2007年08月29日
石水さんネタはもうやめようと思ったんですけど、いい話だったので。 今日の各紙ですけど、突然、石水さんが宮の沢を訪れて、『信頼回復のめどが立った後になるが、試合後にサポーターに謝罪をしたいと思っています』と語り、『「今回の賞味期限改ざん問題後も、胸ロゴの撤廃運動などは起こらず、ファンはおおむね石屋製菓に温かかった。石水氏は報道でサポーターの声を聞き「涙が出そうになった」と目頭を熱くした。』と言ったそうです。また、「(クラブと会社の)過去の流れを説明した。コンサドーレあっての石屋製菓です」とも語ったそうです。 http://hokkaido.nikkansports.com/soccer/jleague/consadole/p-hc-tp0-20070829-248437.html インフォに書こうとかなと思って、荒れそうなんでやめましたけど、前々から思っている事なんですけど、石水さんに、HFCの社長をやっていただいたらどうなんだろう。 HFCの良くないところは僕が思うのに、寄り合い所帯であってだれが責任者なのかはっきりしないところ。そのため会社として強い意思表示ができないところ。でもって、その反射として石水さんが、どうのこうと言われてきた、と言うこともあったと思います。 今回のことで、さすがに石屋製菓の社長に返り咲くわけにはいかないだろうから、逃げも隠れもしないHFCの社長さんになってもらって、持ち前のリーダーシップ、経営手腕を発揮してもらったらどうだろう、というのが私の考え。 石水さんについてはいろいろ意見がありましたけど、僕はこれまでの石水さんの関わり方が中途半端なのがいかがなものかという立場で、石水さん個人については、北海道を代表する優秀な経営者だと思っておりましたし、コンサドーレ札幌に寄せる思いが人一倍強いのが今日の記事でも見て取れます。 石水さん、まだ63歳。社長を降り、さまざまな公職から離れたと言うけれど、あの方の手腕を遊ばせておくのはもったいない。どうでしょう。結構いいと思うんですけどね。もちろん、児玉さんが職責は十分に果たしたとしてお辞めになった後。誰もが納得する円満譲渡としてですよ。 不祥事は不祥事として置いておいて、ことコンサドーレに関しては、ありがとうございました、と言いたいと思います。
2007年08月29日
6月7日にブログを始めて3ヶ月弱。アクセス数も2万を超えました。 この間に例のスポンサー問題なんかあって、気持ちが削がれた部分もあって、 実際、毎試合、観戦記と思ったんですけど、湘南戦、山形戦と書けてないいません。 また仕事も忙しくなってきたりして、更新が辛くなってきた部分もありまして、 ゲームプランを変更して、軽く長く、をモットーに行こうと思います。 で(なにが「で」なのか分かりませんが)、今週末に函館に行くことにしました。 個人的には、やはり石屋問題が引きずっていて、ここしばらくは ノー天気になれない部分ああったんです。サポの本筋はノー天気だと思いますので、 いつまでも、うじうじと、石屋がどうの、石水がどうの、 とやってても健康的でないんで、吹っ切るために、函館に行くとにしました。 (まぁ、石屋製菓問題が無くても、別な理由を付けていくんですけどね。毎年) そして、月曜日には仕事を休んでしまうんですね。ゴメンナサイ。 初秋の函館を楽しんできます。
2007年08月24日
表記についてコンサドーレ札幌インフォメーション(通称インフォ )で、場外乱闘を起こしてきました。 http://www.phoenix-c.or.jp/%7Ehiro/bin/yybbs/yybbs.cgi (こっちが本拠ならあっちが場外なんですが、もともと私はあっちの人で、こっちの方が場外かも) 今日、打合せ先で、私のことはコンササポということが知られていますから、「石屋がああなったらコンサドーレもダメなんだろう」と声をかけられたんですね。 人は違うんですけど、こんな感じで声をかけられたのは5回目ぐらいなんですね。(家人含む)。いつもは聞き流すんですけど、続いたので、「あのね、みんな石屋製菓のつっかえ棒が外れたら、札幌が倒れるというような話ばかりするけど、逆に石屋製菓あ札幌に支えられてきたんだよ」とちょっと意地なって、下で長々と書いたような話を少ししたんですね。 