ジーコさんと川淵さん

2006年08月07日

ジーコさんと川淵さんのハネムーンの旅が終わりました。
世間の注目はオシムさんと川淵さんの二人三脚の旅に意識が行っているのは仕方がありません。



オシムさんと川淵さんの旅がハネムーンになるのかどうかは今の所わかりません。
まあ、オシムさんがおとなしく花嫁を演じてくれるとは思いませんが。




ジーコさんがなぜに日本の選手の能力を過大評価していたのか。
この一文はかなり問題をはらんでいると思うのだけれど。
まあ、とりあえず、今回の妄想の前提として、はずせないので。
検証無しで確定事項として、まずは据え置きます。
此処から自由なるものと。
今は消えた黄金の中盤が始まったわけですが。
その謎は謎のままなのだろうか。



という事と。
実の所、川淵さんは、日本の選手の能力を過大評価していなかった。
いや、過小評価していたのではないかという風に感じる部分があって。
そういう二人がなぜにハネムーン関係を築けたのかなあと不思議に思う。



敢て、川淵さんがと書きますが。
今回の独逸W杯への日本代表の目標なり、ノルマは何だったのだろうと思う。
ノルマなり目標が無かったのでは無いかという風に思う。
だからこそ、今回のW杯での日本代表へのあり方として。
川淵さん的に言うと、失敗と思えなく、そして失望も無かったのでは無いか。



もっと言うと。
今回のジーコへのノルマは独逸W杯への本選出場だけではなかったのか。
川淵さんのインタビューの中で、ジーコ解任の危機が一度だけあった。
という文言を放っている所を見た。
それは、独逸W杯亜細亜予選での一戦の中で(どの試合であったかは思い出せません)。
この試合に負けたらジーコを解任しようと思ったと。
これは=亜細亜予選敗退の危機だったのだろうと。




トルシェのときはあれだけ、ノルマなり目標をうるさいよう掲げていたように思うのに。

自国開催の重荷、そして自国開催のプライドがそうさせたのだろうか。



でもでも、確かに独逸W杯には亜細亜予選があったけれど。
選手此処はほとんど同じで4年経って熟成されて。
自国開催のアドバンテージが無くとも、黄金世代の絶頂期を迎えるW杯。
自らが、中心になり、Jリーグを立ち上げ。
ユース世代から、エリート教育の施した選手が中心となった今回のW杯。
一番身近に見ていた川淵さんが、その選手達の能力を信用していなかったとしたら。
ノルマが公的に、はっきり言及されていない理由だったとしたら。
と私の妄想が膨らんで、どこに飛んでいくかわからなくなってきました。




まあ、川淵さんは私以上に日本の蹴球の苦難をずっと歩んできたわけで。
そんなに、ホップ・ステップ・ジャンプと歩むわけないなんて。
そう、思っているのかなあ。


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01:25

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イタリア対フランス 1-1(5PK3)

2006年07月12日

ベスト16位からベスト8位が面白いなんてことが言われてきましたが。
ベスト16位が揃うまでが面白かったと思う。
下馬評とは別にどこが強いのか、勝ち上がるのかわからない所とか。
今回は、サプライズはほとんど無かったといわれるけれど。
決勝までいったフランスにしても連勝で勝ち上がったわけでもなく。
強いと思って引き分けでもいいなんて戦いをした結果が良かったのか。
なんてことを考えたり、いやいや、そういうつもりではなかったのだけれど。
という風な。


ベスト16からは、負けたら終わりの戦いだから。
どうしても、安全に守備的になり、ロースコアになる。
そこからは、W杯の花、PK戦。
それはそれで、その緊張感はW杯なればこその戦いなれど。



1ヶ月ほどで優勝するチームで7試合する。
やはり、どうしたって、今のやり方では、守備重視の戦い方から。
入るのが当然というか、そういうことになるのは必然でしょう。



交代枠の問題とか。
バスケットやバレーのように何度も出入りできるようにするとか。
選手のコンディションの問題、後は気候の問題。
欧州と南米のシーズンオフに行うという事ははずせないのだろうけれど。



蹴球はホームアンドアウエーというのが文化だと思う。
そういう意味でセントラル方式でのこういう闘いは本来の蹴球の闘いとは。
もしかして離れた所にあるのかもしれないなあ。
W杯=PK戦というのが私のイメージで。
それが悪いといっているわけではなく。
バッジオのあのPKをはずした後の佇まいを忘れる事は無いだろう。



78年は、あの紙ふぶき(多分三菱ダイヤモンドサッカーで見たもの)

