富山出身2

2010年01月14日

<あらすじ>
富山出身のアラブは荒谷が加入し、スタメンを奪取して頑張ってくれた事に
とても感動というか、なんかこう、思うところがあったのである。
あらすじでところでっていうのも何だけど、私のルーツは北海道「にも」あって
幼少の頃に見たそれは結構強烈に今の俺の「札幌好き、札幌ラブ」に影響してるのである。
</あらすじ>

小学校低学年以降札幌とは縁遠くなったのであるが、
チャンスは中学生になって訪れる。
親戚(いとこ:10歳以上年上)の結婚式である。

小学生の時(特急電車+青函連絡船+特急)と打って変わり、
確かこの時は当時ロールアウトされて数年の
「トワイライトエクスプレス」で行った様な記憶が在る。
個室。コンパートメントっつうの?まぁとにかくすげぇよ個室。
記憶違いかな?とにかくね。
まぁ何にせよ小学生の頃の記憶は冬で、
「雪祭り(真駒内会場、ドラム缶ジンギスカン)、めっちゃ寒い」
だったのだけど、
今回は確か初夏というか夏で、その緑溢れて更に爽やかな札幌の気候、
そして何より恐らくは今で言うエスタ近くのバス乗り場から出てたであろう
観光バスってーの?羊が丘とか回るような奴。
あれで当時は(これも記憶違いかも知れんけど)北大の周り、ヘタしたら中。
そこを走っていったのであって、
羊が丘では羊肉の臭さにおおやられで、其処から見える札幌ドームの無い景色などそっちのけで
とにかく北大という学府の緑の多さ、妙な広さ、想像できない雄大さ
ひいてはこれが俺の札幌→北海道感につながるのだが、
とにかくなんかすげぇぞ札幌!というのに感じ入る事になるのであった。


洞爺湖?でキャンプして死ぬほど水が冷たくて透明だったり
どっかの海で泳がされたけどそれも海水浴と思えないレベルで冷たかったり
なんかアウトドア的な事はぶっちゃけ嫌だったのを覚えている。
あと、叔父さんち(手稲の富岡辺り)からサッポロビール園行くのに
人が多いってんでトランクに詰められてガチ泣きしたり、
まぁ俺の感動はさておいて、周囲の扱いと言うのは
扱い易い末っ子に対するものでしかなくて、なんかこう、
それすらも北海道のでかさと勝手に解釈していたもの・・・だなぁ。
当時確か1990年かな。そんな感じ。


あれからは北海道に行く事は無く、
中二の時に得た北海道→札幌→北大情報が頭の芯にあり、
北大に行きたい、札幌に行きたい、札幌に俺の青春はある!
(そう、この富山における抑圧された青春は札幌でこそ解放される!)
とかおもってたわけです。勝手ですね。
今みたいな情報技術が発達して
それこそユビキタスに猫も杓子もネットに接続して人の言葉を目に出来る時代なら、
俺のような思い込みが数年かけて情念に醸成される事もなかったと思うけど、
善かれ悪かれ俺は醸成が可能な時代、環境に行き、醸成の先に望みを賭けたいと思う、
今風に言えば非モテ、今風に言わなくても地方で報われず抑圧された高校生だった俺は
前述の通り「富山(≒地元)引力圏から学力で脱出する」
という一心で勉強に勤しむ事になるのである。

が、それは高校三年生の話。
1~2年、3年前半は学年最下位は余裕という状況でした。酷い。
高校三年の夏休み(所謂天王山)はFF6の主人公パーティ全員に全魔法覚えさせるという
そんな糞どうでもいいミッションに費やされたりした訳で、
英雄の盾装備した状態での256戦はヘヴィだったぜ・・・とか言っても
今の子にはわからないんだろうな。
とか言ってる間に俺の全国模試判定は面白いぐらいE!E!E!キモチE!(事実)で、
夏を終わり、いよいよ勉強せんと、これは偏差値的には富山大学も無理。
無理無理無理無理カタツムリ!
って感じですよという10月の頭、高校内部のテストがあるというので
付け焼刃にも程が在るけども単語帳なんかペラペラめくりながら
「だって俺は自由!自由!自由!」
とか歌いつつ自転車MAX速度で交差点に侵入した所、
隣を俺と同じ速度で交差点に侵入してた車が驚きのフルブレーキ。
アイツが突っ込むって事は俺は安全。だって奴は左にウインカー出してないし。
という完全な論理的思考でもって自らの安全を確認してた俺、
超青天の霹靂。Yo-HEYお前!既に死んでいるbyエメルソン。そりゃ浦和だ。
まぁとにかく、急停止の車から放り出された俺は
自分の右から見慣れない近さで車が突っ込んできてるのを確認して、
景色は途端にスローモーションで流れたのである。


疲れたのでENDE


post by アラブ

21:28

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