そうすると、なんとその人は高校で曽田と同級生で・・・・と話が広がっていったんですけど、横道なので割愛して(本当はこっちの方が面白そうでしょ、でも内緒です)、札幌のスポンサーになってから石屋の売り上げが2倍に増えた話に「へー、そうなんだ」と特に関心してくれました。 ここ最近、札幌は不祥事続きで、成績もさっぱりなところに、華やかな日本ハムが上陸してきて(そして駒大苫小牧)、それとの対比で、札幌はすっかり落ちこぼれ、負け組。道内世論的に、どうしようもない落ちこぼれを、しがらみでしょうがなく、道や市や石屋製菓が支えている、支援している、という感じなのね。 だから、石屋が不祥事=札幌の支えが無くなって倒れる、と条件反射してしまうの。でもさ、札幌はいつも他人様の厚意にすがって生き延びてきた分けじゃないしさ、ビジネスとして立派にスポンサー様の利益を生み出してきたこともあるのよ。その最大の存在が石屋製菓でしょ。という気持ちが、昼の2時ぐらい(つまり、曽田の同級生と話をしていたとき)からあったのよ。 ただ、昔から石屋製菓がコンサドーレ札幌のスポンサーになって利益を上げていたのは知っていたし、石水さんが副社長になって事実上実権を握っている割りには、J2降格の時にスポンサー料を下げたりして、「石水さん、あんたごっつく儲かっていて、何億も税金で持って行かれるぐらいならば、もっと出してよ」と思っていたのは事実。 日ハムのように赤字補填してくれれば、累積赤字は出なかっただろうし、なによりも道内マスコミに、経営がボロボロと書かれなくて住んだだろうとは思っていたんです。 まぁ、取り留めなくなったけれど、札幌のまわりで何か不祥事が起こる、その度に、存亡の危機だ、と迫害されて、無力な厄介者のように言われるのはもうまっぴら。という気持ちが、あったんですね。 ということでした。
2007年08月20日
石屋製菓を巡る議論の中で、札幌が石屋製菓に大変に世話になってきたという話があるけれど、石屋製菓が札幌に大変世話になってきた、という側面もあるんですよ。 これは2000年11月10日の北海道新朝刊 「コンサドーレ賛歌」という連載の中で、石水さんがインタビューに答えもの。 『チームができた一九九六年と比べると、うちの会社の売り上げは二倍の約七十億円になりました。本州でやったアウエーの試合で道内のサポーターが『白い恋人』を観客に配ってくれたこともあります。コンサドーレのファンが営業マンになって、応援してくれているんです。売り上げ増にはコンサドーレ効果もあったと思います』 つまり、コンサドーレ札幌のスポンサーになって、売り上げが倍増したと言うことですよね。この当時は売り上げ70億ですが、今は80億。 06年4月期 売り上げ82億7100万円 経常利益 26億5600万円 上の記事ひとつだと弱いので書き足しでもう一つ。2004年3月26日の朝刊。 『<ひとフロンティア>石水勲さん』という記事。 『コンサドーレが出場する全国各地の試合会場やスポーツ番組で、ユニホームの「白い恋人」の文字が躍動し、知名度アップに貢献。応援を始めた十年ほど前の売上高は約三十五億円だったが、0五年四月期は約八十億円を見込むまでになった。「サポーターの中には白い恋人を買って道外の試合先で観客に配ってくれる人もいる。営業マンを何万人も抱えているようなもの。サッカーの応援が売り上げに自然と結びついてきた」と話す。』 石屋製菓の場合はほ売り上げのほとんどが「白い恋人」で、同じ商品を作り続けコストも下がってきているだろうから、売り上げ以上に石屋製菓の利益率はもっと拡大していったと思います。82億の売上で利益が26億ですからね。破格とされるクラブハウスのレンタル料だって、税金対策には大きな貢献をしていると思う。 こうして見ると、石屋製菓の年間1億のスポンサー契約はむしろ格安。石水さんはやり手ビジネスマンなので、身銭を切ってコンサドーレに支援しているように見せておいて、その実しっかりと損をしないソロバンを弾いてきたんです。「支援」というから、何かいつも助けられてきたような感じがしますけど、石屋製菓の場合は、「支援」というよりも「投資」で、元を十分すぎるほど取っています。 