【24節】暴かれた秘密

2007年06月28日

 点数的には2対2の引き分け、結果だけ見ると双方勝ち点1づつのなんでもない試合でしたけど、札幌的には重要な意味合いを持った引き分け、というよりも2失点だったと思いますよ。

 1点目はキーパーのポジショニングミスで、2点目も札幌のDFのミスと見てしまえば簡単なんですが、実はこの2点は連携しています。

 今期の札幌は、ドン引きのカウンターサッカーと言われたり、イヤ、そうじゃないと言われたりしています。どっちなの、と言いたくもなりますが、サイドがまったく上がらないセンターバックを4枚も並べたドン引きのスタイルといわれればそうなんですが、実はフラット4のバックラインだけは非常に高い、という特徴があります。このために、ドン引きに見えて、ドン引きじゃない、サッカーなんですね。

 逆に言えば、ゴールキーパーとバックラインの間に広大なスペースがある。草津の1点目は、これをついてきた。広大なバックラインを埋めようと、どうしてもキーパーは前に出てくる。そこをミドルからロビングで見事にねらった。後ずさりしながらも、手が届かずに決められてしまう。

 実は、これが2点目の布石にもなるんですね。バックラインとキーパーの間にスペースがあるならば、そこにボールを入れて、FWを走り込ませればよい。しかし、簡単にボールを入れると、高い位置にいるキーパーに止められてしまう。だから草津としては、キーパーはできるだけ下げたい。
 草津の1点目は得点を狙ったというよりも、キーパーを下げさせるためのボールが運良く(というか悪く)ゴールインしてしまったものだと思う。

 実際、1点目の高い位置にいるキーパーをねらったミドルが決まったため、背後を気にして、高木は積極的に前に出られなくなった。そうなると、ディフェンスラインも上げられなくなってくる。単なるドン引きになる。こうして札幌の組織サッカーが混乱してくる。

 後半に、勝ち越した札幌が追加点をねらって前掛かりになったところで、草津は再びキーパーの背後をねらったあわやのミドルを入れた。1点目を思い出した高木は、また前に行けなくなってしまう。そして、そのタイミングを狙って、札幌の背の高いデフェンスラインをフワッと飛び越すボールがキーパーとの間に入る。と同時に草津の選手が走り込んで2点目。

 結果的には、2-2の引き分けですが、その実、ここには札幌の4-4-2崩しの高度な戦略があり、みごとにそれが機能した、という試合でした。単に中2日で疲れて足が止まったと言うこと以上のもののがあった。

 第2クールも大詰め、折り返しにもなると、各チーム研究や対策も進んできます。
このままじゃやばいですね。これをどう乗り越えるか。
 もっとも、三浦監督は三浦監督で考えているようです。それは・・・・素人の私でも分かることなので、プロの監督やスカウティングには、分かり切ったことなんでしょうけど、一応、言わないことにしておきます。


客が戻ってきた

2007年06月27日

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平日のナイターで、1万3000人。 長いトンネルを抜けて、お客さんが戻ってきました。 盛り上がっていた時代の熱気を思い出しました。 今日は、コアナサポ以外に、一見さんも多かったですね。 「サッカーって、スピードがあるね」なんて会話を耳にしました。 勝てなかったのは残念ですが、試合を止めないレフリングもよかったと思います。 また来てくれるんじゃないかな。試合の感想はまた後で



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23:59

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監督のコメントはなぜ面白くないのか

2007年06月26日

 コンサドーレについてあれこれと考察してみるコーナーを作りました。第1回目は監督のコメントです。

 コンサドーレ札幌の歴代の監督の中で、三浦監督のコメントは格段に味気ない。聞いていてまったく面白くない。他の監督のコメントと比べても、とても当事者とは思えない他人事のようなコメントです。

 これは思うに、性格的にぶっきらぼうというのではなく、コメントから相手に何らかの手がかりや、ヒントを与えないようにしている。すなわち、三浦俊也という人の行動は、すべてが「結果」を出すために捧げられていて、監督コメントすらも、「結果」のために、プラスか、マイナスか、という計算づくで出している、そのことの現れなんだと思います。

