2008年08月31日
水曜日、仕事が圧して厚別に行けずに、試合を見ないまま帰宅。夜に録画をリプレイすると、なんと録画失敗。(あまり情熱的ではない家人に録画を電話で頼んだんですけど、めんどくさそうだったもんな) 結果がわからず、やきもきしながらパソコンを立ち上げて確認しました。チャンピオンチームのガンバ相手なので、前節の調子を見ると3-0,4-0の大敗もあるか、と思っていました。もしそんな結果ならば、これはもうチームが壊れてしまった状況なので、監督更迭だろうと。 しかしその一方で当然、勝ちという望みもありました。しかし勝つとしたら1-0ぐらいで、セットプレイかなんかで奪った点を、全員が守りきるような試合だろうと思っていました。 そして見ると3-3の引き分け。これまったく想定していなかった結果なので、ビックリしたのが第一印象。そして、次に「3点も取れるのならば勝っちゃえよ。どうして勝ち点1なの」という気持ちがおきました。そして再放送を見たのが昨日のこと。 つまり、ようするに審判によって勝利を奪われた試合だったのですね。録画を見て、ようやく溜飲が下がりました。 とはいえ、実際には高木と藤田のとんでもないミスが無ければ勝っていた試合なので、審判の不可解な判定は本質的な問題ではありませんね。後半に決定的なミスで勝ち点を逃した藤田ですが、それまでは対面する日本代表の安田に堂々と挑み、決定的なクロスを配球していました。良いも悪いも含めてもっとも印象に残った選手でした。 さて、前の試合でかなり凹んだ私は、この試合の状況如何によっては、監督に対する考え方を切り替えたいと宣言したわけですが、録画を見終わって、もうすこし猶予を与えたいという気持ちになりました。 それぐらいテレビ画面を通しても選手からは気持ちを感じましたし、試合後の遠藤のコメントにも「相手も気持ちが入っていたので仕方がない部分もあったとは思う。」とあります。 戦術的には、連戦の疲れか、勝てないことからの萎縮か、パフォーマンスが落ちていた芳賀を下げたこと、中山のサイドを諦め、砂川を入れて、藤田と二人で再度攻撃を徹底させたことが好パフォーマンスを呼んだのでしょう。前節に、足を引っ張ったアンデルソンもそこそこ気持ちが見られました。 また、前節、まったくプレスに行けなかった中盤も、積極的でかなりセカンドが奪えていました。個人的にファンである上里の元気な姿が見れたのも嬉しかったです。 しかし、今札幌が置かれている状況からすると、勝ち点を2失ったことには変わりなく、この中断期にモチベーションをさらに高めて、次節には勝ち点3を奪ってほしいものです。
2008年08月27日
明日のガンバ戦も見に行くことが出来ません。 がんばれば、終了間際に会場入りできるか、というところです。 前のエントリーでも書いたように、残留する、しないは別にしても、この試合は大きな試金石になると思います。 これまで見てきて思うのは、三浦札幌が特に弱いのは、テクニカルにボールをまわすチームでした。前節の横浜の巧妙なパスまわしに全くついていけず、奪いに前に出るのでもなく、引いてかんぬきをかけるのでもない、中途半端な位置取りで、相手に自由にパスをまわされてしまったのでした。 こうしたパス回しでは、ガンバは横浜よりも上です。同じようなタイプのチームに、まったく策もなく、同じような展開で、破れてしまったとしたならば、さすがに、監督にはNGを出さざるえないでしょう。 起きてしまった過去は取り返しがつかないとするならば、そこからどのような教訓を引き出し、どのように次につなげるかしかないと思うのです。横浜では相手にいいようにパスをまわされましたが、ガンバが同じように巧妙にパスをまわすことが予想できる以上、たとえ準備期間が短いとしても、何らかの策を施し、相手に思うがままさせない。これができれば、たとえ勝ち点をとれなくても、三浦さんに対しては一定の評価ができると思うのです。 しかし、横浜戦とまったく同じような展開、つまり、中途半端な位置取りで、相手のパスまわしに振り回されるだけだったならば、これははっきりと監督には、リカバリー能力がないとして、解任やむなしと思います。 相手は優勝候補のガンバではありますが、選手、監督の奮起を期待したいところです。
2008年08月24日
