1998年10月21日 平塚

2006年10月12日

コンサドーレ札幌10周年感謝デイ特設ブログ(長いな^^;)の大野貴史にトラバ。

貴史と書いてよしふみ。セカンドステージから突然出てきて、いきなり五輪代表候補に呼ばれちゃった大野。同じ五輪代表候補には吉原宏太も呼ばれてて、厚別には「宏太の夢は俺達の夢 大野の道は俺達の道」という横断幕があった。あれ、好きだったなあ。

その大野がJリーグ初ゴールをあげたのが、1998年Jリーグセカンドステージ第12節のベルマーレ平塚戦。なぜだったか忘れたけどマラドーナがお休みで(出場停止だったのか?)、レンタル移籍してきて間もない棚田伸が先発したのだが、コーナーキックが続けてゴールラインを割ってしまうなど、まったくダメだった。この日の思い出は、大雨と、ダメな棚田と、大野のヘディングでのゴール、ぐらいだな。

水曜日の夜で、たしかBSで中継があった。僕は何かの理由で会社を休んで見に行った。観客が少なかったので、ずっと、傘をさして見ていた。

あらためて当日の記録を見ると、前後半90分間でのシュート数はベルマーレが26に対しコンサドーレ8、延長戦まで含めた120分間ではベルマーレのシュート数はなんと37本(コンサドーレは10)。コンサドーレ-新日鉄大分どころではないシュート数なのに、よく2-2で引き分けられたものだと思う(結果はPK戦でベルマーレの勝利)。

大野は、2000年からチームが森-名塚-大森の3バックを採用するようになったことで出番を失ってしまった。勝ちに行かねばならない状況下ではやむを得なかったのだろうが、もう少し我慢して使い続けていれば…と、思わないでもない。


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