 例えば、審判にゲームを壊された21節のアウェイ愛媛戦で、この時の監督は

 「今日は特にありません。質問もなしでお願いします」
 ※その後、質疑応答などは行われず、三浦俊也監督は会見場を退席しました。

 と珍しく感情的になったとあります。これは審判に対して激しい怒りを見せることで、連勝が途切れたショックから選手たちの心を少しでも離そうという計算の上のジェスチャーだったと思うんです。

 逆に今節は、今シーズンを占う大一番で、監督の作戦どうりの、おそらく会心の試合だったと思うんですが、それはおくびにも出さずに、コメントは、
「ヴェルディの方は現実的なサッカーはやっているなと思いましたし、やはり付け入る隙はないという印象は持ちました」というもの。
 「つけいる隙はありません」と言いながらも、絶対に「付けいる隙はセットプレイだ」と考えて、そのための作戦を練ってきたんだと思うな。しかし、そんなことは一言も言わない。

 ところで、Jの監督の中で三浦監督ぐらい選手として実績のない人はいないんです。大学時代は駒澤大学のサッカー部でしたが、終生控え選手だったようで、大学卒業後は養護学校の教諭になっています。そんな人だから、監督として、プロサッカーの世界の中で生き続けるためには、「結果」を出し続けるより無い、というところがあると思うんです。(このことについては、これからいろいろと考察してみたいと思います)

 逆に、選手として実績のあった人は、たとえばジーコのように、純然たる「結果」を超えてロマンみたいなモノを選手やチームに求めたりする。で、そういう人が監督になると、実にコメントに感情があふれていて、面白いんですよね。

 たとえば、例えば第4節のラモス監督のコメントはこんなもの。 
「遅れてすみません。これは僕が悪いんじゃなく、名波がうるさくて(笑)。勝ったから3日間休ませてくれって言ってきた。しょうがないからベテランは3日間休みにしました」(笑)。


【23節】ゼロイチの作り方

2007年06月25日

 今日は、鼻から大塚を入れた逃げ切り布陣でした。東京の攻撃力を三浦監督はよっぽど警戒したということでしょう。まずは負けない。引き分けでも良し。そんな入り方だと思います。

 3ボランチとなった前半は、前が薄くチャンスらしいチャンス(芳賀の惜しいミドルはありましたが)もなく、我慢の展開が続きました。しかし、今年になって思うのは、相手をロースコアーに引きずり込むのが格段にうまい、ということ。攻められ、劣勢に立たされているように見えても、全体的には札幌が描いている絵の通りに事が運んでいったのでしょう。

 その証拠に、後半開始と同時に畳みかけるように攻めて、フリーキックを奪取。これを曽田がヘッドで決めて1-0。あっという間に先取点を奪い取りました。ゴールにすら近づけなかった前半が嘘のようです。

 後半開始早々の得点。ここで守りに入るとかえって反撃を招いて、逆転を食う恐れがあると、去年のチームならば追加点を狙いに行ったでしょう。しかし、今年のチームは、この1点を守れるんですね。「ゼロイチの接戦をモノにする」というのと「ゼロイチの接戦を創れる」というのは実は大きな違いがあるのかも知れませんね。

 第1クールで仙台相手に同点を食らってから、修正を重ねてきた強敵相手のアウェイの戦い方は、ほとんど完成の域に達してきたと思います。先制してからの、同点、逆転を狙う相手の勢いを見事にいなして、ロースコアに持ち込む手腕は、スペインの闘牛を見ているようでした。実際には、相手の撃ち急ぎや幸運に助けられたというのが本当ですが。

 首位を独走しているとは言え、他からいつかは崩れる、と言われ続けてきました。実際、一時期札幌の上にいた山形は大きく崩れて、今7位です。
 そして私もそう思っていたし、そして崩れるとしたら、愛媛に負け、ホームで徳島に引き分けた後のアウェイ、ベルディ戦。つまり今節だと思っていました。ここでもし負ければ、今の山形のような転落も十分あったと思います。大塚先発というのは、そうした危険を見越した上での三浦采配でもあったんでしょう。