82年は、あの伯剌西爾を蹴散らしたロッシとゾフ。

86年は、マラドーナ、マラドーナ、マラドオオーナアアア。

90年は、マテウス対マラドーナ三度目の対決(?)マテウスの3度目の正直。

94年は、バッジオの佇まい

98年は、伯剌西爾ロナウドの失速とジダン。

02年は、カーンのあの佇まい。

06年は、ジダンの頭突きという事になるのかなあ。

98年の伯剌西爾はオランダに勝って、クライフへの復讐(?)を果たして。
萎んでいった。ロナウドの不調もあり、決勝戦の伯剌西爾は変だった。
02年の独逸は決勝に上がってくるチームではなかった。



久しぶりの決勝という感じがしたのだけれど。
W杯での蹴球のあり方を考えてしまったなあ。
強豪国が見事に勝ち上がり、素晴らしい取り組みができあがったのに。
思ったほど、わかり易く華々しい闘いは無かったような気がする。
というより、同じタイプの強豪国が勝ちあがったのかも知れない。
アルゼンチンが勝ちあがれば、もっともっと盛り上がっただろうなあ。
というか、十分すぎるほど、見続けたのでもう、お腹一杯。
とりあえず、全ての試合を見ました、前半だけ後半だけの試合もあるけれど。
だけれど、今回は録画はしませんでした、1試合も。
どうせ、後から、見直しはしないのだから。
明日からのJ2の赤黒の闘いに戻ろうと思います。



ジダンは、世界に数人とも言えるスーパースターへの道を自ら閉ざそうとしているのか。自ら遠慮しているのかなあ。
そういう奥ゆかしさを感じるのだけれど。
この試合の結果がどうあれという経過を踏むと思っていたのに。
ジダンはその前の世代の自国のスター、カントナとか。
そういう人たちをはずす事によりジダンを中心にしたチーム作りを行う事を。
98年のフランスはやったという風な事を聞き及んだように思う。


なぜ、前の世代のスターをはずしたか、ジダンが遠慮するから。
そういう言葉ではなかっただろうけれど。
ジダンの能力を100㌫出すために監督が行った事。
中心は二人要らないという事で。
ジダンはスーパースターらしくない個性をしているように思える。

マラドーナは神の手マラドーナだし。
王様はペレだし。
皇帝はベッケンバウワーだし。
クライフは鳥人だったっけ、これは違うかなあ。
そう言う域に達する人なのかもしれないのだけれど。
勿論、多分プレーはその域なような気がする。
だけれど、佇まいは違うような気もする。
無意識の自分が、そうではない。
スーパースターではないと思っていないか、ジズーは。



母国開催以外で優勝しなければ、真の強豪国ではない。
これは勝手に私が妄想している事だけれど。
そういう意味でフランスは真の強豪国にはなれなかった。
ジダンという稀代の英雄の後は苦しむだろうなあ。
マラドーナの幻影に苦しんでいるアルゼンチンのように。
だから、アルゼンチンに勝ちあがって欲しかった、もう少しね。


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01:25

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蹴球の日本代表の事を○○ジャパンと呼ぶのを止めようではないか。

2006年06月30日

オフトジャパンから始まった監督の名前を最初につけて代表を言い表すのを辞めよう。

オフトさん、ファルカンさん、加茂さん、岡田さん、トルシェさん、ジーコさん。
まあ、この名前が挙がる前の蹴球日本代表は、誰が監督であるかなんて。
どうでも良かったからそういう風に呼ばれる事は無かった。



後、日本代表は、各種競技に1チーム存在する。
蹴球にしか存在しないものではないという事をまずは書いておいて。




この後誰が監督になろうと。
オシムさんの名前が挙がっているようですが。
たとえ、オシムさんがどれだけ、優秀な名将であろうと。
一例として、オシム・ジャパンと呼ぶ事はやめようではないかという事です。



呼称というのは、とてもとても大事な事だと思う。
オシムさんがたとえ、どんなに凄いチームを作ろうと。
それは、オシムさんのものではない。



いやいや、たぶん素晴らしいオシムジャパンを作ってもらって(仮定のお話です)。
高らかに大きな声で呼んでみたいというのが、もしかして私を含めての。
大多数の気持ちなのではないかとも思うのですが。



でも、蹴球の日本代表は、そのときの監督のものではない。
そこらへんの意識から変えていかなければ、ならないと思う。



トルシェさんのトルコ戦からの消化不良から。
ジーコさんへの期待。
ジーコさんんなら日本の蹴球を知っている。
日本の選手の良い所を引き伸ばしてくれるに違いない。
ジーコさんの鹿島での選手からそしてアドバイザー(?)としての日本蹴球界へのかかわり方への期待。



