが、すぐさま逆転されました。 見ていてデジャビュ感というか、昔一度見た展開だなと思ったのは、札幌が前にJ1にいた2002年の試合にこんな試合が良くあったんですね。先制しても、後半に息切れして防戦一方になり、同点、逆転を食らう試合が多かった。http://www.consadole-sapporo.jp/info/topteam/2002/ あのときも開幕が1-5で敗れ、続く第2節は0-1で、年間に5勝しかできないで降格でした。 ただあのときは、ラインを上げると言うよりも、イバンチェビッチ監督の作戦で低いところで構え、ボールを奪ってからゴールにまで運ぶオートマチズムが徹底していたように思います。それに対して守りにはあまり策がなかったような。勝てない試合が続くと、イバンチェビッチ監督は、お手上げと言って札幌を去りました。 しかし、今年はまだ始まったばっかりで、高さでは確実に相手を凌駕し、ラインを高く保てればJ1相手にも勝負ができることが、この2試合を通じて掴めたました。 あとはこれをどうやって90分保つかということですから、課題はハッキリしているので、2002年よりも比較的やるべきことは、明解じゃないでしょうか。もちろん楽観論ですけど。 ※大勢のマリノスサポ。こういう風景はJ2時代にはありませんでした。
2008年03月15日
みなさま。 今年もこの季節が来ました。 ホーム開幕です。 昨年に引き続き、試合会場の写真をアップします。 今年のトップバッターは、アウェイドールズのみなさんです。 (ドールズがJ1仕様の新曲だったので、アウェイドールズの みなさんは戸惑っていました) 試合の感想はまたのちほど。
2008年03月08日
明らかに格上の相手とギリギリの勝負をし、途中まで拮抗していたけれど、何かが折れた途端にすべてが崩れて、グタグタになるという展開でした。 前半、ダヴィと中山を前に置いた07年仕様でした。前から追い込んで、相手にプレッシャーをかける戦法は、ギリギリのところでJ1チャンピオンである鹿島にも効いていました。 しかし拮抗した展開といえども、あくまでもギリギリのところで相手を押しとどめるのが精一杯という展開で、勝ちは望むべくもなく、このまま行けば少なくとも1失点はあってしかるべきという展開でした。 0-0で前半を終えて、指揮官には二つの選択があります。 一つは拮抗した展開を後半も維持すること。0-0を狙って勝ち点1を持ち帰る。 しかし、たとえ後半も均衡を維持できたとしても、こちらがゼロで抑える可能性よりも、相手が1点取る可能性の方がはるかに大きい。たとえば後半2店目の新井場の得点などは、昨年にはあり得なかった得点です。この作戦だと勝ち点1以上を持ち帰る可能性は15%ほど。それでも0-1で負けても、“守備は通用したという自信”を持ち帰るのか。 もう一つのゲームプランは、思い切ってギャンブルに出ること。 どうせ拮抗した展開を続けても、精一杯やって0-0の勝ち点1。現実路線では勝ちは望めない。だったら、まだシーズン序盤なんだから、たった1の勝ち点にこだわらずに、わずかでも可能性にかけてみよう。当たれば儲けものだし、はずれても貴重なテストができる。 こうした二者択一の中で、三浦監督が選択したのは後者のギャンブルだったようです。 サッカーに限らずいつの世も従前の予想を覆すのは若い世代の爆発。先発に西を使ったこと。後半に藤田、岡本を入れたこと。これは、J1チャンピオンの鹿島を倒すというサプライズが起こりうるならば、若手の爆発という、想定外のミラクルしかない、という監督の思いだったんでしょう。 しかし、これらの采配はハイリスク・ハイリターンなギャンブルなわけで、鹿島から勝ち点を奪うというハイリターンの裏腹には、0-4というハイリスクが当然に存在していました。 個別に言うと、監督の想定を裏切ったのは西の不甲斐なさでしょう。 サプライズを期待して先発起用した西がJ1チャンピオンに、飲み込まれ萎縮してしまってはサプライズなども起こりようがない。萎縮しきった西の前半のプレイでは、後半とともに下げられも、しかたがないものでした。 西が失敗したならば、鹿島を倒すと言うことはほとんど望めない。どうせ勝てないのならば、毒くわば皿まで。もっとギャンブルしよう。加入して1週間もたっていないクライトンをFWで使うわ、岡本を入れるわ。後半はまったくのプレシーズンマッチになってしまいました。 そんなギャンブルの結果として、0-4のツケは順当でしょう。それ以上の点差も十分にあり得ました。 今日の0-4は、序盤だからこそ許されるギャンブルとして、監督の予想の範囲内ならば(と思いたいですけど)、次節ホームの横浜戦をどうするのか、大変注目されるところです。
2008年03月07日
いよいよ、明日、開幕です。 相手は、昨年のチャンピオン、鹿島アントラーズ。 勝利、勝ち点・・・多くは望まない。ただ一つ “やれる”という自信だけはしっかりと持ち帰って欲しい。 よろしく。
2008年03月06日
