2007年08月08日
忘れていた頃に(本当は忘れていたんですけど)復活する連載です・・・ 1993年5月のJリーグ開幕で、強烈な印象を私に残したのは、他に先立って行われたヴェルディ川崎対横浜マリノスの一戦ではなく、その翌日、5月16日に行われたカシマスタジアムでの鹿島アントラーズ対名古屋グランパスの一戦でした。 マラドーナをテレビで見てからサッカーを気にかけるようになっていた私は、洋楽、とくにブリディッシュロックのマニアだったこともあって、ライトな海外厨でした。読売対日産の伝統の一戦と言われてもぴんと来ませんでしたが、日本で最初のプロサッカーリーグで、ワールドカップを彩ったきらびやかな外国人スター、ジーコ、リネカー、リトバルスキーらがプレイするということだけでも、興味津々でした。 なかでもジーコは、伝説のブラジル黄金のカルテットの中心選手であり、私のアイドルだったマラドーナに勝るとも劣らない名声を誇っていました。また、リネカーは、メキシコワールドカップでマラドーナが見せた神の手、5人抜きの相手方の中心選手で、この大会の得点王だったのです。 そんなことから、93年サントリーシリーズ第1節、鹿島対名古屋の一戦を、アルゼンチン対イングランドの再戦のような思いで迎えたのです。 この時のジーコは本当にすごかった。 ジーコは白いペレと言われた世界の名選手です。しかし90年に現役を引退し、日本に来る前は、ブラジルのスポーツ大臣になっていたといいますし、Jの開幕時は40歳です。全盛時の姿は到底望めないと思っていました。しかし、この日のジーコの活躍は、私の予想をはるかに超えていました。 鹿島アントラーズの5得点のうち3得点がジーコ。なかでも2点目のダイビングしながらかかとにダイレクトに当てたボレーには鳥肌が立ちました。その後、バーを直撃したフリーキックによる1点も、「バーのあの部分に当てると下に落ちて得点になるので狙った」というインタビューを聞いたときには、驚きを通り越して唖然としました。広大なゴールマウスにボールを入れるのにもヒィヒィしているどこかのチームもあるというのに、遠く離れた場所からクロスバーの数センチ、数ミリという場所を狙って当てたというのです。 まさに、86年のアステカスタジアムにあった驚と感動、それと同質なものがこの日のカシマスタジアムにはあったのです。(リネカーが蚊帳の外だったのも同じでした) こうして日本中の多くの人たちと同じに、気が付けば私もニワカワッカーファンの一人となっていました。そして、「好きなチームは?」と聞かれれば、おそらく「アントラーズ」と答えただろう、ライトな鹿島ファン(サポではありません)になっていました。
大阪の道産子
北海道への道に時間が無い!
2007-08-10 05:10
すいません!Jがスタートしたあたりのジーコ等ビッグネームのレスしたかったのですが・・ 夏休み大作戦で時間が無い!!!やっと今帰宅です 時間が・・・アッッチケットどこどここ・・ コンサタオル・・それとコンサユニにっ・・下着っと お風呂の友のアフラックのアッヒルチャン♪と・・・ バタバタ・・・ アッ!モバイル出来ないので暫くコメントはありません・・札幌で桜を散らしてからサンガ戦に行く予定です♪
EBT
Re:コンサドーレへの道・第6回『Jリーグ開幕(2)ージーコを見た』
2007-08-10 23:00
ジーコ率いるアントラーズは私も好きでした。そのライバルだったヴェルディは当時の親会社の讀賣のナベツネのイメージと相俟って大嫌いで、J初年度のチャンピオンシップ第2戦でジーコが退場になってPKとられた時は憤慨して翌週の会社の朝礼で、その件を皆の前で話したものです。そう言えば先日カシマスタジアムで行われた本田泰人の引退試合は、この時のチャンピオンシップの再現という事でアルシンドらと共に佐藤洋平がアントラーズのGKで出ていたのは良かったです。さて明日のセレッソ戦は私はCVSでビール半額ディで忙しいでしょうが、オサドサさんも久しぶりにドームに来られまし何とか勝って京都戦に繋げたいものです。
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
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