今期最悪、というかこの数年見てきたなかでも、きわめて悪い試合。 前半10分こそ、期待させる動きだったけれど、その後、相手に徐々にペースを握られ、前半の半ばから一方的に攻められる試合展開。前半の展開はあえて我慢を重ねる作戦かと、後半に期待を寄せたけれど、まったく変化無し。 全般的に、中盤にプレスがかからずに、相手がいいようにパスを回す。奪ってもミスや相手のプレスで奪われて簡単に相手ボールになる。たまたま前線にけり込んでも、アンデルソンがまったく頼りなく、ボールが収まらない。 プレスに行くと、簡単にかわされて回されるので、プレスに行くか、行かないか迷い、中途半端な位置取りに。そしてよけいにパスを回される。シュートも打てず、頼みのセットプレイに持ち込めず。相手にいいようにされる時間が続く。 前の京都戦の終了間際の失点から気持ちが、切れてしまったのか。そうであっても、この1週間でモチベーションの回復を果たせなかった指揮官に、はじめて疑問符を抱きました。 この流れがズルズルと続くと間違いなく最下位での降格だし、こうなったら万が一の可能性にかける意味で、指揮官交代もやむなしか、と始めて思いました。 次節、強敵のガンバ戦。ホームで覇気のない試合となったら、真剣にこのことを考えましょう。
2008年08月20日
オリンピックは、男子のサッカーは、ナイジェリアとアルゼンチンの決勝でしょう。アルゼンチンは、ロナウジーニョのブラジルを3-0で下したんですよね。 で一方、日本女子は銅メダルがかかった3位決定戦ですね。サッカーでは今から40年も昔のメキシコオリンピックのときの銅メダルが金文字塔のように言われていますけど、女子が銅をとると、それ以来の快挙になりますね。 それはそれはそれで非常にうれしく、ぜひがんばってもらいたいんですが、そうなると、スポーツマスコミから、またまた男子日本代表が、メキシコオリンピックと比べられたり、ナデシコと比べられたりして、ますます蔑まれそうで、そこだけちょっと憂鬱。そうなると、フル代表にも影響して、ひいては男子サッカー界全体が低くみられてしまうような。 でもね。決勝まで行ったナイジェリアと1-2の僅差で破れたことは、40年前のオリンピックで銅メダルを取ることよりも、実は偉業なのかもしれないよ、という話を前のエントリーでしましたけど、ナイジェリアが2度目の優勝金メダルに輝いたら、そのあたりの話をしてみたい。 今、手元には日本サッカー史/日本代表の90年と言う本がありますので。 それにしても、決勝、一般放送でやってくれないかな。たとえ日本選手が金メダルを取ろうとも女子レスリングとか、トランポリンよりも(失礼)、こっちの方が見たいというのは、やっぱ非国民?
2008年08月17日
サッカーのダイレクトプレイというのは、ワンタッチでのボールコントロールのことではなく、ゴールにダイレクトに直結するプレイのことだといいます。ボールを持ったら、相手を引き出す、揺さぶる、焦らせる・・・というような回り道を極力排除して、ゴールに一番近づくプレイを選択するのです。となると、三浦札幌のサッカーの特徴は、超ダイレクトサッカーなんだと今更ながらに思いました。 おそくら三浦監督としても、ダイレクトサッカーに磨きをかけることで、J1残留はかろうとしたのだと思います。中断明けに長身のアンデルソンが入ったことと、中山が左サイドに起用されたことによって、前線でのポストが増え、一層、ダイレクトサッカーが明確になりました。 中断開けから、故障や累積警告でなかなかベストメンバーがそろわなかったんですが、今日の京都戦に久しぶりにベストメンバーがそろい、前半は、監督が思い描いたように、平均身長が180センチを大きく超える札幌のダイレクトサッカーが猛威をふるい、相手を圧倒しました。 さて札幌のダイレクトサッカーは、いわゆるカウンターサッカーとは異なるものです。カウンターサッカーは、あえてラインを下げ、相手を引き出してゴールとの間に巨大なスペースを作って、それを攻撃に利用するものですが、札幌のダイレクトサッカーはラインを高くするために、相手の背後にスペースが生まれません。札幌のダヴィの1点目は、きれいなカウンターの形になりましたが、これはたまたまです。 