2007年02月27日
曽田さんがキャプテンに就任するかも知れないらしい。
曽田さんのキャプテンマークと言うと、やはり思い出すのが2004年のサテライト横浜Fマリノス戦。 前日の札幌ドームでの試合(確か湘南相手に引き分け)の後、札幌遠征の何よりの目玉としていたのがそのサテライト戦だった。何故サテライトが目玉なのか?それは当然。曽田さんが見られるから。(当時トップチームのリベロは佐藤尽選手。)トップの試合はそりゃ当然ガンガン見ていたが、当時の私は何よりもまず曽田。曽田雄志を見たくて仕方が無かったのだ。 ドームの湿っぽい同点ゲームから打って変わって快晴の宮の沢。初の(だった気がする)宮の沢に興奮しきりだったのだが、人がギッチリ詰まり練習場の雰囲気ではない。そんな中、サテライト戦が始まる。 戦前からある程度予想していたとは言え、やはり「キャプテンマークを巻いた曽田雄志」を見た時は、何かこう、こみ上げるものがあった。まぁ、曽田さんはしきりにズリ落ちるキャプテンマークを気にし続けていたのではあるが。 試合は新居(現ジェフ千葉:マジかよ)の2ゴールで、2-1の勝ち。 札幌サテのDFラインは高校生一名+曽田さん、上田だった。良く防げていたのを覚えているが、同時に上田と曽田さんによる驚愕の大スペクタクルがあったのも、これまたよく覚えている。いや、良く勝ったものだ。 (今調べてみたら横浜のサテは面白い面子だ。金子が居るし、後に優勝メンバーになる河合竜二も居る。大橋(現東京V?)とか阿部祐大朗(現北陸地域リーグ)、山瀬弟に安永、さらには田中隼磨に下川まで。ナンだこの面子) 試合後、宮の沢には今となっては懐かしい「ヴィクトリーソング」が流れた。 おれーたちの しょおりーだ つよーいぞ つよーいぞ おれーたちの せんしーよ フォルーツァ さっぽろ ウィー アー サッポロ!ウィーアーサッポロ! ウィー アー サッポロ!ウィーアーサッポロ! 延々続く、個人的に札幌ドームでは聞く事の出来なかったそれを、一生懸命踊り続けた。阿部(現北海道地域リーグ?)はクールダウン後に踊ってくれるに違いないと思っていたが、残念ながらそうはいかなくてションボリしたのも覚えている。 さて、話が大幅にズレたが、とにかく曽田さんのキャプテンというのはかなり隔世の感があると、そういうことである。 当時はまだ曽田ファン不遇の時代で、4番(或いは18番)ユニを着て札幌ゴール裏にいると「今野ですか?(或いは「山瀬ですか?」)」などと聞かれたものだった。私はその都度「曽田です」「曽田の4番(或いは18番)です」と答えていたのだが、ここ1~2年の曽田さん市民権の得具合と言ったらそれはもう、ある種の寂しさまで思うぐらい。 あの頃スタジアムで曽田さんがボールを持つ度に発生していた怒声、叫びなんていうのは、最近じゃ随分減った。飲み会の都度、曽田さんのプレーに駄目出しをされて、懸命にそれを否定するという事も少なくなった。全ては曽田さんが大きく成長し、それこそ「チームの核」になろうとしている事の証明だと思う。Will be core.カッコよすぎだとつくづく思う。 曽田さんが成長し、こうして期待され、応える様子は正直言って、寂しい。 でも本当に嬉しい。応援しているチームの、応援している選手が、どんどん信頼されてチームを牽引する。実に素晴らしい事だと思う。 攻撃力に守備力、全てを依存していた面子が一斉に抜けた2003年。 地盤工事から始めざるを得なかった2004年。 良質の基礎になりうる選手を補強し、懸命にスタイルを模索した2005年。 スタイル構築と認識をほぼ終了したが、纏まりを欠いた2006年。 そして今、言い訳無しの全員一致団結して2007年シーズンを迎える。 そこのキャプテンが曽田雄志。 キャプテンだからどうとか、キャプテンだから引っ張るとか、そういう事はきっと無いと思う。あくまで合議制というか、みんなで一つになって進む事こそが、強力な補強を行った外道チームがウジャウジャいる地獄リーグJ2を勝ち進む上で大切な事なのだと思う。 今こそ、昔の気持ちを思い出して、過度な期待をブツけるのではなく 選手のプレッシャーを自分達の声で取り除いて鼓舞するような そんな応援をしなければならんのだと宣言して、この項終了とさせて頂きます。 褌続報 オリジナルの生地を作るのが大変そうで、交渉難航中。 (マフラーだと糸を編み上げるので楽なんですが、生地はそうもいかんらしい)
2007年02月12日
自分達の意思で一つになれば達成出来る事を、結局一つになれなくて達成出来なかった。 ・・・という事が何回かある。
オヒサルブログに書いてる以上はコンサ絡みにならざるをほぼ得ないんだが、
まぁ要するにゴール裏での応援って事である。
一つになれたのは新潟戦のPK戦だったろうか。あれは一つだった。
本当に、恐らくは隅っこまできっちり一つだったんじゃないかな?