もう今週末には開幕。 しかも久方ぶりのJ1です。 それなのに今シーズン、実を言うと個人的には楽観的にはなれません。正直言うとかなり悲観的。 札幌のような資力の乏しい昇格チームが残留するとしたら、それはほとんど助っ人外人の力にかかっている、ということはこれまでの実績によってだいたい証明されています。 ところが、どうもノナトは外れらしい。期待のアウセウは開幕までも持たなかった。頼みはJ1未経験のダヴィだけ。新聞情報だけだけど、練習試合の内容も思わしくなさそう。怪我人は続出。そして監督の口からも恨み節が。 これだけの材料がそろうと、楽観的になれる方がどうかしているよね。とくにJ1を軽く考えて、年間5勝しかできなかった2002年を知っているからなおさら。 開幕戦は、勝利は望まない。勝ち点も望まない。ひたすら“自信を失わない”で戻ってきて欲しい、と願うだけ、という気分にもなってしまいます。 しかし、ものすごくうがった見方だけど、開幕前のこのブルーな雰囲気は、意図的に作られたものではないか、と思ってみます。 戦術オタクの三浦監督は、フィジカルを二の次にしてもキャンプでは戦術を完成させることを優先させます。昨年はそれでスタートダッシュを切りました。 新聞報道では、今年は戦術の構築に手間取っているということですが、初采配ならまだしも、2年目のシーズンで経験豊かな三浦監督が、単純に戦術構築が遅れたというのは、にわかに信じがたい(と疑ってみることにします)。 三浦監督はマスコミ操作も巧みな人ですから、他のJ1のチームに、札幌は出遅れていると思わせておいて、何か別なこと(素人には解りませんが)を企んでいるんではないでしょうか。つまり、今のブルーな状態も、より大きな果実を得るための副産物であると・・・・やっぱり楽観的?
2008年03月03日
皆さま 今日3月3日は何の日か知っていますか? それはさておき、丸の内の大企業には、サッカーチームを持つことが一種のステータスだった時代があったようです。日立と並ぶ日本の重電系大手東芝にもサッカークラブがありました。このチームは1935年創部と、歴史は古いもののJSLの2部が定位置で、調子の良いときに少しだけ1部に在籍するというどこかのチームような存在でした。 Jリーグの創設に当たって、多くの丸の内系チームがプロチームになっていく中で、東芝はアマチュアである道を選び、新設されたJFLに所属しました。しかし、Jリーグができてしまうと企業がサッカー部を持つ意味が希薄になっていきます。バブル崩壊後の不況は東芝を直撃し、サッカー部のリストラも検討され始めました。 そして1995年6月、東芝の監督高橋武夫さんが来道し、JC関係者と接触。東芝の札幌移転がいっきょに具体化しました。 下記は、95年、コンサドーレが誕生する前の年のJFLの順位表です。見るとこの年のJFLチームの8チーム(※印)が、名前や運営会社が変わったりはしていますが、後のJ2チームオリジナル10になっていますね。95年のJFLはJ2の基盤となったリーグ、と言えなくもないですね。 1位 福岡ブルックス 2位 京都サンガ 3位 東京ガス ※ 4位 鳥栖フューチャーズ ※ 5位 大塚製薬 6位 ヴィッセル神戸 7位 本田技研 8位 東芝 ※ 9位 ヴァンフォーレ甲府 ※ 10位 NEC山形 ※ 11位 コスモ石油 12位 富士通 ※ 13位 福島FC 14位 NTT関東 ※ 15位 ブランメル仙台 ※ 16位 西濃運輸 また95年はJバブルの弾けた年で、この年にここに名前があるチームは、古くJSL時代からあったチームか、仙台、鳥栖、福岡のようにJバブルに乗せられてできたチームです。Jバブルに乗り遅れたチーム、中でも市民チームとされる、後の札幌、福岡、仙台、神戸はいずれも巨額の累積赤字で苦しみます。 この年以降に登場するチームは、大分、新潟など、Jバブルの崩壊を踏まえて登場するチームで、案外、95年を境に、それ以前と以降で区分されるかも知れません。 さて東芝の名前が挙がってから、札幌のJリーグ参入はあれよあれよと具体化します。もともと地域にあったチームがプロ化するのではありません。この年の紅葉が落ちる頃から目に見えて具体化した動きは、一体何処が中心になっているのか、JCとは無縁な私たち一般市民にはわかりにくく、突然、地面からプロサッカーチームが湧いてきた、という感じでした。 そして、96年3月3日。ちょうど12年前の今日、北海道フットボールクラブ設立企画の行った新チームの愛称が発表されました。 1月11日から2月5日までの間に市民から寄せられた名称は2744通。これを桂札幌市長を長とする、石水石屋製菓社長ら16名の選考委員会が選考。「アンビシャス」「ノースフォックス」「カムイ」などの案を押しのけて選ばれたのは、道産子をひっくり返して、ラテンなまりにしたという・・・・ コンサドーレ札幌。 このニュースを聞いて、私は思わずのけぞりました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ようやくコンサドーレ札幌登場です。なんとか開幕に間に合わせました。 冒頭の質問ですが、 3月3日は、ひな祭りの日であるとともに、コンサドーレ札幌の誕生日だったんですね。 おめでとう 12歳。
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
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