2008年10月28日
今更だから川崎戦のことは置いていて、あの試合でUSが応援拒否をしたそうです。 こうしたときに、厳しいサポ、甘いサポという議論が必ず出る。 いわく、コンサドーレの甘い応援が選手を甘やかせている。仲良しクラブでは戦う集団にはならない。選手にとってサポは恐ろしいものでありたい。 確かに、柳下さんの時に、時には厳しく接してほしいという要望を上げていたことを思い出すと、応援にも厳しさは必要なのだと思う。 しかし、と思う。 ふがいない負け試合の後で行われる拍手が、実際にはどれくらいの悪影響を与えているのだろうか。拍手でなくてブーイングであれば、選手は目の色を変えて、試合に望むのだろうか。プロの選手というのは、拍手とブーイングで、試合に望む態度が変わってしまうような人種なのだろうか。 ちんたらしても拍手してくれるので、ちんたらしても良いんだ、と思う心理があるというけれど、どんなに逆境に追い込まれようと、あたたかく受け止めてくれる人たちのために自分は頑張るという心理だって、まったくありえない心理ではない無いと思う。 怒号渦巻く殺伐としたスタジアムを嫌って、札幌から離れてしまう人もいるのではないか。それは巡り巡って、強化費に反映するのではないか。 全部足して比べると、果たして、どっちが強化に役立つのだろうか。 もう一つ、選手にサポは厳しく、という見解の裏には「自分は金を払って観戦しているお客様だ」という消費者意識があるように思う。プロとして、客の支出に見合う満足を提供できなければ、クレームされても当然というような心理。 とこで、サポとは名乗るもののほとんどは(自分も含めてですが)、実際上コンサドーレ札幌がどうなろうが、実生活に影響が及ぶものではありません。降格したからと言って、サポであるあなたや私の職が奪われるわけでも、進学や進級が止められるわけではない。 生涯サポと名乗りながらも私にしてから、一日の内でコンサドーレに思いを巡らす時間はせいぜい総計数十分。一方、選手というのは、生活のすべて、将来設計のすべてをサッカーに捧げている。 たかだか数千円、年間で数万円の金を出費したと言うだけで「甘えるじゃない、お前たち」と上から目線で言葉を吐き付けたならば、その言葉が人生のすべてをサッカーに賭けている者たちに聞こえたならば、チームに緊張感を与えて戦う集団にするという所期の目的とは外れた、あまり芳しくない結果が生まれるようにも思う。サッカーとか、プロとかアマとかは別にして、人ってそういうことには敏感だから。 これは私の個人の意見だけど、「厳しいサポ」というのが容認されるのは、常勝を義務づけられた一握りのビッククラブで、クラブの目標が「存続」に近づけば近づくほど、「厳しいサポ」というのはマイナスな存在になっていくと思う。 スタジアムの中には甘さがプラスになる境界線、厳しさがプラスになる境界線があると思う。それを見間違えると、甘さをも、厳しさもマイナスになると思う。
2008年10月25日
19日から続けてきた降格を受けた一連のエントリーの締めくくりです。 日韓ワールドカップのあった2002年には、いろんなサッカー本が出ました。中には、フーリガンの恐ろしさを煽り立てるようなものもあったんですが、ある本を興味本位に買ってしまったんです。その中にあったイングランドのフーリガンの言葉が忘れられません。 「俺にとってクラブは血を分けた子どもなんだ。お前は、お前の子どもが出来の悪い劣等生だからと言って、見捨てることができるか。できないだろう。それと同じさ」 とどのつまり、そういうことなんだろうと思います。強いチームを応援したければ、浦和のサポになればいいのです。実際に、道内には浦和サポはいっぱいいます。 でも、残念ながら浦和と私の間には血の繋がりがない。 ただサポとクラブの関係が親子と違うのは、親子が一対一の、ひょっとすれば話せば変わる関係なのに対して、サポとクラブの関係は多数対多数。しかも、サポはあくまでもサポという象徴的な存在でしか無く、実際の親のように子どもに手を愛の鞭を振るったり、小遣いを減らしたりと、具体的なアクションはできません。 実のところ、私個人がいくらHFCはかくあるべきだと熱弁をふるっても、現実的に、私の提言なり意見が、取り上げられることはありません。コンサドーレのことを真剣に考え、たとえば「5段階計画などをいまも盲信する村野こそ降格の責任を取って辞職すべきである」と結論づけても、私の意見が通ることはありません。