札幌は先制した時点で、ラインを下げてゴール前に選手を並べて、高さで跳ね返し続ける、という正真正銘のどん引きカウンターサッカーも出来たはずですし、結果を求めるならばそうすべきだったと思いますが、監督はやはり美学があるんでしょう、カウンターサッカーを選ばず、ラインを上げるダイレクトサッカーを続けたのでした。 ダイレクトサッカーの欠点の一つは、ラインを高くするために、デフェンスラインの裏を取られやすいということです。後半開始早々、この欠点を突かれて、同点とされてしまいました。今の札幌の問題は、ダイレクトサッカーに特化したため、これ以外の選択肢がないという硬直性でしょう。 さて、ダイレクトサッカーのもう一つの欠点は、攻撃がゴールへの最短経路ということですから、相手に読まれやすい、と言うことがあります。これを回避するために、札幌は、高さという読んでも防ぎきれないファクターに磨きをかけたんでしょうが、クロスの質に難があるために、高さでゴールを確実に陥れるところまでいたっていません。 前半から札幌の高さに圧されていた京都は、同点になったことで、あからさまに引き分けねらい入りました。相手が守りに入られると、札幌の攻撃は単調ですから、攻めあぐねます。 どうしても勝ちたい札幌は時間とともに焦りが高まり、変化を付けようと、高さのあるアンデルソン、中山を下げ、石井、砂川を入れることで、自らダイレクトサッカーを崩していきました。 アンデルソン、ダヴィ、中山の平均身長185センチのポストトリオが崩れたことによって京都は元気づき、終盤は撃ち合いの様相を呈しました。そして、京都の「勝ちたい」という気持ちと、パス、トラップ、ランの基本技術のクオリティが札幌を上回ってしまったのです。 今の札幌のサッカーは、J1J2を通じて他にない独自のサッカーで、それはそれで完成に近づきつつあると思います。しかしながら、これをそのまま伸ばすのか、それとも欠点を補うサブシステムを持たせるのか、という微妙なところの隙を突かれた一戦だったと思います。 いずれにしろ、昨日書いたように最後の結果はどうあれ、今必要なことは、自分たちのサッカーを強く信じることではないでしょうか。
2008年08月16日
明日の京都戦に備えて、今日、見に行けなかった大宮戦を見たんですが、印象としては以前に書いた >自分たちのサッカー、つまりは三浦さんのサッカーですが、 >これを90分通して表現できればみっともない負けはないでしょう。 >5試合やって、1試合勝ち、2試合引き分け、2試合負け、 >というようなレベルでしょう。 という印象を変えるものではありませんでした。 大宮戦は、勝っても、負けても、引き分けてもおかしくない試合で、たまたま負けたんですが、そうした試合が出来ていれば、札幌としては平常値だし、ダメ出しする必要は全くないと思います。 5試合やって、1試合勝ち、2試合引き分け、2試合負け が札幌のデフォルトだとすると、残りは14試合なので、最終的には27 前後なんです。札幌の持っている現有の戦力値からすると、だいたいこれぐらいなんですね。 これに個々の頑張りだとか、成長だとか、怪我人の復帰だとかの伸びシロが加わって、マックス33とか35。マックスを出して、つまり最善を尽くして、降格であれば、それはしょうがないじゃないですか。 もともとのチーム力が100のチームは、監督力や、選手のメンタル、成長なんかで、ひっぱってもせいぜい120とか130でしょう。そんなチームに200になれ、300になれと望んでもしょうがないですし、200になれないのは監督せいだ、というの言いがかりみたいなものです。 100のチームを200や300にするには、監督レベルではどうしようもなく、10億の強化費を20億、20億にするとか、強大なスポンサーを獲得するとか、ワールドクラスの助っ人3人連れてくるとか、なにか根本的なところにミラクルがないとなりません。 ところが、やっぱりサッカーはメンタルスポーツですから、普通に戦っていけば勝ち点30内外になるのに、ちょっと負けが先行すると自信を失ったり、下から追い上げられると立場を見失ったりする。100のチーム力を倍にするには大変な努力が必要ですが、半分の50には簡単になることが出来る、というのがサッカーです。 そして次の 明日の京都戦ですが、負けると3連敗です。