2006年04月24日
函館の千代台競技場は寒かったなあ。 この前来たときは鹿島との闘いだった。 あの時は新居さんの初ゴールを見れたのだったかな。 それがもう4年前のこと。 あの当時からいる選手は曽田さんぐらい。 黄色の柏の皆様もわざわざ函館まできていただいて。 逆風なのに応援する声ははっきり聞こえたなあ。 何を言っているかはわかりませんでしたが。 サルトしている人数はわが赤黒サポより多かった。 勿論お応援している人数は圧倒的にこちらが多いのだけれどね。 でもサルトしている人数がこちらが少ないと感じることが。 多いのはどういうことなのだろう。 中央部の黒い人々は勿論サルトしている。 それがはっきりわかるのは、ゴール裏中央部の一番後ろに。 陣取っていたから。 サルトしている人は中央部だけではなく。 あちこち、ばらばらに点在している。 そういう人達を結集することができればなあ。 遠くから見て、あの柏のように。 中央部の人たちが雄雄しく跳ねている姿がはっきりわかるのは。 なんとも清清しいと思うのに。 仲間内で、あるいは此処が自分の定位置ということで。 それぞれに応援しているのだろうけれど。 そのパワーが結集していないのは。 宝の持ち腐れのようだなあと。 一番美しかったプレーは。 二人だけで、パスを2,3本つないで、敵ゴールまで持って行ったプレー。 敵によく許してしまうプレーをわが赤黒チームがやってくれた。 残念ながら、ゴールを割れなかったけれど。 シュートを打てたかどうかも覚えていない。 でもこのときのボールの動きは忘れまい。 誰と誰とのパス交換だったかもわからないのだけれど。 高く保って、ボールを保持してパスを繋げて攻撃の型を作るのも。 勿論美しいのだけれど。 攻められていて低い位置から、少ない人数でできれば二人で。 パス交換をしながら、速攻を行うプレーも好きなのだけれど。 中々、こういうプレーを決めれるFWは日本には少ない。 まして日本の2部のチームに。。。 日本人は速攻が嫌いなんだろうなあ。 やれないというのもあるのだろうけれど。 もてはやされないプレーは選手もしないでしょうしね。 前半が良かったというけれど。 柏に主導権があったでしょう。 フッキの一瞬も見逃さない、抜け目ないプレーの数々が得点を生んだ。 フッキのボールの持ち方は剣玉のようだなあ。 ボールに紐をつけて引いたり伸ばしたり。 後半は持ちすぎの感もありですが。 其処を理解して。 フッキが思わずパスを出させる、はっとさせる動きを味方がしなくては。 そしてフッキのお守り役は誰なんだろう。 危ないと思ったらすぐさっと間に入らなくては。 フッキに全てにおんぶに抱っこなだけでは情けない。 曽田さんはあいも変わらずですが。 彼のプレーで助かっていることも確か。 チームに異分子曽田さんフッキさんがいるのも確かですが。 彼らが活躍しなければ勝てないのも確か。 曽田さんを異分子と言わなければならないのは、もの悲しいのか。 いやいや、そういうものを内包できないでどうするのだ。 なんて想いの方がふつふつと。 試合終了後。 赤黒コンサバスがハセガワストアの前に止まっていました。 16時ごろのことです。 バスの中に赤黒のユニフォーム11番が見えました。 まさか、選手のバスかなあ。でも少々出てくるのも早いとも思うから。 サポのバスかもしれないとも思う。 試合終了後選手が着替えないでそのまま札幌に向かうということは。 無いでしょうし。
自宅を出たのは実は金曜日の朝。 札幌に所用があったから。 金曜の夜に、函館に行くのにギリギリまで迷いました。 日曜日は仕事だから戻らないといけないし。 札幌でスカパーを見せてくれる所に紛れ込んだ方が楽なのは。 そしてそちらを選択したほうが良いこともわかっていましたが。 其処に紛れ込んで馴染むことのほうに気を使いそう。 そういう馴染みの場所もないという事で。 深夜函館に車で向かいました。 ローソンでチケットを買って。 そして朝6時に函館。 それから函館をウロウロ。 試合が終わって函館を出たのは18時。 そして札幌でもウロウロして自宅に着いたの夜の12時。 延べ820km走破。 釧路時代の函館遠征はJRだったけれど。 まりもで横になるのは体が痛かった。 温泉のはしごと焼き鳥弁当で体を休めて。 心残りはスープカレーを食べれなかったことぐらい。 ということにしておこう。
プロフィール
ゴール裏中央部やや右上にてサルトしています。 mimicakiと申します。 それは昔の話です。
最新のエントリー
リンク集
月別アーカイブ
カテゴリー
コメント
検索