選手起用にしても、戦術の選択にしても、私個人の意見が採り上げれることはないんです。 では、そのなかでサポとして何ができるのかというと、とどのつまり、どんなことがあろうと、ポジティブに解釈し続けることだろうと思うんですよね。 例えば20年スパンの五段階計画。「プロクラブがこんな悠長なことを言い始めたらもう終わりだ」と思えば最後はサポを辞めるしかなくなりますが、「おお、他のどんなクラブもやっていない画期的な方針だ」と思えば、しばらくサポを続けられます。 モノは考えよう、とか、モノは言いようとかありますけど、降格しても、J2で最下位になろうとも、地域リーグまで落ちても、存続さえしていれば「この苦難も将来に飛躍するための貴重な勉強だ」とか、いくらでも前向きな解釈をし続けることはできるんです。 イタリヤに行ったことも、イタリヤのサポと話したことも無いけれど、理不尽が日本以上にまかり通るセリエで、多くのイタリア人がサポを辞めないのは、彼らが日本人以上にポジティブシンキングが得意だからではないでしょうか。 ということで、一生をコンサドーレ札幌のサポであると誓った私は、コンサドーレがどんな状況になろうと、全力を挙げてポジティブに捉えます。前向きに解釈し続けます。
2008年10月23日
後で訂正はしましたが、今回の対話集会で村野さんが発した「J2におっこったくらいどうって事ない」発言は、心から出た本音だと思いました。これを「5段階計画はぶれていない」という発言を合わせると、私的には(良い悪いは別にして)村野さんの言いたいことがよくわかったんです。どういうことかというと。。。 5段階計画が発表されて、4年目でJ2に優勝し、5年目でJ1になったのですから、この計画は5年計画というように思ってしまうんですけど、村野さんが(ということはHFCが)考えている本当の5段階計画というのは、10年、20年スパンの超長期計画なんだと思いました。 実際にあの場で村野さんは「10年、20年」という言い方を2回もしていまし、「J2におっこったくらいどうって事ないんです」の前に「ずーっと先の事を考えて行きますと」と発言しています(R-梟さん 感謝!) そして、5段階計画のゴールは「北海道の子ども達をベースにしたチーム作り」と村野さんははっきりと言っています。すなわち、単にJ1に返り咲くことではなく、レギュラーの大半がユース上がりの、一時のガンバや千葉のようなチームになること。そしてそのようなチームでJ1に定着することが、長期計画としての5段階計画のゴールなんではないでしょうか、と村野発言を聞いて思い至りました。 そう考えると、5段階計画が発表されてから確かに石井、西、藤田とユース上がりが育ってきましたが、それでも今期確実にレギュラーとして確実に定着しているユース出身者は残念ながらいません。なので、本来の5段階計画からすると、J1にたどり着いたとしても、今回は片手落ち、決して目指す本来の姿ではなかったんですね。 本来の5段階計画からすると、昨年の優勝昇格、今年のJ1の方がイレギュラーな事態だったのかもしれません。今は、実はまだ2段階ぐらいで、まだまだユースと若手を育成し、財務基盤を強化することが優先される段階なのかもしれません。そう考えると、今年の降格、来年のJ2は本来の既定路線に戻っただけで、たしかに「どうって事ないんです」。 それで、三浦監督続投報道が波紋を呼びましたが、村野さん的には、どのリーグに属しているかは今の段階ではさほど重要ではなく、原則として、監督はできるだけ長く、柳下3年、三浦3年というようなイメージだったんじゃないでしょうか。 ここで誤解無きように言いますが、決してJ2にいたい、昇格したくない、ということを意味しているではなく、5段階計画のゴール=『北海道の子ども達をベースにしたチーム作り』を曲げてまで、残留にこだわる必要はない、という判断があったんじゃないでしょうか。 何でそうなのかというと、親会社の無い金のなさに加えて(秒刊からの引用で恐縮ですが)『佐々木は歯を食いしばって語る。 (佐々木利幸社長/サッカー批評 21号 )「選手強化サイドは,『本州の選手には大金積まなきゃ北海道には来てくれません』 と言う。 でももうそれじゃ会社はもたないし,選手の気持ちは『来てやったんだ』というおごりのまま。ウチには大枚はたいてビフテキ食わしてという選手はもういらない。 ホッケやジャガイモ食ってでもチームのためにがんばるという選手と一緒に汗を流したいんだ』ということですからね。 