どっちみち今の実力ではめぐりによっては3連敗ぐらいは普通にあるんだけど、ホームでの3連敗、最下位というのは、普通のこととして受け止められるにはすこし刺激的なので、目先の結果しか見えないマスコミのネガティブキャンペーンを防ぐ意味からも、明日は勝っておきたいですね。スポーツマスコミは、オリンピックモードで、平常心を失っているので、負けると鬼の首を取ったように書き立てると思うよ。 アウェイの新潟戦は完全に熱さにやられたようですし、テレビを見る限り大宮戦も、勝ってもおかしくない試合だったので、チーム状況は別に下がっているわけではないので、ここを耐えれば、9月になり、アウェイの気温も下がってくると、怪我人も復帰し、もうすこし状況がよくなるようにも思うんですよね。
2008年08月14日
これが今日、書こうと思っていたホンチャンです。あえての極論ですが。 日本のサッカーは世界との差を必ず縮めないとならないのか。ということをあえて提起したい。 今日のオランダ戦。良い試合していたと思いますよ。ところが、試合後の監督インタビューにこんな質問が、 >欧州のチームなどとはまだ大きな差があると思う。どうやってその差を埋めるのか?http://sportsnavi.yahoo.co.jp/special/beijing/soccer/japan/text/kaiken/200808130015-spnavi.html どうしてこんな質問を、他でもない監督にするんだろうか。 日本人と欧米人のフィジカルの格差が元々あるところに、欧米には日本とは比較にならないど、サッカーについての歴史と文化の広がり、積み重ねがありますよね。その中で動くマネーやマンパワーも日本とは桁違いだし、日々行われている競争も桁違い。こうした圧倒的なサッカー文化の蓄積の中で、日本が進歩する以上に、欧米はもっと進歩する。 日本がオランダなどのトップカントリーに追いつくには、まずアジア全域のレベルがヨーロッパ水準になり、常に国際間で、激しい競争が行われること。そして国内では、サッカーがダントツの人気スポーツとして君臨し、運動神経のすぐれた子どものほとんどが無条件にサッカーを目指すこと。 スポーツジャーナリズムは、お祭り騒ぎやムードに流されずに、サッカーの本質を正しく伝え、観客の観戦眼のレベルは高く、良いプレイ悪いプレイに的確な反応を示すこと。芝のグランドが普通にあるような、どんな小さなまちにもクラブチームがあるような、サッカー的な文化がひろく社会に浸透していること。すくなくとも北京五輪では、日本とは関わりなくとも、ブラジル、アルゼンチンの試合が、一般放送で放映されていること。 イタリヤでは、ワールドカップ期間中は重要な会議をしないことを国会が議決したけど、イタリア、ブラジル、スペインといったトップカントリーは、国全体の中に占めるサッカーの地位が極めて高い。このような社会的な諸条件、社会的な認知が整って、始めてトップカントリーを目指せるんだと思う。 では、日本がそんな状態かというと、まったくそうではないでしょ。サッカーについていば、日本はニワカでしょ。少しのことをやったぐらいで、簡単にトップカントリーに追いつけるほど、サッカーは浅くないと思う。 もちろん、チーム力の向上、国のレベルアップを目指すことは当然のこと。出た大会で少しでも上の順位を目指すのは当たり前の話。 それでも日本のサッカーは、スコットランドとか、オーストリーとか、おそらくヨーロッパの中小国レベルにはあるから、それで十分なんじゃないのかな。たまにアトランタのような、番狂わせを起こせば、十分。すべてのスポーツが世界レベルを目指す必要もないし、レベルに達していないから価値がないと言うことでもないと思う。こういう考えってダメなのかな。 おそらくサッカー文化の根付いたスコットランドや、オーストリーでは監督のさじ加減でトップカントリーに追いつけるほど、サッカーは底の浅いスポーツではないことを知り尽くしているので、記者が監督に「欧州のトップレベルのチームとの差を、どのように埋めるのか」という馬鹿な質問はしないと思う。 もっとも問題は「世界とは何か」ということなんだけど。世界のトップスリーの常連になっていなければ「世界と差がある」という認識は改めるべきだと思う。世界の30番目でも、40番目でも、ノーマルにサッカーが楽しまれていれば、そこに「世界との差はない」と思う。 ところで、私が「日本のサッカーは世界に追いつかないといけないのか」という命題にこだわるのは、これが秋春制への移行に、どうも結びついているようだから。 サッカー協会のお偉方が、何が何でもトップカントリーに追いつかないとならないと強い強迫観念を持っているならば、秋春制への移行は避けて通れないものなのかもしれないけど、シーズンだけを動かしたからと言って、日本がキャッチアップできるほどサッカーは浅いものではない、と思う。 むしろ、はっきりとトップカントリーへのキャッチアップをあきらめて、独自の道を進んだ方が、逆に近道になるように思うんだけど、どうだろう。