 さらに付け加えれば、最後まで集中力が途切れずに完封で終えれたというのも、味スタをジャックしたサポーターの力は、大きかったんじゃないでしょうか。スカパー!を見ただけですけど、アウェイなのに、応援の人数で東京を圧倒していましたね。ホームであるはずの函館や室蘭だって、あそこまでの動員力はないですよ。

 さて次の課題は、下位チームを相手した戦い方です。実はこれがまだできていないんです。


コンサレーレへの道・第3回『マラドーナを見た(3)』

2007年06月23日

 こうしてマラドーナと、そしてサッカーと出会った私ですが、それから熱心なサッカーファンになったわけではありません。当時の私の回りは野球ばっかりで、家が山深い坂地にあったことから、サッカーよりもスキーが私の興味の対象でした。

 マラドーナと同世代のアルペンスキーヤーに、インゲマル・ステンマルクというスウェーデンの選手がいて、この人もまさに100年に一度の天才でした。圧倒的に早く、何よりも滑っている姿が美しかった。ステンマルクに憧れて、まだ珍しかったエランの板を探して買い求めたりもしました。

 そんなことだから86年のメキシコ大会以降、マラドーナのことは正直、忘れていたんです。しかし、4年後のイタリヤワールドカップが近づくと、再び、ワールドカップを意識するようになりました。
 本屋にはワードカップの別冊特別号が1冊あって、立ち読みしながら、それなりの知識を仕入れました。そしてこの時にマラドーナという選手がどこの、どういう選手なのかを知ったと思います。それでも、その本を、身銭を払って購入することはしていませんから、つまり、その程度の関心でした。

 相変わらず深夜のカルト番組でしたが、イタリヤ大会で印象的だったのは、スタジアムの圧倒的な雰囲気。ハーフタイムの間には、ワールドカップトピックとして、各地の映像が流れたりしていましたが、サポーターの熱狂、特にイングランドのサポーターが、暴れて悪さをしないように孤島に閉じこめられている様子も強く残りました。
 世界には、私たちにはまったく知らされてない巨大な何かがある、という実感を深めました。

 それでも翌日になって、学校に行くと、ワールドカップのワの字もないんですよね。テレビを見ても、新聞や雑誌を見ても、ほとんど話題になっていない。
 この時まで、新聞やテレビ、雑誌といったマスコミは世間を忠実に写す鏡だと純粋に信じていましたけれど、90年のイタリヤ大会を見てからは、マスコミが作る世界と実際の世界との間には大きな隔たりがあることを意識するようになりました。

 さて、マラドーナですが、試合の度に厳しいマークにあい、倒され、両手を広げて悲痛な表情でアピールする姿だけが何度も映し出されました。
 それでも、決勝トーナメントの1回戦、ブラジルとの試合。圧倒的に攻めるブラジルの攻撃をかわして、カウンター一発。カニーヒャに決定的なスルーパスを通したのはマラドーナでした。アナウンサーは、「やはり決定的な仕事をしますね」とコメントしました。


厚別の空と風

2007年06月22日


前のが評判が良かったので、調子の乗ってもう一枚。
同じ日の厚別。天気が良くて、風がいつもと逆でした。
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01:26

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ビックフラッグの中の人

2007年06月19日

ビックフラッグの中の人
写真館のコーナーを作りました。 コンサがらみの写真をたまにアップします。 結構写真好きです。



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01:29

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【22節】札幌戦術 対 札幌戦術

2007年06月19日

連勝を続けながらも、強さになかかな自信が持てないというのはこんな試合があるからだ、と言う試合でした。

札幌の独走というのは選手の個々の力よりも、三浦監督の組織戦術にあることは自明ですよね。個々の力というは、ある部分、超えようのないところがありますけど、人為的に作られた組織であれば、工夫次第で攻略が可能なはずです。

連勝を続けている間、どのチームが攻略法を開発するだろうと、半ば恐れ、半ば期待してみていました。そんな中で22節の徳島は、一つの答えを出したように思います。

簡単に言えば、札幌と戦うには札幌と同じことをやればよい、というものです。

リスクを負わない戦い同志なので、引き分けの勝ち点1は計算できるし、ホームの敵がじれてきてリスクを背負いはじめると、それだけカウンターのチャンスも膨らむ、そんな作戦を立てたんじゃないでしょうか。