なので、「石屋様に札幌は常に助けられてきた」と、我々がことさらに卑屈になる必要はないと思うんです。 石屋製菓の新社長さんは「コンサドーレ札幌のスポンサー契約は白紙」と言っていますけど、それは「白い恋人」の売り上げに果たしているコンサドーレの役割を知らない人が言う話。石屋製菓の売り上げの推移を見ると、新社長さんはむしろ「こんな不祥事を起こしていしまいましたが、どうかスポンサーは続けさせてください」とお願いすべきもの。 会社を存続、業績を回復をさせようと思えば、当然、売り上げが必要なわけで、経費削減のみみっちい話のために格安の1億のスポンサー契約を渋れば、それ以上の売り上げや利益を失うことになると思う。独創的で先進的な技術開発で伸びてきた自動車が、経営再建の経費削減のために研究開発部門をそっくりリストラするような愚です。 今回の一連の報道で、こうした側面がすっぽり抜け落ちています。石屋製菓が札幌を助けてきたような側面ばかりが強調され、それがいつの間にか社会常識化している。コンサドーレの広告効果を正しく報道してくれれば、新規スポンサー開拓に大きな力になったと思う。 私が思うに、この窮地から石屋製菓が蘇るためには、むしろコンサドーレ札幌に今以上に積極的な投資をして、J1昇格、J1定着を後押しして、「白い恋人」の全国的な知名度を復活させる、ことの方が得策じゃないですか。
2007年08月19日
とりあえず、室蘭から今戻りました。 観戦記は・・・・気が向いたら後ほどということで、 選手バス到着のおり、ゴール裏のコアの人たちが、 入江運動公園の入り口で選手を励ましました。 写真はその時のものです。 取り急ぎということで。
2007年08月18日
札幌と同じように厳しい経営を強いられている大分のサポーターについて、朝日新聞に書かれた『そんな「12番目の選手」なら』というコラムがあります。 http://www.asahi.com/sports/column/TKY200707110469.html 全文はリンクを参照していただくとして、趣旨は次のようなものです。 『大人1枚1800円のチケット代を払った作品が、たとえつまらなかったとしても、見たいと思ったのはあなた自身だ。懲りたなら、もう劇場に足を運ばなければいい。映画をサッカーに置き換えてみる。お金を払って観にいく、という興行と割り切れば、私はサッカーも同じだと思う。』 ここで私は、サポーターとは何か、ファンとは何が違うのかという話をしようと思います。 私の考えるサポーターは、レプリカを着て歩くことではなく、ゴール裏で跳ね飛ぶことでもない。まさに、フットボールチームの構成員の一つとしてチームを支(サポート)える存在、つまり当事者なんだと思うんです。 一方、ファンとは上の新聞コラムに典型的に見られるように、スポーツイベントという興業に対する消費者なんだと思う。ファンであれば、この記者の言うとおりに、 『試合中にゴール裏で応援するも、ヤジるのも勝手だ。しかし、試合終了のホイッスルがなった時点で、払った入場チケットの対価は本来、完結し、精算されるべきだ』 しかし、サポーターとファンは別物です。ファンという消費者ではなく、当事者であるサポーターとチームの関係は、ホイッスルが鳴った時点で精算されたりはしません。 端的に言えば、 ふがいない試合を見て、「金返せ」と怒るのがファン。 ふがいない試合を見て、「金返せなくなる」と怒るのがサポーター。 ところが巷には、サポーターをファンの別称としてしか理解できない、この朝日の記者のような者や、ゴール裏での声の大きさやブーイングの是非など、スタジアムの中の狭い局面の中でしか、サポートを語れない者が大勢います。残念ながら、それらが半ば常識になっています。しかし、本来、サポーターのサポートとはそんな浅く、狭いものではない。 日本には多くのスポーツチームがありますが、コンサドーレ札幌のサポーターほど、サポートという言葉を深いところで受け止めることのできる者はいないと思います。 北海道にコンサドーレ札幌というプロチームができてから10年あまりの歴史しかありませんが、このクラブのサポーターほど「サポートとは何か」という問題を次から次へと、突きつけられてきた存在はありません。激動の歴史の中で、淘汰され、鍛えられてきたサポーターが私たちなんだと思います。 さて、今まさにコンサドーレ札幌は創立以来、何度目かの存亡の危機にあります。 私たちは、私たち一人ひとりが、自分のできる範囲の中で精一杯、チームを、クラブをサポートしましょう。 私たちが私たちであること、そのことがコンサドーレ札幌を救うと思います。