2008年08月13日
これは一つ前のエントリーのオオドサさんへコメントなんですけど、上げてしまいました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー オオドサさん 貴重な裏話、ありがとうございました。 なるほどね。ところで、マラソンの野口みずき選手が、肉離れで欠場を決めたじゃないですか。 トップアスリートの人が、ああしたフィジカルのトラブルで、大会を欠場することはすごく普通のことですよね。サッカーを長年、見ているからか、普通に思えるんですよね。 むしろ一流であればあるほど、周囲の雑音に惑わされず、勇気を持って退くというところで、僕も残念とは思いましたけど、さすがにトップアスリートらしい決断だなと思いましたけど、マスコミはそうじゃないらしいですね。 例えば、今日のYahoo!スポーツだけど、「野口が所属するシスメックス女子陸上競技部の藤田信之監督(67)には今後、“大舞台を前に野口を壊した男”のレッテルがつきまとう。」とあります。 http://beijing.yahoo.co.jp/news/detail/20080813-00000009-ykf-spo “壊した男”のレッテルがつきまとう。こういう客観を装った書き方がすごく嫌だな。レッテル張っているのは、記者さん本人なのに。 私は思うけど、大舞台のプレッシャーから選手を守った監督の勇気ある決断として、「大舞台を前に野口を守った男」として賞賛されるべき行為だと思うんですけどね。 この国のスポーツジャーナリズムが、藤田監督の勇気ある決断を賞賛する日は、いつ来るんでしょうか。
2008年08月13日
ついさっきまで職場のテレビは、サッカー女子日本代表の試合を放映していました。強豪相手の記録的な大勝ということで、テレビを囲んだ同僚たちからも盛んに歓声が沸いていました。そんな声を背中で聞いていた私は、「お前たち、いつからそんなにサッカーが好きになったんだよ」というあまのじゃくな気持ちになったのですね。 思わぬ失点を取り返そうとバランスを崩して点とりにいった結果、次々とカウンターを受けてしまうという、サッカーでは良くある展開で、5対1という点差ほど、日本の力が相手を上回ったわけではありません。実際に、リーグの順位表を見ると、大勝したわりには3位で、男子ならば予選敗退です。 でも、なぁ、これからナデシコ、ナデシコ、と世界最強チームのようにマスコミは持ち上げまくるんだろうな。 一方でナイジェリアに敗れて予選敗退となった男子チーム。これは昨日のサンスポの記事だけど 『東京・文京区の日本サッカー協会には、五輪男子日本代表(反町ジャパン)の1次リーグ敗退から一夜明けて数件の苦情電話が寄せられた。広報担当は「電話の数は初戦の米国戦(敗戦後)よりも少なく、内容も過激なものはなかった」。日本サッカー界にとっては無念の結末も、ファンの関心は意外に低かった?』 ファンの関心が低いのではなくて、試合内容が充実していたから「電話の数は初戦よりも少なく、内容も過激なものはなかった」という当たり前の視線はないの。 それにしてもここの新聞7日には「68年メキシコ大会銅以来40年ぶりの五輪メダル獲得を狙う男子サッカー日本代表」と書いているけれど、アマチュアしか出場が認めれていなかった昔のオリンピックでメダルを取るよりも、昨日のナイジェリアから勝ち星を取る方が難しいかもしれないよ。 スポーツ観戦は好きなんだけど、オリンピックになると、毎度毎度、特有の現実歪曲空間が出現するんですよね。そして4年に1回だけのニワカ柔道ファン、ニワカ水泳ファン、ニワカ体操ファン・・・ニワカサッカーファンが大量に出現して、それで、ちょっと引いてしまうというのか、なんだかなというのか。
