団結する事の困難と理想と現実

2007年02月12日

自分達の意思で一つになれば達成出来る事を、結局一つになれなくて達成出来なかった。
・・・という事が何回かある。


オヒサルブログに書いてる以上はコンサ絡みにならざるをほぼ得ないんだが、
まぁ要するにゴール裏での応援って事である。

一つになれたのは新潟戦のPK戦だったろうか。あれは一つだった。
本当に、恐らくは隅っこまできっちり一つだったんじゃないかな?
そう思いたいし、相当真ん中に入った身分としてはかなり一つだったと思う。

で、あれを美談として語り継ぐのは簡単な事だし、しかも素晴らしい事だ。
是非ともガンガンやってって頂きたいし、俺も多分そうすると思う。
(何よりブルーノクアドロスも頑張りますじゃなくて頑張りましょうって言ってるしな)


閑話休題。

表題は別にこんな何度も語り尽くした昔の話をしようとしてるんじゃない。
いわば俺の読書感想文を書こうという、そんな腹である。

こないだ読んだのは「蟹工船 一九二八・三・一五」(岩波)
所謂「プロレタリア文学」なんだが、ここで「なんだアカか」
と拒否反応を示した人は実に勿体無いといわざるを得ない。

見て欲しいのは政治思想じゃなくて、
「主義主張に対しては一つにならないと達成出来ない、しかも無理強いは出来ない。
 無理強いをすれば結束は弱まる。でも周囲の理解は圧倒的に低い。
 都合の良いところは聞いてくれるが、いざ自分を犠牲にとなると腰が引ける。
 それでも尚やはり自分たちをまずは犠牲にして、それで周りが来たなら・・・
 いやいややっぱり誰かが先導とかじゃなく、究極的にはみんなで一緒に・・・
 でもやっぱそれって難しいよなぁ。上手く煽れれば・・・いや、でもそれは・・・」
みたいな悩み(というか堂々巡り、逡巡)と、その中にある確固たる覚悟、
意思の強さ、ただ前に進む事だけが正しい事(の一つ)であるという実感とか
なんかそんな部分を読んで欲しいなと思う次第である。


「所詮アカ文学だろ」と言われれば、
自分自身押しも押されもせぬ生まれも育ちも真っ赤っ赤な人間なモンで、
しかもそれで色眼鏡で見られて結構いやな気持ちも味わった経験もあるもんで、
また何とも説得力に欠けるとは思うんだが、プロレタリア文学っつー
無駄っつーか馬鹿極まるカテゴライズがそもそもおかしいんであって
小林多喜二という作家が持つ心の熱をそのまま投影したような、
ビシビシに伝わるクソ熱さをこそ感じて欲しいと思うんです。


話が若干ズレたんだけども、
実際一つの目標に向かう場合ってのは
一人一人の心の底から沸き上がる感情というか情熱を束ねて太くする事が大事で、
そこに個人的打算、計算、保身とかはなるべく入らない方がいいと、
俺なんかは思うんです。ええ。無茶ですね。
これだけ価値相対、間違った個人主義が台頭した時代にあっては
そこまでを要求するのは(直接はしないが)難しいのかなぁと弱気になるけれども、
そんな時代であるが故に「自分が好きなものぐらい、必死になろうぜ」と
そんな気持ちでみんなが馬鹿になれればきっと見た事が無い景色を見れるんじゃねぇかと
そんな風に思う次第です。

その本でも、一番怖いのは気持ちが萎える事と白ける事だと書いてあり
結局のところ主義主張が萎えるのは情熱が無くなった瞬間だということです。
俺もそう思う。
「いや、俺はいいよ」「いや、俺はやめとくよ」というのは
主義主張を表現する(しなければいけない)場においては罪である。
と結論付けられるんじゃねぇかなと
かなり乱暴な締めによって今回の話の終わりとさせて頂きます。

                           ~この項、了~


post by アラブ

03:07

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