2009年09月21日
プロサッカーに魅せられたきっかけが96年、厚別でのペレイラの直接フリーキックという私は、ゴール前での直接フリーキックに強いあこがれを持っている。 しかし、コンサドーレ札幌のサポーターになって以来、この直接フリーキックに喜ぶよりも、煮え湯を飲まされることの方が圧倒的に多かった。今期だって何度、悔しい思いをしたものか。 私の記憶が正しければ、昨年、一昨年、我が札幌が直接フリーキックを決めた試合はなかったはず。それ以前、辛うじて柳下コンサの時代にフッキが決めたのを覚えているぐらい。それよりも前となると、もはや神話の時代。 その神話の時代を含めても、日本人選手がきれいに直接フリーキックを決めたことはコンサドーレ13年の歴史の中で、2、3回あったか、なかったかというぐらいのものじゃないだろうか。 96年の発足以来、何十人、何百人もの日本人選手が入ったものの、直接フリーキックは長く外国人の特権だった。その流れが変わったのは、2004年。解散的再出発を迫られ、外国人ゼロのチーム作りが行われたとき、プレースキッカーをまかされたのは三原広樹だった。フリーキックの職人と言う触れ込みで、その芸術的な左足に期待が高まった。しかし、札幌で3年。三原はけがに泣かされ、何度かあったチャンスで、それらしい放物線を描いたものの、確か枠に行ったこともなかった。 三原の後、砂川が蹴ることが多かったが、ほとんど可能性を感じることがなかった。そして今シーズン。監督が代わり上里が満を持してキャプテンに任命されると、クライトンを押しのけて、メインキッカーに。 8月の福岡戦のミラクルロングシュートは、前節、室蘭での福岡戦でのフリーキックの呼び水だったのかもしれない。前半5分。自らがドリブルで仕掛けてFKをもらい、これを相手キーパーが全く反応できないスピードとコースに見事決めた。こんな弾道は、今も札幌サポの記憶に残るホベルッチ以来じゃないだろうか。 前節、昇格への望みをかけた甲府戦で、敗因となったミスを意識していたのだろう。この日の上里には、プロサッカー選手としての執念が感じられた。また、前半のアクシデントで早々に退場したダニルソンのあとを受け、ワンボランチの大役を命ぜられた芳賀は、期待以上にこの責を全うし、勝利に貢献した。これも、前年前のキャプテンとしての執念だったのだろう。 解説では、風と長い芝に邪魔された薄味の試合のような言い方だったが、両軍の勝利へのピュアな気持ちがぶつかった好ゲームだったと思う。札幌は前節で事実上、昇格の望みが断たれ、目標を見失ったかのような試合になるかという危惧もあったが、そうした気配は感じさせず、課題である守備をきっちりとしめて、残りの試合に望もうというモチベーションが感じられた。
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
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