北海道に住み続けている我々は意識し辛い点がありますが、雪国北海道にチームがあるというのは、目に見えないところにもっと大きなハンディがあるのでしょう。村野さんは強化サイドにいてそうした厳しい現実を知り尽くしているんだと思います。 そうした現実を踏まえて出した結論が「「北海道の子ども達をベースにしたチーム作り」だったと。そうであれば、村野さんは、ものすごく遠くを見ているんですね。そして遠くを見ることでしか、親会社を持たない市民クラブで、かつ積雪寒冷地にあるコンサドーレ札幌が、本当の意味でJ1に定着し、AFCを目指せるチームにならないと。 まぁ、私の想像でしかありませんが。
2008年10月21日
一昨日より話題にしている降格後の緊急サポ集会ですが、 R-梟さんのブログ「赤黒梟のR通信!」に、録音をテープおこしされた 完全議事録が掲載されています。 一昨日からの私の記憶違いや主観に基づく憶測に惑わされないためにも、 下記で事実をご確認いただくようにお願いします。 http://www.consadole.net/r-huku/article/167#extended なお、このエントリーは、赤黒梟のR通信!にトラックパッドしています。 R-梟さん(インフォではよく拝見しております) ありがとうございました & ご苦労さまでした。 こうした事態では、やはり正確な事実の伝達が一番だと思います。 今後ともよろしくお願いします。
2008年10月21日
前のエントリーでは、思いのほか多くのアクセスをいただきありがとうございました。一夜おきましたので、もう少し冷静に(あくまでも私個人の主観ですが)、あのときのことを振り返ってみます。 試合終了後、一部には、試合終了後の柏サポの対応を非難する向きもありましたが、私的には、さすがに自分たちも降格を経験しているだけに、自分たちの勝利を祝った後は、しずしずと引き上げていったように思いました。 その後も、ゴール裏には、誰が先導するわけでもなく、多くのサポが実に静かに残っていました。そのうちウルトラス(と思われる)の人が、ドラメガを片手に、社長と面会を交渉中と報告。 それからまたしばらく立って、同じウルトラスの人が「社長を会うように交渉中だが、社長はここに残っているのが全員ではない、と言って出るのを拒んでいる。ラチがあかない。引き続き、交渉中」と報告。特に「降格の総括もされていないのに、三浦監督の続投が報道されているのは納得ができない」と、三浦監督の続投報道について、強い憤りを示していました。 今や降格チームの社長がサポの前に立つのはお約束ですし、特に札幌は春先の持ち株会の増資で、サポから1億ものを金を「J1に定着するために」と称して集めたわけですから、出る気はないという社長に対して、私も「それはないだろう」という気持ちになりました。 でも、みんなは実に静かに待っていました。会場内の片付けが終わる頃、再びウルトラスの方が出て「競技場が閉まる時間になった。これ以上居座ると延長料金が発生するので、とにかく会場から出てほしい、と言っている。それを覚悟で残っているのだが、ここで村野GMが話をすると言っている。村野さんについて言えば、当初から自分が出て対応すると言っていたのだが、HFC内の調整に手間取ってこんな時間になっただけなので、決して悪く思わないように。とにかく競技場から出よう」と言いました。 そして第5ゲートの前に約300人ほどが集ると、村野GMが登場。「私は、どんなことにも答えたい。言いたいことがあるならば私のところに来てほしい」とまず宣言。その後のやり取りは、だいたい前のエントリーと「こっちも現地に居た」さんのコメントにあるような通りです。 村野さんは率直に自分の思っていることを話したと思います。なかでも「J2に落ちたことはたいした問題ではない」と言い切ったときには、一瞬、会場が威圧されたような静まり方をしました。もっともややおいて怒号がわき起こり、村野さんも誤解を招く発言だったと訂正しましたが。 このように村野さんは率直に発言を続けていたのですが、やはり会場からは「社長はなぜ来ない」との怒号がありました。それに対して村野さんは「社長は何も知らない。初めから全部を知っているのは私だ。それでも社長が必要か」「横にいて良いだけならば、これから呼ぶ」と言って、横にいたHFCの職員になにやら声をかけました。 そしてややしばらくして本当に社長が登場。