開幕前に、昨年の横浜FCの躍進から、どのチームも守備的に来るかと思いきや、J1降格組が3チームもあったせいか、思いのほか、今シーズンはどのチームも攻撃的でした。それが札幌の戦術にうまくかみ合っていたんだと思う。また下位チームも、今年は例年になく、攻撃的でしたからね。

でも第2クールも半ばを過ぎて、札幌の躍進を手本にするチームが出始めてきた、ということですよね。本当に昇格を目指すならば、ギヤをそのままでアクセルをふかすのではなく、ギヤを変えるってことですよね。

おそらく、ここから数試合が本当の正念場だと思います。


天気は最高でした



コンサレーレへの道・第2回『マラドーナを見た(2)』

2007年06月11日

 彼は、バックスタンド側のセンターライン付近、ほんのちょっと相手ゴールより、で何気なくボールを受けた。
 「神の手」から10分も経っていなかったんじゃないかと思う。始まりは何気ない、J2でも、プリンスリーグにも、カブスリーグにだってありそうな、きわめて日常的な、どこにでもあるサッカーのいち場面。その日常性がマラドーナのドリブルによって木っ端みじんに打ち破られた。

 アナウンサーの声だけははっきりと記憶していて、NHKの有名なアナで、ジョホールバルの時に、「絶対に負けられない戦いがある」とのキメ台詞を吐いて、その後の「負けられない戦い」インフレをつくったアナウンサーだと思うんです。

 彼は、マラドーナが一人抜くごとに「マラドーナ・・・マラドーナ・・・マラドーナ・・・・マラドーナ」と名前だけを連呼したんですね。はじめは普通の実況の声でしたけど、連呼を繰り返す度に、だんだんとトーンが絶叫調に変わっていきました。
  
 ブラジルのドリブルが、『体が動いてボールが動かない』ことに特徴があると言われるのに対して、アルゼンチンのドリブルは『ボールが動いて体が動かない』と言われます。その通りで、マラドーナはゴールにむかって一直線に向かい、一瞬のブレもない。しかしボールは右に左に動き、相手ディフェンダーは次から次へ交わされる。

 マラドーナの5人抜きのシーンの中で、今でもはっきり脳裏に浮かぶのは、ミッドフィールドの二人を抜いて、最終ラインの二人に襲いかかるわずかな合間のマラドーナ。そのとき、

 彼は空を飛んだんです。

 人間は跳べるけれど飛べないじゃないですか。でも、あの瞬間、確かにマラドーナは飛んだ。跳ぶと飛ぶの違いは、距離や時間や高さじゃない。トビウオが何十メートルも跳んでも、あれは跳んだであって、飛んだんじゃない。というのと同じように、
マラドーナは、コンマ何秒、地上数十センチの大空を飛びました。この感覚、リアルタイムで見ていたい人なら、みんなうなずいてくれると思う。
 
 あの試合から20年、試合がどう始まって、どう終わったのかは今となってはまったく記憶にありません。イングランドなので、リネカーがいたはずなのにまったく覚えていない。それでも、神の手ゴールと5人抜きの場面だけは鮮明に覚えているんですね。

 ちょうど、札幌オリンピックでの笠谷の金メダルジャンプの映像と「飛んだ、決まった」のアナウンサーの声を、昨日のことのように覚えているように。


第20節 アウェイ鳥栖戦(テレビ)

2007年06月11日

 175.2対179.8 
 今日の鳥栖対札幌戦。ゲーム終了時の両チームイレブンの平均身長です。札幌が鳥栖に対して約5センチのアドバンテージ。これが影響した試合でしたね。

 第2クールの1位、2位対決、ホームゲームということから、鳥栖は前半からよくハードワークしていました。一見すると、鳥栖が主導権を握り、札幌が一方的に攻められるという展開に見えましたけれど、余裕の守りというヤツで、見た目ほど選手たちは危ない思いをしていなかったんじゃないかな。

 守る札幌は、ゴール前はしっかり固め、至近距離のシュートやグランダーのスルーを許さない体制をひきながらも、サイドは比較的に緩く、クロスや放り込みを許していました。ところが、鳥栖のクロスが自信なさげというか、まともにいっても必ず弾き飛ばされるという恐れから、力みや狙いすぎで(だろうと思います)、外れてまくってぜんぜん怖さがないんですね。