2008年08月03日
Jリーグを秋春制にシーズンを変えることが話題になっています。ここはコンサドーレ札幌のブログですから、このことで議論するまでもないと思って、コメントは抑えていました。 ところが、ここではない某所のブログをたまたま見ていて、北国の立場からはあんまりな意見があったので、コメントをしたのですね。頑張って書いたので、もったいないからここに私のコメントだけ、加筆の上、再録しました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ご返答ありがとうございます。 せっかくですから、北国に住むものとして再度言わせていただきましょう。 まずは人工芝ですが、怪我しやすし、特に滑ったときの摩擦で火傷をしやすい、という欠点があり、未だに克服されていません。芝は生き物ですから、すり減っても、自然に再生しますが、無生物である人工芝は自然に再生はしません。 さて○○さんの主張は、「雪国は人工芝を使えばいい」ということかと思いますが、日々の練習環境が人工芝しかないようなクラブに、将来有望な選手が入団してくれるでしょうか。ここでも、雪国は決定的なハンディを背負ってしまうのですね。 さらに札幌の場合は1月、2月には一晩に数十センチの雪が降ることも稀じゃないですね。そうした雪を水で溶かそうと思えば、溶かした後のピッチは、水浸しでまともな状態ではないでしょうね。またこれだけの面積の除雪には莫大な熱量が必要とされます。ごくわずかな降雪のあるところでは有効なのでしょうが、ヨーロッパでも、積雪寒冷地では春秋制である、ということを忘れてはなりません。 「強くするなら金を惜しまずに投資するのは当たり前」おっしゃいますが、雪の克服は、強くするための投資ではないんですよ。スタートラインに並ぶための投資なんです。雪のないところのチームが、次のゲームに備えて、練習でフォーメーションのチェックをする、というのは何でもないことでしょう。 でも、雪国では、たかだかかこのために、何十億、数百億の投資が必要だったりするのですね。サッカークラブの経営努力で跳ね除けられるほど、自然は甘いものではありません。 そしてその上に、ようやく「強くするための投資」があるんです。そこまでしてサッカーに金を出すところが、雪国にありますか?。つまり、秋春制というのは、事実上、サッカーのトップヒエラルキーから、日本の総人口の20%、約2800万人が暮らす積雪寒冷地を排除することなんです。 どうも秋春制の支持者の方は、今現存する雪国クラブ(札幌、山形、仙台など)だけが、何とかなれば良い、というような視野の狭いお考えのようですね。 Jクラブというのは、日本のサッカーヒエラルキーの頂点で、Jクラブの下には何百、何千というサッカークラブがあるんです。たまたたま頂点の恵まれたクラブだけが、奇跡的に雪を克服する投資を受けられたとしても、その下にある多くのクラブ・チームは、雪の中に閉じこめられたままなのです。 社会福祉ではノーマライゼーションという考え方があります。ハンディを持つ人と持たない人が、お互いが特別に区別されることなく、社会生活を共にするのが正常なことであり、本来の望ましい姿であるとする考え方です。そして世界の社会福祉は、少しづつこの方向に向かっています。 サッカーにおいて、雪というのは著しいハンディです。Jリーグが、雪国のことを考慮して、春秋制を導入しているのは、スポーツのノーマライゼーションという観点から見て、先進的であると思います。ノーマライゼーションが、社会福祉を超え、スポーツの分野に広がるのならば、サッカーはむしろ春秋制に進んでいくこの方が進歩だと思います。 FIFAの世界統一カレンダーが春秋制を念頭に置いているというのに、100年構想というすばらしい理念を掲げた日本サッカー協会はなぜにスポーツのノーマライゼーションから後退する道を選ぶのでしょうか。 日本サッカー協会が、本当になすべきは春秋制による世界統一カレンダーの推進ではないのですか。
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
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