登場と言うよりも、しゃべっている村野さんの横に、見慣れない中年男性が静かに並んだという感じで、会場から「社長も何か言えないのか」と言われるまで、本当にただ横にいるだけでした。この一連の流れの中で、私はHFCにおける村野さんの存在の大きさを実感しました。 その後、国会答弁のような社長発言に対して、村野さんは「誰かの特定の人間のせいでないが、落ちたたことについてまったく誰も責任を取らないということはない。」「誰かが今回の責任をとるのならこの自分なのではないか」と自分の進退に触れた発言をしました。 ウルトラスの人が問題にしていた三浦監督の続投報道については、村野さんの「5段階計画に則り最適な人選をした」「監督に責任があるならば、監督を選んだ私に責任がある」という言葉の中に、飲み込まれてしまったようですが、このことについて追求するよりも、ウルトラスの人は村野さんをかばう方向で場をまとめていきました。 これは私のまったくの主観なんですが、村野さんは進退をかけてこの場に臨んだんだと思います。サポから「責任を取って辞めろ」という声が高まれば、その場で「わかりました。辞めます」と言ったのではないでしょうか。もっと言えば、そもそも村野さんは、自分の進退をこの場に委ねようとして、積極的にサポの前に出たいと言ったのかもしれません。 そして、この空気をウルトラスの方は読んだんだと思います。彼が何度か強調していた三浦続投問題について明快な解答が無くとも、彼は村野GMを守る方向で場をまとめていきました。ウルトラスが自分に成り代わって責任追及をしてくれると期待していた人にとっては、尻切れトンボな、溜飲の下がらない、すっきりしない展開だったとは思います。 こうして振り返ると、柏戦後の集まりは、コンサドーレの歴史上かなり重要な場面だったと思うんです。というのはウルトラスの人があくまでも責任追及ということで、福岡のオブリのように強行に迫ったら、また会場から辞めろの怒号が渦巻いたら、村野さんはきっぱりと職を辞したと思いますが、そうなったら札幌はどうなっていたでしょうか。 そして、ウルトラスは村野さんを守りました。この伏線になったのが村野さんの「コンサドーレはみなさんのクラブです」という言葉だったんだ思うんです。それは、言葉に出してすべては言いませんでしたが、「お客さんではなく、コンサドーレの当事者の一人として、一人ひとりが自分の問題として考えてほしい」と村野さんは言いたかったんだと思います。 現場の最高責任者として責任取るべきだという意見もあるでしょうし、村野さんが続投を決意したという証拠もありませんが、この日の一連の流れは私的はとても良かったと思いました。なので広がりはしませんでしたが、「参加者」さんには怒られそうですが「we are Sapporo」のかけ声に手をたたいてしまったんですけどね。そして、そこにジョンカビラにあおり立てられて「コンサドーレ」コールを叫び続けた98年との違いを感じます。 さて、村野さんはハッキリとはこたえませんでしたが、ずっと発言を聞いていると、昨年松橋入団の大誤報を出した日刊スポーツの24歳君が飛ばした「オシム就任」よりも、三浦続投の方が村野さんの真意だったように思います。(その理由は、またエントリーを改めて)
2008年10月19日
試合終了から、2時間後、およそ300人ほどが、厚別競技場の外で村野GMと社長のコメントを聞きました。 対話を仕切ったウルトラスの人によると、初め社長は顔を出すことを拒否していたものの、村野GMは積極的に対話に臨みたいと言っていたそうです。しかし、HFC内部の意見調整が手間取って、こんな時間になりました。 村野GMの発言で、印象に残っているのは、 ・どんなことでも答えたい。 ・昨年は楽しそうだった来場者が、今年はガックリしているのを見ると、 申し訳ないと思う。 ・降格の事実についてこの場で原因を究明しようとすれば、何日もかかる。 ・監督、選手、フロント等々、それぞれに責任があり、 特定の誰かだけに責任があるわけではない。 ・社長はなったばかりで説明できるものを持っていない。 最初からずっと見ていた自分が一番責任者として相応しい。 ・横にいて良いだけならば社長を呼んできても良い(その後社長登場) ・J2降格はたいした問題ではない(後で訂正) ・コンサドーレ札幌は、みんなで作るクラブだ。 ・金のない中で戦えるチームを作ろうと思えば、育成をしっかりやるしかない。 ・5段階計画は粛々とやってきた。一度もぶれていない。 ・現在は3.5段階程度。この降格で少し後退は止むえない。 ・5段階計画にのとっり相応しい監督を選んだ。 ・監督に責任があるとしたら、監督を選んだ私に最大の責任がある。 ・責任を取って辞めろと言われれば、辞める。 ・当初からこの戦力では、入れ替え戦に出場しての残留が現実的な目標と思っていた。 ・それでもプロクラブである以上、J1優勝、AFC制覇は目標 ・10年後、20年後のために、みんなでこのクラブを育てていってほしい。 やはり降格直後の会見だけに、怒号が飛び交う場面もありましたが、仕切ったウルトラスの方(と思われる)が、たくみに場面を取りなし、「このままでは収拾が付かない恐れがある。村野さんへの感謝しよう」と結んで、お開きに。 また後で登場した社長も、「申し訳ない」の言葉と、「自分も創設からのサポーターだった。サポーターの気持ちは理解できる」の言葉を残しました。 それ受けて、ウィアーサッポロを叫ぶサポーターはあったものの、 全体には広まらず、もやもやっとしたまま散会となりました。 同じ降格でも、ジョンカビラがコンサドーレと煽った98年の降格とは様変わりでした。 それでも私的には、今までもやもやっとしていたものが、くっきりとした、会見でした。それはどういうことかというのを、また改めて報告します。
2008年10月19日
決まってしまいました。 私自身、目の前で降格を体験するのは2回目の体験でした。 さて、写真は試合終了後の厚別ゴール裏ですが、 会場の撤去が終わっても、多くのサポが残りました。 その時の模様は、また後ほどにでも。 決まったので、いろいろと言いたいことがあります。
2008年10月08日
HFCが三浦監督に続投要請をするそうだ。 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/consadole/121935.html?_nva=1 サッカーの一般常識でいうと「あり得ないこと」。 だけど、私は不謹慎ながら「面白い」と思ってしまった。不謹慎ながら、と言ってしまうところが不謹慎なんだけど。 これをとんでもないと言う人は、その前提に「プロは結果だ」というのがあると思う。結果を出せなかった以上、辞めるのは当然という考え方だ。 私が、これを聞いて面白いと思ったのは、J1で断トツの最下位をひた走りにする札幌の監督に続投を要請することが、「プロは結果だ」という言葉への強烈なアンチテーゼであるからだ。 「プロは結果だ」とい言葉を聞くたびに、「裏返せばしょせんプロは結果論」と思ってしまう。結果論を積み重ねていけば、素晴らしい結果にゴールすることができるのだろうか。とてもそんな気はしない。それよりも、目先の「結果」ばかりにとらわれて、堂々めぐりを続けてしまいそうな気がする。 「決まったら」書こうと思っていたけれど、こうした有様で降格して、来期を再びJ2で迎えるとしたならば札幌の場合、チーム作りは、とても難しいと思っていた。 こんな有様になってからでは、とても通常の、ありふれた、どこでもいそうな、ありきたりの展開では、とても満足できない。 かといって、通常ではない、ありふれてもいない、どこにもなさそうな展開とはどんな展開なのか、想像ができなかった。 そう考えると、ここまでの成績を残した監督に続投を要請するというのは、私が思ってもいなかった、通常ではない、ありふれてもいない、どこにもなさそうな展開だ。そうか、そんな手があったのか、と正直思った。 虎穴に入らずんば虎児を得ず というか、死中に活を求める、というか、ものすごく面白い手だと思うけど、ほとんどみんなは大反対だろうな。 「決まったら」、もう少し考え方を述べてみます。
2008年10月06日
悪いが、最下位はこれで3度目。 J1も、J2も経験している。 優勝だって3度ある。JFL1回、J2回だ。 まぁ、だから、今年のようなこと慣れていると言えば、まぁ、慣れている。 いろいろと言いたいことはあるけれど、それは「決まった」あと。 それはそれとしておいて、 こうなったら、こうなったで、 深刻に考えたり、思い詰めたりしないで、 一時ぐらい、忘れてしまうぐらい感じでいいと思うよ。 そしてほとぼりが冷めたら、 何事もなかったという感じで、こんにちわ、と というのが、サポを長く続ける秘訣かな。 過去2回の最下位で学んだことでした。
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
最新のエントリー
月別アーカイブ
コメント
検索