2006年07月12日
ベスト16位からベスト8位が面白いなんてことが言われてきましたが。 ベスト16位が揃うまでが面白かったと思う。 下馬評とは別にどこが強いのか、勝ち上がるのかわからない所とか。 今回は、サプライズはほとんど無かったといわれるけれど。 決勝までいったフランスにしても連勝で勝ち上がったわけでもなく。 強いと思って引き分けでもいいなんて戦いをした結果が良かったのか。 なんてことを考えたり、いやいや、そういうつもりではなかったのだけれど。 という風な。 ベスト16からは、負けたら終わりの戦いだから。 どうしても、安全に守備的になり、ロースコアになる。 そこからは、W杯の花、PK戦。 それはそれで、その緊張感はW杯なればこその戦いなれど。 1ヶ月ほどで優勝するチームで7試合する。 やはり、どうしたって、今のやり方では、守備重視の戦い方から。 入るのが当然というか、そういうことになるのは必然でしょう。 交代枠の問題とか。 バスケットやバレーのように何度も出入りできるようにするとか。 選手のコンディションの問題、後は気候の問題。 欧州と南米のシーズンオフに行うという事ははずせないのだろうけれど。 蹴球はホームアンドアウエーというのが文化だと思う。 そういう意味でセントラル方式でのこういう闘いは本来の蹴球の闘いとは。 もしかして離れた所にあるのかもしれないなあ。 W杯=PK戦というのが私のイメージで。 それが悪いといっているわけではなく。 バッジオのあのPKをはずした後の佇まいを忘れる事は無いだろう。 78年は、あの紙ふぶき(多分三菱ダイヤモンドサッカーで見たもの) 82年は、あの伯剌西爾を蹴散らしたロッシとゾフ。 86年は、マラドーナ、マラドーナ、マラドオオーナアアア。 90年は、マテウス対マラドーナ三度目の対決(?)マテウスの3度目の正直。 94年は、バッジオの佇まい 98年は、伯剌西爾ロナウドの失速とジダン。 02年は、カーンのあの佇まい。 06年は、ジダンの頭突きという事になるのかなあ。 98年の伯剌西爾はオランダに勝って、クライフへの復讐(?)を果たして。 萎んでいった。ロナウドの不調もあり、決勝戦の伯剌西爾は変だった。 02年の独逸は決勝に上がってくるチームではなかった。 久しぶりの決勝という感じがしたのだけれど。 W杯での蹴球のあり方を考えてしまったなあ。 強豪国が見事に勝ち上がり、素晴らしい取り組みができあがったのに。 思ったほど、わかり易く華々しい闘いは無かったような気がする。 というより、同じタイプの強豪国が勝ちあがったのかも知れない。 アルゼンチンが勝ちあがれば、もっともっと盛り上がっただろうなあ。 というか、十分すぎるほど、見続けたのでもう、お腹一杯。 とりあえず、全ての試合を見ました、前半だけ後半だけの試合もあるけれど。 だけれど、今回は録画はしませんでした、1試合も。 どうせ、後から、見直しはしないのだから。 明日からのJ2の赤黒の闘いに戻ろうと思います。 ジダンは、世界に数人とも言えるスーパースターへの道を自ら閉ざそうとしているのか。自ら遠慮しているのかなあ。 そういう奥ゆかしさを感じるのだけれど。 この試合の結果がどうあれという経過を踏むと思っていたのに。 ジダンはその前の世代の自国のスター、カントナとか。 そういう人たちをはずす事によりジダンを中心にしたチーム作りを行う事を。 98年のフランスはやったという風な事を聞き及んだように思う。 なぜ、前の世代のスターをはずしたか、ジダンが遠慮するから。 そういう言葉ではなかっただろうけれど。 ジダンの能力を100㌫出すために監督が行った事。 中心は二人要らないという事で。 ジダンはスーパースターらしくない個性をしているように思える。 マラドーナは神の手マラドーナだし。 王様はペレだし。 皇帝はベッケンバウワーだし。 クライフは鳥人だったっけ、これは違うかなあ。 そう言う域に達する人なのかもしれないのだけれど。 勿論、多分プレーはその域なような気がする。 だけれど、佇まいは違うような気もする。 無意識の自分が、そうではない。 スーパースターではないと思っていないか、ジズーは。 母国開催以外で優勝しなければ、真の強豪国ではない。 これは勝手に私が妄想している事だけれど。 そういう意味でフランスは真の強豪国にはなれなかった。 ジダンという稀代の英雄の後は苦しむだろうなあ。 マラドーナの幻影に苦しんでいるアルゼンチンのように。 だから、アルゼンチンに勝ちあがって欲しかった、もう少しね。
プロフィール
ゴール裏中央部やや右上にてサルトしています。 mimicakiと申します。 それは昔の話です。
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