 だから、鳥栖が攻めて、札幌が耐えていた、というよりも、札幌の選手たちは、高いボールならば競り負けることはないと、意識をペナルティへの飛び出しに集中させ、クロスや放り込みは、あえて好きにさせていたんじゃないでしょうか。高さに限ってですが、戦う前から戦意喪失したような部分があると、勝つのは難しいですね。

 後半開始同時に流れを変えるべく鳥栖が投入したのは山城純也(158cm!!)。これに対して、札幌は、後半16分に大塚真司(179cm)を入れて、いつもより早く守りを固めて、逃げ切りを図りました。これも、今日の相手ならば、早めに守りを固めても1点を守りきれるという自信の表れでしょう。

 監督は、厳しい戦いで、相手の強さを強調していましたが(この人のマスコミ向けの発言はいわゆるプロパガンダです)、見た目以上に、札幌の楽勝だったんじゃないでしょうか。

 


コンサレーレへの道・第1回『マラドーナを見た(1)』

2007年06月08日

 サッカーとの出会いは、間違いなくマラドーナです。
 あれは、小学校だったか、中学校だったか、高校生だったかの、夏。
 メキシコ・アステカスタジアムでの5人抜きを、私は生放送で見たんです。

 家の商売の関係で、うちの両親は早く寝ます。
 深夜放送に目覚めたばかりの私は、両親が寝たことをいいことに、深夜に起き出して、イレブンPMだとかの、子どもが見てはいけないテレビを見ようと2階からテレビのある居間に下りていきました。つまり私は、不良の入り口にいたんですね。

 その日、いつものように両親が寝静まったのを確認し、居間のテレビのスイッチを付けて、音量を最小にした。ややしばらくして映ったのは(昔のテレビは映るのに時間がかかりました)、見たこともない巨大なスタジアム。ビッシリと埋め尽くした観衆の熱気と歓声に、思わず引き込まれてしまった。偶然、86年のメキシコワールドカップの中継を見てしまったんです。

 今では、ワールドカップが始まる何年も前から大変な騒ぎになるのに、当時は今、まさにワールドカップの決勝トーナメントが行われているというのに、新聞やテレビでもほとんど話題にされませんでした。プロレスのように深夜にマニアだけが見る番組でした。当然、次の日学校でも、だれもワールドカップのことなど話題にしません。

 しかし、私は何か引かれるものがあって、次の日も、両親が寝静まるのを待ってテレビのスイッチを付けました。その時、ちょうど放映されていたのがアルゼンチン対イングランドだったんです。
 
 この試合、マラドーナの1点目は「神の手」ゴールとして、マラドーナの狡猾さを示すものとして語れますが、すごかったのはゴールのシーンではなくて、「神の手」にいたる直前の動きなんですね。
 
 マラドーナは、ディフェンスラインでボールにさわったかと思うと、スルスルと敵味方のプレーヤーをかき分けてあっという間にキーパーと一対一に。その間、数秒の動きがとても人間とは思えなかった。回りのプレーヤーは本当に時間が止まっているかのように凍結して見えた。リアルタイムで見ていた私は、トムから逃げるジェリーのようだ、と思ったことを、今も記憶しています。
 
 自分がサッカーを見ているという自覚もない、ましてこれがワールドカップということですら解っていない子どもの私でも、マラドーナの動きに、スゲーと思わず引き込まれてしまいました。

 明らかなハンドですので、イングランドから執拗な抗議があったりするはずなんですが、その記憶がありません。おそらく、スタンドも、選手も、マラドーナの動きにキツネにつままれてしまったんだと思いますよ。
 
 でも、本当にすごかったのは、この後です・・・・(続く)


はじめまして

2007年06月07日

  まったくの思いつきなんですが、生まれて初めてブログというものをはじめたいと思います。

 コンサドーレの試合を始めて見たのは、招待券で見た、1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。

 以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。

 そんな私ですが、今年は調子が良いので、久しぶりにたのしい毎日で、浮き立ったところで、ブログなんかはじめてしまったんですね。

 みなさま、よろしくお願い申し上げます。


post by ひばり

00:32

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