札幌ドーム 鳥栖戦

2006年12月03日

前半10分まではわが赤黒のペースとまではいかないまでも、砂川さんとフッキさんの超絶技術で押していたと言えます。そこで得点を取れていれば、試合展開は変わっていたかもなあと思います。
試合前半は、アウエーゴール裏で、鳥栖サポの応援を横目で見ながらの観戦で、後半は、ゴール裏で応援というこのところの観戦パターンで。


前半、フッキのあのプレーを間近に見れたのは本当に良かった。あのプレーができるんだもの、ボールを持ちたがるわけですね。さっさと、J1のチームに移籍したほうがいいでしょうよ。アウエーゴール裏で思わず凄いと大声を上げてしまった人,数名のうちの一人が私です。J2のチームのどこかに移籍するなんて時間の無駄だと思うなあ。


ボールを渡さないフッキもフッキだけれど、フッキがボールを保持している時
必ず2,3人に囲まれる。そのときの赤黒の選手達、棒立ちなんだよね、誰もボールを貰いにいかない、あるいは、こぼれ球を取りにいこうとしない。
フッキと言うJ2では反則的ともいえる選手を取るのが1年早かった改めて確信した瞬間でした。J1に昇格したとしても、わがチームに残ったとは思えないので、チームの土台がきちんとできた段階でJ1昇格請負人アンド傭兵という形で加入してくれたらなあと。


互角の戦いをできたのは、鳥栖が点を取るまでの時間帯まで、後は全ての面で鳥栖との差を見せ付けられた試合でした。ぐうの音も出ませんね。わが赤黒のチームの出来がそれほど悪かったわけではないでしょう。J2中位同士の戦いとしてみれば、面白かったでしょう。でも、完成度の差は明らかだっただろうなあ。



こぼれ球をまるで取れなくなってからは、何もさせてもらえなかったなあ。接触プレーで全て負けていては、ボールは奪取できません。





松本育夫さんが退任しGMにヘッドコーチが内部昇格という鳥栖の組織運営のが全てですね。わがチームにそういう継承があるようには思えない。
まあ、今年の横浜FCのような例もあるのだからなんともいえないけれど。
横浜FCには奥寺さんがいるから、そういう芽は育てていたのだろうなあ。



応援も負けていたなあと思う。
前半見ていた赤黒ゴール裏はかなりの密集度でした。サルトしている所もかなり広がっていましたが、後半、私がゴール裏に戻って劣勢が明らかになると、ほとんど鳥栖さんとサルトしている人数は変わらないと言う状態になっていましたね。

鳥栖の応援は熱かった、気持ちのこもっている応援でした。
九州から北海道に来る兵の集まりでしょうから、それも当然なのかもしれないけれど。

その熱さがどこから来るのか。後半わがゴール裏に戻って判明しました。
それは体の前傾度の差と言う事を。
鳥栖の応援は前のめりなんですよ。腰が入っているんですね。わがゴール裏の応援は腰が引けている、明らかに前のめりではないんですね。それは、その場所の傾斜度の違いなのかもしれないけれど。

あとは、90分間サルトし続けるのは確かに難しい。鳥栖サポだってずっとサルトし続けているわけではない。でも何かが違う。それは手の使い方でしょうね。両手を頭の上に掲げて、叩く行為、あるいは拳を突きあがる行為。これを常時続けている、だから、視覚的にも威圧的に映るように思う。

わがゴール裏は、手を使う事が下手だなあと思う。
拳を突き上げる行為も頭の上で両手を叩く行為もほとんど無いといって良い。
手を叩く行為も胸の辺りでおこなっている。


両手を挙げて叩く行為はとても疲れる。サルトする行為とて疲れる。90分間続ける事は不可能でしょう。でもつかれたら、拳を突き上げ、疲れたら両手を頭の上で叩き、それも疲れたらサルトしたりという複合技で対応して欲しいなあ。


最後に応援の臨機応変さも違うなあ。わがゴール裏は歌を歌いきる所に価値を求めている。鳥栖サポは試合展開にそく対応できうる。選手が倒れたら、その選手のコールを直ぐするし。ピンチのとき、攻撃への展開を始めるときその他もろもろ、すばやく対応しているように思えた。


でも、仕方が無いかなあ。
1対0で勝っていて、相手GKがボールを保持している。後半残り10分と言う時間で、敵GKがボールをそのまま保持している。そういう所で、早く蹴れというブーイングが起こるゴール裏だったのだから。
敵が無為に時間を潰してくれる行為にブーイングではなく拍手が起こるようになったのも今年ぐらいからでしょうし。


で、そのわがゴール裏を批判したいわけではない。多分、チームの現状と同じなんだと思うから。愚直に突き進んできたここ数年なんだと思うから。

札幌ドームで初めて応援に参加した時、この大きさにびっくりし、コントロールできない何かを感じました、自分の能力を超えた器を預けられた違和感を。
今はそのもどかしさを感じるまではいきませんが。


この大きさを、数を生かしきるまで言っていないと思うからこそ、まずは歌を歌いきる所からはじめなければいけないと思う。
勝つではなく、闘うという言葉を選んだヤンツーさんは正しい選択をしたと思う。それはチームだけではなく、ゴール裏もその段階なんだと。多分、全てにおいてそうなんだ。


鳥栖に負けたことをきちんと受け止める事が必要でしょう。
本当に全てにおいて完敗だった事を。






勝っている所を見たいんでない。
幻想だとはわかってはいるけれど、あえてその幻想に乗っかりたいんだ。一緒に闘って勝ちきりたいんだ。
簡単に悲願といってはいけないと思う。
悲願と言う言葉にはとても想い響きを感じるから。


浦和がJ1の王者に10何年年かけてたどり着いた。
今に価値があるのではなく、その10何年の試行錯誤にこそ価値がある。
そしてその試行錯誤を一緒に過ごしてきたサポにこそ、栄冠が掲げられるべきなんだと思う。


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