組織と人と

2010年02月06日

組織とは何のためにあるのだろうって思う。
組織は、いつのまにか、組織として成り立つ、永遠に続くためにあるという風になるのかなあ。

異形の人が珠に現れることがある。その異形の人を生かすために組織はあるのではないかなあって私は思うのですが。
その異形の人におんぶにだっこするのではなく。
その異形の人を排除するためにあるのではなく。

その異形の人の特徴を生かしつつ、その異形の人のためだけの組織となるのでもなく。

普通の人たちだけに本当に組織は必要なのかなあ。
それは組織ではなく、慣習やルールとかそういうものがあればよいのではないかなあって。


日本は異形の人が現れにくい共同体であると思う。
珠に出てくる異形の人が、異形であることを前面に出してくることに対して拒絶をしてしまう。
もしくは、真に圧倒的なら、神に祭りあげてしまうのかもしれないなあ。


異形なのだけれども、それをオブラートに隠せてしまう人たちがいる。
野球の松井さんとか、ゴルフの石川さんとか、そういう風な人は愛されるなあ。
それを品格というのかもしれない。

でも、10代20代で品格を備える異形の人の出現をいつも待ち続けることは不可能に近いのではないかなあ。
ただでさえ、異形の人は生まれにくい土壌なのに、そこに品格を求めるとしたら。。
甲子園での四球攻めにあった時の松井さんの態度とか、石川遼さんのインタビューの受け答えを見ていると。
本当に人間の大きさを感じてしまう。スポーツの技量以上にそちらの器量のほうに感嘆してしまうのだけれど




でも、普通の(?)異形な人たちは、たとえれば蹴球の中田英さんとか、一昔前のイチローさんとか。
日本村には入れてもらえないなあって思う。

組織は、なにがしらの目標を達成するために成り立つものだろう。
組織内の人のためにあるものでもないでしょう。
だからこそ、運十年に出るかでないかの、異形の人をどう組織内で生かすかのノウハウをもっているかどうかは死活問題だと思うのだけれど。

異形の人は個人で成り立っている。
組織には個人の顔は見えないよね。顔の見えないものに負けていく世界なんだなあって思う。


朝青竜は誰に負けたのだろうなあ。
朝青竜の報道から聞こえてくるいろんなことの是非をどう思うかということはここでは論じてはいません。