2008年03月31日
あんまり話題になっていませんが、3月30日の道新の記事です。 >札幌を運営する北海道フットボールクラブ(HFC)の村野晋管理部長が2月、 >育成部長も兼ね、強化部も統括するゼネラルマネジャー(GM)に就任した。 >GMという役職はクラブ創設後初。J1最下位クラスの強化費でJ1残留を目 >指す札幌で、責任は重く、苦労は多いが、生え抜きの若手を中心とした育成型 >のチームを目指している。http://www.hokkaido-np.co.jp/news/consadole/84364.html 村野晋さんが、札幌初のGMになったという記事です。 村野さんというよりも、「しまふく寮通信」で有名なアッコさんの旦那さんといった方がコンサポにはわかりやすいかも。実際には、ご夫妻で寮に住まわれて、村野GMは、僚艦として若い選手たちの日常に目を光らせています。 さて、ここに来て村野さんをGMに置く人事はどういう意味でしょうか。GMというと、戦力補強の責任者といったイメージですが、どうやら札幌のGMは、育成部門、強化部門、管理部門の統括背錦紗、つまり営業以外の部門の取りまとめ役ということで、Jで言う一般的なGMとは少し違うようです。 村野さんは、64年に神奈川県に生まれ、駒大卒業後、日本初のプロマネージャーとしてフリューゲルスと契約、その後ヘッドマネージャーになり、94年から代表入り。97年フランスW杯アジア最終予選まで日本代表の統括マネジャーを務めたそうです。HFC入りは03年。降格した年ですね。05年7月に総務部長を兼ねる執行役員に、そして今年の2月からGMだそうです。また別な記事によると、かの「5段階計画」の素案を作ったのも村野さんのよう。 ところで三浦監督は63年7月生まれで駒澤大学ですから、村野さんとは学年が一つ違い。遅生まれだと同期です。村野さんが駒大サッカー部とは書いてありませんが、常識的に見て村野さんは駒大サッカー部で三浦監督と一緒だった可能性がかなり高い。つまり三浦監督の札幌招聘には、村野さんの駒大繋がりが大きく役割を果たしたんじゃないでしょうか。 三浦監督は、誰よりもサッカーに情熱を持ちながらも、体格に恵まれず、怪我にも泣かされて、大学サッカー界ではまったくの無名でした。一方、村野さんも選手の道ではなく、マネージャーの道を歩んでいますから、選手としては鳴かず飛ばずだったんじゃないでしょうか。それでもサッカーの仕事がしたいと。選手としては大成しなかったもののだれよりもサッカーを愛した二人が駒大で出会った、というような絵を想像してしまうわけです。 村野さんはちょうど小山強化部長がJ2降格の責任を取って辞めた後、城幅さんとほぼ同時期に日本代表の総務から札幌へ入ってきています。小山さん、城福さんは、早稲田のサッカー部で岡田監督と同じ釜のメシを食った仲間です。そして村野さんは、日本代表のスタッフだった岡田監督と同じ時期に代表で苦楽を共にした仲です。J2優勝時の新聞記事で見る限り、岡田監督は三浦監督とも深い繋がりがあるようですし。 これらの事実から、まったく私の想像ですが、01年に札幌を離れた岡田監督は、札幌を離れたものの、その後も札幌のことを気遣い、小山さん、城幅さん、そして村野さんと、「札幌をよろしく頼むぞ」と、近しいスタッフを札幌に寄越してくれていたんじゃないでしょうか。 まぁ、想像ですけどね。 いずれにしろ今回の人事で、グランドの中は三浦監督。グランドの外は村野さんという体制がしっかり出来たわけで、その三浦監督と村野さんは、(おそらく)駒大サッカー部の同期。ということで三浦監督をささえる、かなり磐石な体制が作られているようです。
事情通?
Re:村野GM誕生に思う
2008-03-31 23:54
三浦監督と村野さんとは、JAWOCつながりです。 岡田さんは関係していません。
hibari
Re:村野GM誕生に思う
2008-04-01 00:13
事情通? さん ありがとうございます。 JAWOC ですか。 調べると、村野さんはJAWOCの競技部参与だったようで、三浦さんも大宮の第1期監督時代の後にJAWOCに席があったようですね。 私のように新聞やWEBの記事から想像を逞しくしているのと違い、 ものすごくリアルな肌触りがしますね。 今後ともよろしくお願いします。
ちなみに
Re:村野GM誕生に思う
2008-04-01 01:34
村野氏と城福氏を2003年にコンサに呼んだのは 小山氏そのものです。 小山氏が辞めたのはJ1復帰できなかった 2003年末。
hibari
Re:村野GM誕生に思う
2008-04-02 01:16
ありがとうございます。 城福さんが強化部長を辞めて、三上さんが昇格したとき、正直に言って疑問に思ったんです。三上さんは、室蘭大谷→札大→山形→札幌という人で、まだ30を超えたばかり。経歴から見てもどれほどの人脈があるんだろう、と思っていました。やはりJ1を狙うようなクラブには、いわゆる中央人脈みたいなものが必要と思っていたので。 こうやってみると、村野さんの存在は、私たちが思うよりもはるかに大きいのですね。一度、どん底まで落ち込んだ札幌が、ふたたび今J1の舞台に立てるほど、復活できた最大の功労者は、村野さんかも知れないですね。本当に、夫妻で選手マネージメントから立て直したということで。 でもGMになったことでちょっと心配なのは、もし今年降格してしまったりして責任を取らされると、アッコさんも札幌を離れてしまうこと。そんなことだけはないように、末永くいていてもらいたいですよね。
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
最新のエントリー
月別アーカイブ
コメント
検索