2007年08月18日
たわいない話なんですけど。 みなさんご存じのJSゴール。京都戦のレポート 『Jリーグ開始以来の西京極での未勝利記録を打ち破る、嬉しい金星を手にした札幌。しかし、曽田雄志、ダヴィが累積警告で次節出場停止となる。次の室蘭での湘南戦、正念場となるだろう。』 http://www.jsgoal.jp/news/00053000/00053084.html 嬉しい金星で、次の室蘭が正念場なんですって!。 このレポーター。よっぽど札幌に負けたのが悔しかったんだろうな。 で、プレビューは元USの斉藤宏則 さん。 『三浦監督の指導の下、チームが一丸となって目指すサッカーに取り組み、開幕戦と同じ西京極で今度は逞しさと力強さを示してみせたのだ。』 http://www.jsgoal.jp/news/00053000/00053122.html と、多くを京都戦にさき、淡泊なレポートを穴埋めしてくれました。パチパチ。
2007年08月17日
鮮やかな勝利でした。 京都には勝てない時代が続き、苦手意識から苦戦を予想していました。 しかしやってみれば、2-1からの鮮やかな逆転劇。敵将からは『そういうのも含めて首位・札幌とは現時点で差があったように感じます』との言葉がありました。 数年前、昇格街道を走る京都や川崎などに挑戦して、今日明日の努力だけでは届かない深いものを感じたときに、この言葉を吐いたものでした。年間に5勝、1年通してわずか30の勝ち点しか稼げなかった時代のことを思い出すと、考え深いものがあります。 個人的な感慨はさておき。 北国にある札幌の弱点の一つは、本州の湿度の高い夏の暑さだと言われていました。今節は、暑さの厳しさで知られるアウェイの京都盆地。それも、「大文字焼き」のため午後5時20分キックオフと、札幌にとって不利な条件がそろっていました。 ゲーム開始時になっても気温は33度を超え、両チームの動きは、酷暑に苦しめられたアジアカップの参加国を彷彿とさせました。 しかし、実際にゲームが始まると動きの鈍いのは、熱さになれているはずの京都でした。ギクシャクした京都を尻目に、札幌は始終ゲームを支配し続けます。 後半に逆転されましたが、札幌の選手は慌てるそぶりも見せず、冷静にギアを上げてアクセルを踏み込み、京都ゴールに殺到。数分のうちに逆転してしまいました。熱さに弱い札幌に、後半30分から立て続けにゴールを奪う余力など、残されいなかったはず。 どうしてか。 これは私の素人意見ですけど、三浦サッカーは夏の酷暑に親和するんだと思います。 三浦サッカーは相手を膠着状態に追い込むサッカーです。前半はできる限り失点しないようにし、勝負の山を後半に持っていきます。この膠着状態を作り出すローリスクな展開が、酷暑の中で体力消耗を避ける展開とよく似ている、という事じゃないかと思うんです。 つまり、相手にすると天候を意識して、これまでに継続してきたサッカースタイルを省エネスタイルに変えるわけですが、札幌にすると雪残る時からずっと続けてきたスタイルがそのまま夏の酷暑に対応するわけで、特に変える必要がない。そこに一日の長があるわけです。 実際、特に前半はロングボールを主体とした同じようなサッカーを両チームが展開しましたが、京都がギクシャクしていたように見えたのに対して、札幌はノビノビとやっているように見えました。ギクシャクが生み出す疲れが後半の逆転を招いたと。 どうでしょう。
2007年08月16日