これって、千葉でのオシムさんの監督してのという部分とまったく同じ。
監督の力量だけに依存してまた次の4年間を戦うのか。



まずは、蹴球の日本代表が誰のものなのか。
実は、誰のものでもないのだろうけれど。
ジーコさん一人のものではないし、次期監督のものでもないに決まっている。
でも。本当にその当たり前の事が当たり前になっているのかなあ。
次期監督が素晴らしいチームを作って、そして。
それが○○ジャパンと高らかに呼ばれる事となるのかもしれませんが。
それはそれで違うと思うのだなあ。


それは、その○○ジャパンの創始者となってオフトさんの責でもある。
あのときのチームはオフトさんのチームと呼んで差し支えなかったでしょう。
そう言い切っていいのかもしれないなんて思うのですが。
そういう時代、時期は過ぎ去ったのだと思う。
そいう風に思えた時間が、至福のときでもあって。今から思えばですが。
そこに戻りたい、美しかったなんて振り返りたいなんて思う事もあるけれど。



南アフリカを目差すジャパン。
何か長いなあ、やはり監督の名前を前につけた方がいいのかなあ。
でも、絶対違うような気がいたします。
韓国の後にオーストラリアの代表監督をして。
その後に、ロシアの監督を受ける事に決まっているヒディングさん。
代表を率いてどれだけ瞬時に素晴らしいチームを作り上げるとしても。
いや、だからこそ、この人はヒディング○○なチームしか作らない。
この場合は、丸々に国名が入る事になるのだろうけれど。
ヒディングさんには日本を率いて欲しくはないなあ。




ここから先は仮定の話。
もし、オシムさんが監督に決まったら。
千葉から伝わるいろんなお話を見るに付け。
とても優秀なんて事を言うのは大変失礼なお方だと思います。
だからこそ、その素晴らしい御仁に全てを投げ出して、丸投げして。
預けきってしまう危険性がある。
あるいはこの御仁に全ての困難な壁を壊してもらえば良いと思ってしまうかもしれない。
そして、もしかしてその壁を壊してくれるかもしれない。
此処でいう壁は、今TVで流れている世界の壁だけではなく。
もう少しいろんな種類のものが当てはまると思います。
こんな妄想をW杯中間のハザマで考えていましたが。
だから、どうすればいいなんてこともあまり無いんだなあ。
題名で全てを言い表しているのだから。



トルシェさんを生理的に嫌いな人たちは。
たぶん、日本代表を私物化したと思っているのではないか。
と私は勝手に妄想しています。
いや、トルシェさんが私物化したか同化の議論をするつもりもありませんし。
そんな事をいう人もいないでしょう。
本当に私一人のも妄想ですから。
そして私物化したと私も思ってはいません。
でも、そういう風な雰囲気を○○ジャパンという呼称を連呼する事により。
引き寄せるのではないかという事です。


じゃあ、柳下コンサってどうだ。
という事にも繋がっていくかも知れない。

オフトジャパンと柳下コンサは日本代表にとって。
そしてわがコンサドーレ札幌にとって何か同じ感じがするのだなあ。

小学1年生の担任のような。


post by mimicaki

21:59

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日本対ブラジル 1対4 東京V1969戦を前に

2006年06月23日

このグループは最弱の、オーストラリアとクロアチアと日本が互いに引き分けで。
唯一の強豪伯剌西爾相手にどう戦うかで、2位通過が決まる。
その法則を自らオーストラリア戦でロスタイムに3失点し放棄した国が日本。
そういうグループだったのだなあと結論付けてみる。



中田英さんが試合後、タオルをかけて倒れこんでいたけれど。
ウウム武士の情けという事で。



この試合は2,3点差を伯剌西爾相手につけなければならない試合。
3点取られたら5点取ろうと、もがく。
4点取られたら6,7点取ろうと、もがく。
ある意味現実的ではない試合のはずだった。
そしてそれを十分理解して試合に入っていると思っていた。



玉田さんのシュートと稲本さんとサントスさんのパスは素晴らしかった。
か弱い伯剌西爾のDFを切り裂いてくれた。



だから、前半終了間際に同点にされたことが問題のはずがない。
伯剌西爾相手に得点をどんどん取ろうとしていて。
伯剌西爾相手に無得点に抑えることができると思っていたという事が問題。



伯剌西爾を無得点に抑えることと。
伯剌西爾相手に得点を取ることと。
どちらが楽か、可能かと考えたら。
圧倒的に得点を取ることのほうが楽だろう。
実際に1得点できた、もっと取ってほしかった。
2点め、3点目と得点を重ねられて現実的な闘いではなくなっていたとしてもだ。
そう、伯剌西爾を無得点に抑えることはほとんど不可能だと思う。
そういう覚悟が足りなかったのだと思う。