そう思いたいし、相当真ん中に入った身分としてはかなり一つだったと思う。
で、あれを美談として語り継ぐのは簡単な事だし、しかも素晴らしい事だ。
是非ともガンガンやってって頂きたいし、俺も多分そうすると思う。
(何よりブルーノクアドロスも頑張りますじゃなくて頑張りましょうって言ってるしな)
閑話休題。
表題は別にこんな何度も語り尽くした昔の話をしようとしてるんじゃない。
いわば俺の読書感想文を書こうという、そんな腹である。
こないだ読んだのは「蟹工船 一九二八・三・一五」(岩波)
所謂「プロレタリア文学」なんだが、ここで「なんだアカか」
と拒否反応を示した人は実に勿体無いといわざるを得ない。
見て欲しいのは政治思想じゃなくて、
「主義主張に対しては一つにならないと達成出来ない、しかも無理強いは出来ない。
無理強いをすれば結束は弱まる。でも周囲の理解は圧倒的に低い。
都合の良いところは聞いてくれるが、いざ自分を犠牲にとなると腰が引ける。
それでも尚やはり自分たちをまずは犠牲にして、それで周りが来たなら・・・
いやいややっぱり誰かが先導とかじゃなく、究極的にはみんなで一緒に・・・
でもやっぱそれって難しいよなぁ。上手く煽れれば・・・いや、でもそれは・・・」
みたいな悩み(というか堂々巡り、逡巡)と、その中にある確固たる覚悟、
意思の強さ、ただ前に進む事だけが正しい事(の一つ)であるという実感とか
なんかそんな部分を読んで欲しいなと思う次第である。
「所詮アカ文学だろ」と言われれば、
自分自身押しも押されもせぬ生まれも育ちも真っ赤っ赤な人間なモンで、
しかもそれで色眼鏡で見られて結構いやな気持ちも味わった経験もあるもんで、
また何とも説得力に欠けるとは思うんだが、プロレタリア文学っつー
無駄っつーか馬鹿極まるカテゴライズがそもそもおかしいんであって
小林多喜二という作家が持つ心の熱をそのまま投影したような、
ビシビシに伝わるクソ熱さをこそ感じて欲しいと思うんです。
話が若干ズレたんだけども、
実際一つの目標に向かう場合ってのは
一人一人の心の底から沸き上がる感情というか情熱を束ねて太くする事が大事で、
そこに個人的打算、計算、保身とかはなるべく入らない方がいいと、
俺なんかは思うんです。ええ。無茶ですね。
これだけ価値相対、間違った個人主義が台頭した時代にあっては
そこまでを要求するのは(直接はしないが)難しいのかなぁと弱気になるけれども、
そんな時代であるが故に「自分が好きなものぐらい、必死になろうぜ」と
そんな気持ちでみんなが馬鹿になれればきっと見た事が無い景色を見れるんじゃねぇかと
そんな風に思う次第です。
その本でも、一番怖いのは気持ちが萎える事と白ける事だと書いてあり
結局のところ主義主張が萎えるのは情熱が無くなった瞬間だということです。
俺もそう思う。
「いや、俺はいいよ」「いや、俺はやめとくよ」というのは
主義主張を表現する(しなければいけない)場においては罪である。
と結論付けられるんじゃねぇかなと
かなり乱暴な締めによって今回の話の終わりとさせて頂きます。
~この項、了~
プロフィール
厚別在住35歳。 よく食べ適当に働きやたら寝る #####FORZA4SODAN##### いつでもどこでもいつまでも 全 身 全 霊 全 力 で 札幌と曽田雄志を応援します。 曽田さんは引退したけれど、 だからこそ彼の愛する札幌を 全身全霊全力で応援し続けます この度札幌に引っ越しました。
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