今回の「白い恋人」事件について書きますが、とても衝撃的で、やりきれない気持ちでいっぱいです。 石屋製菓の今回の失態は、食べ物を扱う会社としてあまりにも杜撰でお粗末。ミートホーム並みの厳しい社会的な制裁も当然という気持ちがひとつ。 わが愛するコンサドーレ札幌への同社の影響力の大きさからくる憂慮。石水社長の存在感の大きさがコンサドーレ札幌を支えているという一面と、運営会社HFCの複雑な構造と石屋製菓の存在がある種の制約になっているという側面も確かにあります。これがもう一つ。 そして、現実的に今回の騒動が中長期的にクラブに与える影響が見えないこと。そこから来る焦燥。これらがまぜこぜになって気持ちの整理ができません。 一つ確実に言えるのは、この事件で私は客観的な第3者にはなれないと言うこと。客観的第三者ならば、 石屋製菓の行為はミートホープと同列でありHFCは毅然とした態度を示すために石屋製菓にスポンサーから降りてもらうべきだとか、石屋製菓依存体質を改め経営を近代化する好機である、とか・・・ いくらでもカッコの良い発言ができるでしょう。 しかし、私にはそのような発言はできない。それはすなわち、私個人にはハリの先ほどの影響力もないとしても、私は、フロント、選手、スポンサーと並ぶ「当事者」の一人であるからです。 自分の親類縁者、または親しい知人が犯罪を犯した。そのとき他人事のように格好良く、犯罪を犯した者を断罪できますか? すなわち、自分はファンではなく、サポーターであるということ。 このことを今回の事件を通して改めて確認しました。
2007年08月15日
わが札幌がセレッソに完勝した同じ日、昨年まで同じリーグで死闘を繰り広げていた横浜FCが横浜FMに1-8という屈辱的なスコアで負けました。 昨年、2位と大きな差を付けてJ2を制し昇格を果たしたものの、19試合戦ってわずか3勝。断トツの最下位で、降格の危機に瀕しています。 横浜FCのことが気になるのは、J2で首位を走るわが札幌と良く比較され、たとえ札幌が来期J1に上がったとしても、横浜FCの二の舞とよく言われるからですね。 33節を終えての成績は 勝点 勝 分 負 得点 失点 得失点 横浜FC 56 15 11 4 33 15 +18 札幌 65 19 8 3 46 20 +26 確かに両チームとも失点が少なく、守備の安定で勝ち点をかせいできたことは共通しています。そこで、札幌は06年横浜のようなJ2の戦いに特化した守備重視のチームだから、横浜が苦戦しているのと同じようにJ1上がっても保たない、と言われるわけです。 わがチームのことなので贔屓目120%なのは承知の上で「同じにしてくれるな」と言いたい。(それよりも、来年のJ1の心配ができると言うこと自体が、アレなんですけどね) 07年横浜FCと07年札幌の一番の違いは監督です。高木監督はたしかに06年J2で優秀な結果を残しました。そうであったとしても、監督経験がようやく2年目に入ったところ。成功体験しか持たずに、想定外の状況からどのようにチームを立て直していくか、という引き出しがやっぱり少ないと思いますね。 高木監督は、大敗した19節のダービーマッチでは、新加入の外国人選手2人をいきなりダブルボランチで起用したそうです。J1に上がってからの横浜FCは、戦力うんぬんの前に、チームとしての経験不足が、いろいろな空回りを生み、必要以上に成績を落としているように感じます。 その点、うちの三浦監督は年齢こそ若いものの、かずかずの修羅場をくぐり抜け、J1の経験も十分。クラブも恥ずかしながら2度の昇格と降格を経験し、横浜FCよりは何をすべきかが分かっているだろう(と思いたい)。 決して優勝するとは言いませんが(2002年の開幕前にJ1優勝を宣言した副社長さんがいましたな)、降格を防ぐのが精一杯だとは思いますけど、もしあがったら、横浜FCさんよりは、カッコつくんじゃないかと思うんですけど。(だんだん弱気になってきた)
2007年08月12日
