G大阪対浦和をTVで見ながら。

2005年11月12日

J2赤黒目線でしか数年蹴球を見ていないので。
その技術と試合の面白さにのめりこむ。
どこかの代表の親善試合なんて目じゃないなあ。

ナビスコ杯でもそうですが元札幌と連呼される選手がいること。
今日は藤ヶ谷でしたねえ。大黒の場合はその過去が抹殺されているような。

こういう舞台にいたことがあるのだなあって。
こういう舞台でG大阪や浦和や千葉や磐田と戦っていたのだなあ。
あるチームとは互角以上に。
そういう蹴球をしていたのだろうかって、想いがふつふつと。

明日に福岡戦を控えながらなんとなく、そういうことを考えていくと。
98年のシーズンを思い出す。
なんとなくわが黒にとって理不尽な参入決定戦があったシーズンであり。
わがチームは98年にJ1にあがったばかりで他のチームは複数年の勝ち点で。
といった事、いまさらの頃ではありますが。

厚別でピクシーの名古屋に勝ったのは忘れられない試合ですが。
それよりも印象にあるのは。
厚別で磐田に虐殺されたあの日。
私は磐田のボール回しの傍観者になっていた。
1対6、私のイメージではあの時の磐田がわが赤黒が対戦した最強の磐田であったと思う。
その試合で黄川田が得点しているのがご愛嬌だろうか。

オフィシャルでその時の試合に出ていたメンバーを見る。
わが赤黒で今現役とはっきり確認できるのはG大阪に移籍した吉原宏太と。
次節対戦する福岡の村主博正のみ。
うちのチームの歴史の歴史の激動を感じますね、7年前のことなれど。。

それで驚いたのは7年前の磐田のメンバー。
私が今わかる範囲で。
田中誠がいて福西崇史がいて鈴木秀人がいて名波浩がいて中山雅史がいて川口信男がいて。
名古屋に移籍した藤田俊哉がいて横浜Fマリノスに奥大介がいて清水に山西尊裕がいて
すげえ、ほとんどJ1で現役ではないか。な、なんと9人凄いなあ。

その磐田戦から最終戦の横浜フリューゲルス戦の間全て勝っているイメージが残っている。
だからこそ、J1参入決定戦に負けるなんて考えるまでもなかったのですが。
オフィシャルで調べてみると私のおぼろげな記憶は正しかった。
等々力で川崎に勝って厚別で神戸に3対0の快勝そして市原(現千葉)に臨海で3対1の快勝と来て。

最終戦のフリューゲルス戦をも迎える。
この試合を終わって。
わがゴール裏から相手チームへのエールの交換を行われました。
アウエーではエールの交換が行われたことはあるようだけれど。
ホームでは最初で最後だったと思う。そういうのをその後した記憶はない。

名古屋のピクシーに勝って、磐田のパス回しに唖然として。
フリューゲルスの格好よさにしびれました。
試合は負けたのに悔しくなかった。
何か最新鋭のF1マシーンのようだったなあ。

そしてJ参入決定戦をホームアンドアウエーで。
先に市原(現千葉)が勝ち抜けて、J1確定して。
そう今猛威を振るう市原(現千葉)とのリーグ戦で『生涯J1』という弾幕見た覚えがありますが。
きちんと守っているなあ。

神戸と福岡とするのですがその4試合で1点しか取れないで全敗。
なす術もなく試合の展開なんて覚えていない。

覚えているのは、室蘭から札幌までの岐路の静けさと。
神戸戦だったか福岡戦だったか忘れましたが。アウエーサポの裸族の多さ。
11月末12月室蘭の入り江のあの寒さ、北海道の人間にも身の凍る寒さにもかかわらず。
裸族の人が一杯。私はコンサ使用のグランドコートに身を包み寒さに身を震わせていた。
多分福岡の試合だったと今は思いたい。

そのリベン時を今こそ明日果たしたい。
福岡の自動昇格を消してやろうって。
現地にはいけないけれど、スピカには参戦しようと思っています。

G大阪対浦和の試合を見ながらこういうことを思い起こし書くのも。
なんですが。
でもあの世界に戻りたい、今日つくづくそう思った物だから。
そういう因縁が福岡とはあるのだなあ。



選手で福岡との因縁を覚えている選手は赤黒チームにはいません。

最後になんとなく調べて見ました。村主博正以外にもしかして。
あの参入決定戦を戦った戦士が他にも福岡に残っているのかと。
なんといるのですね。
GKの塚本秀樹選手であります。しかもその試合先発しています。
ううむそういう意味では赤黒は福岡に負けているなあ。



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