2008年10月25日
19日から続けてきた降格を受けた一連のエントリーの締めくくりです。 日韓ワールドカップのあった2002年には、いろんなサッカー本が出ました。中には、フーリガンの恐ろしさを煽り立てるようなものもあったんですが、ある本を興味本位に買ってしまったんです。その中にあったイングランドのフーリガンの言葉が忘れられません。 「俺にとってクラブは血を分けた子どもなんだ。お前は、お前の子どもが出来の悪い劣等生だからと言って、見捨てることができるか。できないだろう。それと同じさ」 とどのつまり、そういうことなんだろうと思います。強いチームを応援したければ、浦和のサポになればいいのです。実際に、道内には浦和サポはいっぱいいます。 でも、残念ながら浦和と私の間には血の繋がりがない。 ただサポとクラブの関係が親子と違うのは、親子が一対一の、ひょっとすれば話せば変わる関係なのに対して、サポとクラブの関係は多数対多数。しかも、サポはあくまでもサポという象徴的な存在でしか無く、実際の親のように子どもに手を愛の鞭を振るったり、小遣いを減らしたりと、具体的なアクションはできません。 実のところ、私個人がいくらHFCはかくあるべきだと熱弁をふるっても、現実的に、私の提言なり意見が、取り上げられることはありません。コンサドーレのことを真剣に考え、たとえば「5段階計画などをいまも盲信する村野こそ降格の責任を取って辞職すべきである」と結論づけても、私の意見が通ることはありません。選手起用にしても、戦術の選択にしても、私個人の意見が採り上げれることはないんです。 では、そのなかでサポとして何ができるのかというと、とどのつまり、どんなことがあろうと、ポジティブに解釈し続けることだろうと思うんですよね。 例えば20年スパンの五段階計画。「プロクラブがこんな悠長なことを言い始めたらもう終わりだ」と思えば最後はサポを辞めるしかなくなりますが、「おお、他のどんなクラブもやっていない画期的な方針だ」と思えば、しばらくサポを続けられます。 モノは考えよう、とか、モノは言いようとかありますけど、降格しても、J2で最下位になろうとも、地域リーグまで落ちても、存続さえしていれば「この苦難も将来に飛躍するための貴重な勉強だ」とか、いくらでも前向きな解釈をし続けることはできるんです。 イタリヤに行ったことも、イタリヤのサポと話したことも無いけれど、理不尽が日本以上にまかり通るセリエで、多くのイタリア人がサポを辞めないのは、彼らが日本人以上にポジティブシンキングが得意だからではないでしょうか。 ということで、一生をコンサドーレ札幌のサポであると誓った私は、コンサドーレがどんな状況になろうと、全力を挙げてポジティブに捉えます。前向きに解釈し続けます。
コンサの選手は幸せだね
Re:サポを続ける方法
2008-10-25 01:34
サポを続ける方法を考えなきゃサポを続けられない。。 お気の毒です。。
一種の
Re:サポを続ける方法
2008-10-25 07:19
新興宗教みたいですな。 サポを続けることが目的化している。
大阪の道産子
血は水よりも濃い!