「完勝」という言葉が似つかわしい試合でした。 1点目は高い位置で奪ってからの西谷の左クロス。このこぼれ球を藤田がきれいに決めたもの。 2点目は、セットプレーからのバー直撃の跳ね返りを、ダヴィが決めたもの。 3点目は、中盤から西谷がミドルを放ち、相手に当たってゴールに吸い込まれたもの。 スーパーな選手のいない(ひょっとすると曽田はスーパーに指先がかかっているかもしれないが)札幌が、得点を取るために狙ってきたパターンのすべてが披露されました。また守ってはブルーノがいないにもかかわらず、セレッソにチャンスらしいチャンスを与えず完封。今年一番の会心のゲームだったと言えます。 一方、セレッソは、2度ほどオフサイドにかかった惜しいチャンスがあったものの、決定的なのはそれだけ。比較的、ボールを支配する時間があったけれども、支配というよりもいかにも持たされている、という感じで、可能性の乏しいクロスやシュートを闇雲に打つばかりでした。 早めにスピードのあるクロスを入れてくるのが目立った他は札幌を意識した対策らしい対策を感じませんでした。セレッソは、札幌と戦うにあたってほとんど対策をしてこなかったのかな、と思います。 監督が替わってセレッソは次第に調子を上げ、前々節は3位の仙台を下し、前節は2位の京都を下しました。クルピ監督としては、札幌の2敗は前監督時代のもので、監督が変わって生まれ変わった今ならば、特別な対策を立てずとも、普通にやれば普通に勝てると踏んでいたのでしょう。 セレッソはすでに札幌に2敗していますが、いずれも都並監督の時代。クルピ監督になってからははじめての対戦でした。クルピ監督に札幌と戦った経験があったのならば、また別な対応となったかもしれません。 そしてそのクルピ監督ですが、前節に退場処分を受けため、ベンチに入れませんでした。これも試合展開を左右したと思います。2点目を決められた後に森島を、3点目を入れた後に苔口を、後半の34分になって、これもFWの丹羽を入れるなど、対応が後手後手で、点数が欲しいからと言ってFWばかり次々と投入する采配は、素人のやるサッカーゲームのようでした。 実際、FWが4枚になったからセレッソの攻撃力が増したかというと、そうではなく、決定的な場面ではFW陣の独りよがりのプレイが目立ち、攻守のバランスが崩れたため札幌の逆襲を浴びて、バタバタしたままホイッスルを迎えました。 セレッソは間違いなく力のあるチームですが、第1クール、第2クールでのクルピ監督の不在。そして今節でのベンチ入り禁止。2つの監督不在が影響を与えたように思います。
2007年08月11日
カメラ復帰。 ドームのセレッソ戦に間に合いました。 観戦記は後ほど。 ドームの中は個人的に写真が撮りにくく、外の 北海道らしい涼しげな写真で、しばし涼んでください。 PS オオドサさん、良かったですね。
2007年08月08日
忘れていた頃に(本当は忘れていたんですけど)復活する連載です・・・ 1993年5月のJリーグ開幕で、強烈な印象を私に残したのは、他に先立って行われたヴェルディ川崎対横浜マリノスの一戦ではなく、その翌日、5月16日に行われたカシマスタジアムでの鹿島アントラーズ対名古屋グランパスの一戦でした。 マラドーナをテレビで見てからサッカーを気にかけるようになっていた私は、洋楽、とくにブリディッシュロックのマニアだったこともあって、ライトな海外厨でした。読売対日産の伝統の一戦と言われてもぴんと来ませんでしたが、日本で最初のプロサッカーリーグで、ワールドカップを彩ったきらびやかな外国人スター、ジーコ、リネカー、リトバルスキーらがプレイするということだけでも、興味津々でした。 なかでもジーコは、伝説のブラジル黄金のカルテットの中心選手であり、私のアイドルだったマラドーナに勝るとも劣らない名声を誇っていました。また、リネカーは、メキシコワールドカップでマラドーナが見せた神の手、5人抜きの相手方の中心選手で、この大会の得点王だったのです。 そんなことから、93年サントリーシリーズ第1節、鹿島対名古屋の一戦を、アルゼンチン対イングランドの再戦のような思いで迎えたのです。 この時のジーコは本当にすごかった。 ジーコは白いペレと言われた世界の名選手です。しかし90年に現役を引退し、日本に来る前は、ブラジルのスポーツ大臣になっていたといいますし、Jの開幕時は40歳です。全盛時の姿は到底望めないと思っていました。しかし、この日のジーコの活躍は、私の予想をはるかに超えていました。 鹿島アントラーズの5得点のうち3得点がジーコ。なかでも2点目のダイビングしながらかかとにダイレクトに当てたボレーには鳥肌が立ちました。