前半を無得点に抑える力があるのなら。
オーストラリア戦のロスタイムの2点目、3点目はなかったはず。



結果として3対8とか、蹴球らしくないスコアになっても。
それがこの闘いの特殊な所。
格上の世界一に対して攻撃的に複数得点差を臨む試合なのだから。
アルゼンチンでさえこういう闘いを伯剌西爾相手に望むとは思えない。
いや、世界のどの国もこういう闘いを挑まないだろう。



結果としてそういう闘い以外選択肢をもてなかった不幸を感じるより。
そういう贅沢な闘いに挑める至福の時間を堪能して欲しかったなあ。
その気概が足りなかったことが私は不満で合って。
ほんとうに現実的では考えではないことは良くわかっているけれど。



今回は本当に世界に凹まされた。
世界で初めて凹まされたということだろう。
今回はある意味惨劇だ。
フランス大会でもアルゼンチンと戦っているけれど。
もしかして勝てたかもという幻想をいだけた。



ドーハの悲劇も悲劇という美しい言葉で飾られて。
ある意味今回のような惨劇として語り告げられてはいない。
確かに韓国相手に何度も凹まされていたけれど。
それは亜細亜内の中でのお話で。



日本をあれだけチンチンにしていた韓国がW杯でぼろぼろにされているのを。
私は見ている。
そういう経験を日本もしただけのこと。
それを誰かのせいにしたりしては、また言い訳と逃げ場所を作るだけだと思う。




いやいや、本当の死闘はまだ経験していない。
伯剌西爾は控えを試しに来たのだから。
でも、その控えが全力できてくれたのだから。
その至福の場で現実的ではない力で戦ったのかなあということ。





本当の死闘は、たとえばEグループのような所に入り。
伊太利亜とガーナと亜米利加とチェコのような闘いをすること。
そして戦い抜くことで合って。
まだまだ、その経験をさせるのは早いということなのかもしれない。
FIFAは日本をそういうグループに入れる気が無いのかも。




本当にある意味組みやすい組に入れてもらえたのに。
そこでのこの数値は本当に凹まされる。




こういう極端な試合をするのに。
極端なことをするべきだったと思う。
もしかして今までのものを全て叩き壊すことをしてくるかなあと思ったけれど。
中田英さんと俊輔さんをはずすとか。
でも、この二人をはずす選択をできうる選手がいなかったのか。
選ばなかったのか。
そして、W杯の試合にでなかった選手もいるわけで。
じゃあ、此処まで逆境になっても試合に出さない選手をなぜ選んだのだろう。
なんて毒をとりあえず最後にはいて見る。




私は7回目のW杯を見ている。
もしかして78年のアルゼンチン大会も見てるかもしれない。
覚えていないというか、見た気もするし。
三菱ダイヤモンドサッカーの番組内であったような気もするし。
もし、そうなら8回。
今後の人生で後、何回見れることか。
後、何回日本はW杯に出られるか。
私が生きている間にあの杯を掲げるシーンを見ることができるだろうか。
そういう中の一つの闘いであったということ。
少々、強がって終わりとしようかなあ。


post by mimicaki

21:43

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マラドーナが凄い、そしてさんまさんの嗅覚も凄い

2006年06月17日

アルゼンチン対セルビア・モンテネグロ 6対0
何の解説もいらない試合。


ただただ、見入るのみでよい試合。
マラドーナが凄いと書いたけれど。
この試合だけはNHKBSではなく、民放日テレを見ることを選択した私に乾杯。
2画面TVなのでどちらも見れるのだけれど。
きちんと日テレを見ていました。



マラドーナが凄いだけではなく、さんまさんも凄い。
前半の得点でお腹一杯になった所で。
メッシさんが出てくる1アシスト1得点ということで。
何かトヨタ杯みたいな放送になってきました。
さんまさんのこの嗅覚、この試合をゲスト解説するという嗅覚。
日本TVが偉いのか、いやいや、やはりさんまさんが偉いに決まっている。





セルビア・モンテネグロが弱いわけではないでしょう。
このグループに入ったらわが日本はどうなったのだろう。
1点も取れないで大差で3戦全敗でも当たり前におかしくない。
改めてそう思った。


ぐうの音も出ないそういう体験はまだしてないよなあ。
日韓大会でも仏蘭西大会でも豪州戦でも。
思えば、韓国もサウジアラビアもそういう体験もしている。
今回がそういう体験をする段階なのかもしれないなあ。
いやいや、クロアチア戦に勝つことしか考えないようにしないと。


その前にオランダ対コートジボワール戦を見ないで寝れるだろうか。
いやいや、仙台戦を忘れているわけではないです。
速報で確認しながら応援します。


post by mimicaki

00:09

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