2008-10-25 12:59
>でも、残念ながら浦和と私の間には血の繋がりがない。 私事で恐縮ですが、以前尼崎のセレッソが借り上げていたマンションに住んでいた事を 書いた時にhibariさんから「セレッソサポになってもおかしくなかった環境では」との ご指摘がありましたが、何度も選手バスに乗せてもらい長居に行きましたので、決して 嫌いでは無かったのですが「どうしても真からサポになれない自分」がそこにいました。 おそらく大阪生れだったら文句無しでサポになったでしょうが、北海道生まれの血が ソレを許しませんでした。 自分が道産子である事を意識したのは大阪の大学に進学してからで、それ以来本籍地は ずっと岩見沢のままですし(2回!結婚してもそのまま)現在は車は持っていませんが 以前は札幌ナンバーの車にわざわざ乗っていました。決してその地域のクラブのサポは その地域出身者に限ると言う訳ではありませんが、血は水より濃いのは確かです。 これも以前書きましたが、かもめと行った仏のボルドーのホテルが地域のクラブのサポの 溜まり場になっていて100年以上続く地元クラブを4世代以上にわたってサポートする 姿に、歴史と地域とサポの幸せ(苦しい時の方が多かったと思いますが)を感じました。 翻ってコンサはまだ12年です。今スタジアムに来ている子供達が20年先に地域とサポ の幸せを感じてくれるように我々が歴史を築いていかなくてはなりませんね。 ○たさんが書かれてましたが選手はせいぜい10年だけどサポは一生続けられると・・。 ※以下の記載は全て架空のものです、実在する団体・個人等とは何の関係もありません。 藤田征也「オマエ柄にも無く難しい本読んでどうした?雪でも降ったらどうするッ」 西 大伍「本に書いてるけど、猫ッてサァ誰にも教わらなくてもネズミを獲るんだってサ」 藤田征也「それって本能ッて言うか親から受け継いだ血なんだろうなッ」 西 大伍「そして飼い主に自慢する様に獲物を見せびらかしに来るんだって」 藤田征也「フーンッまるでサッカー選手がゴールを決めたときの自慢のポーズじゃん」 村野明子「キャーーーッ!!食料庫にネズミがァーー!!!」 征也・大伍「それッ!いそいでネズミ退治だッ!!・・・バタバタッ・・・」 中山元気「血は争えんなァ」
hibari
Re:サポを続ける方法
2008-10-25 15:10
みなさまありがとうございました。 まぁ、一連のまとめとして今回のエントリーは少し高ぶってしまったかな。 こういう70年代的な、脂ぎった書き込みをすると、ネットでは 決まってシニカルな冷笑、書き捨てのような皮肉にさらされるんですが、 書き込んでから1000件を超えるアクセスがある中で、 今のことろ2件のコメントとは思ったより少なかったですね。 さて 名前を名乗られないお二人さんへ >サポを続ける方法を考えなきゃサポを続けられない。 そうではありません。原因と結果が逆です。 >お気の毒です。。 あなたは幸せですか。。 >新興宗教みたいですな。 真面目に答えますけど、 明らかにサポーターは宗教ではないですね。 宗教というのは「神」みたいな超常的存在が前提になっていますから。 しかし、似て非なるものではありますが、 一面は確かに新興宗教(みたい)ではありますね。 厚別に行くときには、かならず本物の新興宗教の北海道本部の前を通るけど、 いつも、そう思います。 しかし、そもそもサッカーのサポっていうのは、 結局、多かれ少なかれ、新興宗教(みたい)なモノではないでしょうか。 それがサポという存在と スポーツエンターティメントビジネスのカスタマーとしてのファンを分ける 違いじゃないかと思いますが。 世界中どこでも、サポーターというのは 新興宗教(みたい)なモノのように思います。 そして、サッカーでなくても、音楽でも、ガーデニングでも、料理でも、 なんでもいいんだけど、 多かれ少なかれ、誰でも、新興宗教(みたい)なものを 一つくらいは持っています。 もし新興宗教(みたい)なものを一つも持っていない人がいたら、 その人は、お気の毒だと思う。 >サポを続けることが目的化している。 ほとんどすべての人は「生きることが目的化している」けど、何か問題ある? さて、答えてくれるわけはないと思いながら、お二人に聞くけど、 サッカーのサポーターって何? さて、オオドサさん。 いつも、ありがとうございます。 >翻ってコンサはまだ12年です。 >今スタジアムに来ている子供達が20年先に地域とサポ >の幸せを感じてくれるように我々が歴史を築いていかなくてはなりませんね。 まったその通りですね。 いつかはエントリーに書くこともあるかと思いますけど、 2002年のワールドカップの時に、伝説のイングランドVSアルゼンチン戦が ドームで行われました。 イングランドが勝ったその晩は、イギリスから渡ってきた1000人のイングランドサポがススキになだれ込んで大変な騒ぎになったんですが、 私の行きつけの飲み屋さんに、2人の70代のイングランドサポが現れて、 みんなで朝まで楽しく酒を飲み交わしたんですね。 私的には、その時にサポというもののあり方をずいぶん学んだような気がします。 彼らは70代であってすでに2代目、3代目のサポだったりするのですが、 その彼らから励まされて、クラブの創設期にサポであったという幸せを感じました。 また脂ぎったことを書くと無名の一行書き込みを誘発しそうですが、 私には、コンサドーレ札幌の創設期のサポーターとしての プライドと責任があると思っています。 今後ともよろしくお願いします。
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
最新のエントリー
月別アーカイブ
コメント
検索