その後、バーを直撃したフリーキックによる1点も、「バーのあの部分に当てると下に落ちて得点になるので狙った」というインタビューを聞いたときには、驚きを通り越して唖然としました。広大なゴールマウスにボールを入れるのにもヒィヒィしているどこかのチームもあるというのに、遠く離れた場所からクロスバーの数センチ、数ミリという場所を狙って当てたというのです。 まさに、86年のアステカスタジアムにあった驚と感動、それと同質なものがこの日のカシマスタジアムにはあったのです。(リネカーが蚊帳の外だったのも同じでした) こうして日本中の多くの人たちと同じに、気が付けば私もニワカワッカーファンの一人となっていました。そして、「好きなチームは?」と聞かれれば、おそらく「アントラーズ」と答えただろう、ライトな鹿島ファン(サポではありません)になっていました。
2007年08月06日
まず、下をお読みください。これはJsゴールの仙台対水戸戦のレポートの一節です。なかなか興味深いですね。 『逆説的ながら、このアクションサッカーは、昨年までの守備サッカーと組み合わせることで、その効果がより表れることとなった。この仙台戦などはまさにそのもの。序盤守備を固め、攻勢に出たところでしっかり先制点、一度統制が乱れ同点に追いつかれるものの、後半はペースを変えられない仙台を尻目に、ブロックを作り仙台の攻撃を跳ね返したと思いきや、相手の足が止まった頃合いを見逃さずにサイドから攻め込みチャンスを作る。』 http://www.jsgoal.jp/news/00052000/00052532.html 上を札幌的に言い換えると、 『逆説的ながら、このゾーンデフェンスは、昨年までのアクションサッカーと組み合わせることで、その効果がより表れることとなった。この草津戦などはまさにそのもの。序盤守備を固め、相手が攻勢に出たところでしっかり先制点。一度も統制が乱れることなく(本当は前半の立ち上がりに乱れまくりでしたけど)、後半はペースを変えられない草津を尻目に、相手の足が止まった頃合いを見逃さずにサイドから攻め込みチャンスを作る。』 前節の札幌対草津戦、まさに上の通りの試合でした。 と、書くと格好いいんですが、実際の札幌の選手は、連戦の疲れか、熱さか、分かりませんがエンジンの掛かりが遅く、立ち上がりにバタバタとし、いつもならば反撃モードにはいるはずの後半の立ち上がりになっても動きが鈍い。勝利よりも引き分けや敗戦の方が現実的でした。(ここ数試合、本当に疲れを感じます) しかし、この試合、すごかったのが高木。文句なくMVP。単に決定的なシュート何本か防いだという以上に、古巣相手に、めらめらと立ちのぼる闘志が、体の重い味方の心にも火を付けて後半の反撃を生み出しました。 キーパーがゲームメイクした試合というのを、久々に見た思いがします。
2007年08月02日
前の記事のオオドサさんのコメントへの返信ですけど、 オオドサさんが見たのってこんな感じでしょう。 オオドサさんは見たんですか。私はチケットが手に入らず、 市民会館のパブリックビューイングで、イングランドサポと一緒に見ました。 (しっかし写真に写っているこの大勢のイングランドサポは、 チケットもないのにわざわざ札幌まで来たんですね)
2007年08月01日
カメラが入院中なので(レンズ合わせて修理代4万5000円!!) 昔の写真から1枚です。 今日のは、外国に行ったときの思い出の1枚でなく、 2002年6月の札幌大通公園です。これは日本です。 札幌で見かける白人って、エリートビジネスマンだったり、学会出席の学者さんだったり、知能の高そうなジェントルマンじゃないですか。だから、子供心に白人の人には、飲んだくれの、ろくでなしなんていないんだろうな、と思ってました。 でも、この日は普段札幌で見かけないような白人ばっかりで、さすがにサッカーは労働者階級のスポーツだなと思いました。 (写真がないとアクセスが下がりますね。結構見ているのかな。このシリーズはまだ続きます)
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
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