2007年06月25日
今日は、鼻から大塚を入れた逃げ切り布陣でした。東京の攻撃力を三浦監督はよっぽど警戒したということでしょう。まずは負けない。引き分けでも良し。そんな入り方だと思います。 3ボランチとなった前半は、前が薄くチャンスらしいチャンス(芳賀の惜しいミドルはありましたが)もなく、我慢の展開が続きました。しかし、今年になって思うのは、相手をロースコアーに引きずり込むのが格段にうまい、ということ。攻められ、劣勢に立たされているように見えても、全体的には札幌が描いている絵の通りに事が運んでいったのでしょう。 その証拠に、後半開始と同時に畳みかけるように攻めて、フリーキックを奪取。これを曽田がヘッドで決めて1-0。あっという間に先取点を奪い取りました。ゴールにすら近づけなかった前半が嘘のようです。 後半開始早々の得点。ここで守りに入るとかえって反撃を招いて、逆転を食う恐れがあると、去年のチームならば追加点を狙いに行ったでしょう。しかし、今年のチームは、この1点を守れるんですね。「ゼロイチの接戦をモノにする」というのと「ゼロイチの接戦を創れる」というのは実は大きな違いがあるのかも知れませんね。 第1クールで仙台相手に同点を食らってから、修正を重ねてきた強敵相手のアウェイの戦い方は、ほとんど完成の域に達してきたと思います。先制してからの、同点、逆転を狙う相手の勢いを見事にいなして、ロースコアに持ち込む手腕は、スペインの闘牛を見ているようでした。実際には、相手の撃ち急ぎや幸運に助けられたというのが本当ですが。 首位を独走しているとは言え、他からいつかは崩れる、と言われ続けてきました。実際、一時期札幌の上にいた山形は大きく崩れて、今7位です。 そして私もそう思っていたし、そして崩れるとしたら、愛媛に負け、ホームで徳島に引き分けた後のアウェイ、ベルディ戦。つまり今節だと思っていました。ここでもし負ければ、今の山形のような転落も十分あったと思います。大塚先発というのは、そうした危険を見越した上での三浦采配でもあったんでしょう。 さらに付け加えれば、最後まで集中力が途切れずに完封で終えれたというのも、味スタをジャックしたサポーターの力は、大きかったんじゃないでしょうか。スカパー!を見ただけですけど、アウェイなのに、応援の人数で東京を圧倒していましたね。ホームであるはずの函館や室蘭だって、あそこまでの動員力はないですよ。 さて次の課題は、下位チームを相手した戦い方です。実はこれがまだできていないんです。
大阪の道産子
ゼロイチの完成
2007-06-25 05:02
ひばりさんのおっしゃるとうり今日の試合は今年のコンサの真骨頂ですね。 「ゼロイチの接戦をモノにする」昨年昇格した横浜FCがJ1で苦しんでいますが「ゼロイチの接戦を創れる」コンサはJ1でも案外通用するかもしれません。 14節の仙台戦であの忌まわしい草津との一件をキチンと修正して「ゼロイチ」で勝利し、15節の長居第二では、今日の試合のように前半は圧倒的な桜の攻撃に耐えながら、後半西嶋のクロスを元気のヘッドで決めてくれ「ゼロイチ」での連勝で首位奪還でした。 目の前で鉄壁のDFラインが組織的に動く様は感動的ですらありました。そして三浦監督の大きな声で「そこまで!」とDFラインの位置の指示で「アッこの一点を守りきるのだ!」とその時強く感じました。 ですから今日(アッ!もう昨日だ)の試合でもあんまりハラハラせずに「ゼロイチ」を楽しませてもらいました。 たしかに応援はすごいですね。さあ次はホームのみなさん!頼みますよ!!
hibari
Re:【23節】ゼロイチの作り方
2007-06-26 00:20
大阪の道産子さん コメントありがとうございます。 本当は「イチゼロ」でないと行けませんね。 アウェイの試合なので、相手方標準にしてしまいましたが、札幌の立場からすると 「イチゼロ」です。直そうかと思いましたが、せっかくのコメントですので、そのままにしました。でも、ちょっと申し訳ない気持ちです。 またよろしくお願い申し上げます。
大阪の道産子
基準はコンサ標準
2007-06-26 02:03
ひばりさん!ここは貴女のブログですョあまりお気遣い無く。「ゼロイチ」も「イチゼロ」でもコンサがイチで相手がゼロならシアワセ(aikoファンなのでカタカナ)です。 それに私はどこのスタジアムで観戦してもアウェイでは無くホームのつもりで応援しています。 きっとアウェイサポは人数の違いこそあれ気持ちは聖地と同じです。 コンサを愛する気持ちは皆な同じです!でも聖地にゆくとあまりにサポの方が多くて気後れするオジサンです。
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
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