2015年12月30日
大掃除も終わり、一杯やりながらこの記事を書いている。新居に引っ越してからまだ半年程度しか経っていないにも関わらず、思いのほか埃が溜まっているものだ。たまった穢れを払い、新たな1年を迎える準備をする。年の瀬の大事な行事を終え、ようやっと仕事納めの実感が湧いてきた。これで心置きなく寝正月、もとい吞み正月が迎えられる。酒の肴は選り取り見取り。元旦はニューイヤー駅伝に天皇杯決勝。2日3日は箱根駅伝。それでも足りなければ、借りた映画のDVD。磯辺焼きや買い込んだデパ地下お惣菜をテーブルに並べ、ビールに日本酒を飲み漁るだけ。体重?知らないね。多少の増減、減があるかは知らないが、それこそ知ったこっちゃない。たまの休みだドーンといこうや。
この更新が年内最後の更新となる。7月ぐらいにブログを立ち上げたにも関わらず、本格的に記事を更新し始めたのが11月末からという酷いブログ運営だった。それでも多くの方々に支えられ、週間ランキングでも50位以内にランクインするようになった。これも御覧いただいている皆々様のおかげである。改めて御礼申し上げたい。ありがとうございます。来年2016年も引き続き皆様に楽しんでいただけるような記事を更新できるよう精進いたします。皆様の2016年に幸多からんことを祈って。
2015年12月26日
とはならないようで一安心だ。マセド暮らせど、届かない新外国人獲得の情報。まず1人。昨日のラジオもそうだが、本日の道新でも野々村社長自ら特徴をこう評している。「サイドで自分で仕掛けてクロスまで運べる。映像ではトップ下もウィングバックもサイドバックもやっていた。いろいろできる選手。」
チャンスの割りに得点が少なかった今季のコンサドーレ。FW陣の底上げが図れなかったことも要因にはあるが、小野伸二や野々村社長が口にする「最後のクオリティの低さ」にクロス精度の低さが挙げられるのではないか。優れたサイドバックが加入することで、チームを強化するだけでなく、身近な手本になるという効果も見込める。技術はあるが今ひとつ伸び悩んでいる若手選手にとって、これを成長のチャンスに変えてもらいたいものだ。
契約更新選手も出揃い、荒野やパウロンなど一部発表のない選手もいるが、例年のような戦力のレベルダウンは避けられたように見える。本日の日刊スポーツ掲載の四方田監督のインタビューにも「今年のチーム力を最低限と考えながら、編成を考えたり、来年の準備ができるというのはありがたい。」とある。継続したチーム強化が図れていることは経営陣の努力の賜物だろう。あとは獲得した選手が活躍し、J1昇格の原動力となってくれれば最高だ。
シーズン最終戦後のブログに書いたとおり、「新聞報道に一喜一憂。選手のブログやらツイッターだのを追い掛け回し、意味深な発言に踊り狂うオフシーズン」となっている。実に有意義で胃が痛い。年が明ければキャンプが始まり、すぐに開幕だ。踊る準備はできてるか?
2015年12月23日
「ネームの追加は6000円くらいかかりますね。どうなさいますか?」結婚し、小遣い制に移行した身としては結構な出費だ。いえ、結構ですと断った。細々とした確認作業を経るうちに、思わず口をついて出たのだ。「すいません。やっぱり選手の名前入れてください。」受付の方の苦笑いを受け流し、僕は、、、
初めてレプリカユニフォームに名前を入れたのは今年のことだった。嫁さんがなぜか前田俊介をいたく気に入り、その影響もあり背番号11を背負うことになったのだ。淡々というか飄々というか人を食ったようなといおうか悩ましいプレイスタイルではあるが、楽しそうにドリブルする彼の姿が好きだった。独特なリズムで相手DFを掻き分け、大きく蹴り出すボールをマリオジャンプさながらに片手を突き出してブロックする彼の姿が好きだったのだ。彼なら名前を背負ってもいいかなと思ったのだ。
サポーターなら誰が好き彼が嫌いなどいろいろあると思う。自分の思うところを書かせて貰おう。賛否両論あると思うが、自分の感情を整理したいという思いもあるのでお眼汚しを失礼したい。
宮澤裕樹のプレーが嫌いだった。相手選手に背を向けてパスを受け、消極的なバックパスや横パスを選択し、挙句の果てパスカットされカウンターを受ける。若手選手がボランチの相棒になると積極的にフォローに周り、生き生きとDFラインに吸収される。そんな彼のプレーが嫌いだった。
石井謙伍のプレーが嫌いだった。ただ我武者羅にプレスを掛け、私はボールを持ってからの選手でございとサイドに貼り付きパスが届くのを待っている。ボールを持ったはいいが、サイドに張りすぎているため後ろの選手が追い越せず手詰まりになってしまう。そんな彼のプレーが嫌いだった。
今年の後半戦から監督が四方田修平に代わり、小野伸二がスタメンに名を連ねるようになった。用いるシステムも変更され、求められる役割が変わったのだろうか。
宮澤裕樹のプレーが好きだ。小野伸二に集中したマークのギャップをドリブルで切り裂く。タイミングを計って2列目から飛び出しゴールを狙う。そんな彼のプレーが大好きだ。
石井謙伍のプレーが好きだ。河合竜二にポジショニングの不備について叱責され、彼自身の考えにおいて怒鳴り返す。あわよくば相対するDFを抜いてやろうと距離感を図りつつゴールに向かう。そんな熱い思いが垣間見える彼のプレーが大好きだ。
これを俗に「手のひらを返す」と言うのだろう。実際にグラウンドでプレーをしたことのない帰宅部出身の身の上で、選手のプレー云々を論じるのは噴飯ものであることは重々承知している。その上で自戒を込めて書かせてもらった。以前から今期の後半戦と変わらないプレーをしていたと言われればその通りだろう。でも好きになっちゃったんだからしょうがない。
「堀米でお願いします。」思わず彼の名前が口をついて出た。
埼玉にも行った。大阪にも行った。東雁来にも勿論行った。試合開始早々に裏を取られ、その後数試合に渡って攻め上がりに消極的になり左サイドの攻撃が停滞した。そこから勇気を持って一歩踏み出し、その結果産まれたプロ初ゴールも目の前で見た。海外移籍を視野に入れたという今オフの彼の去就に何とも言えない感情を覚え、思わず記事を書き思いの丈をぶちまけた。
堀米悠斗が好きだ。彼がコンサドーレ札幌の選手である限り、僕は彼の背中を目で追うだろう。だから2016年、僕は彼の名を背負う。やってやろうぜ、ゴメス。
2015年12月19日
「過去の延長線上に自分の未来はない」。12月17日の道新において吉原宏太が執筆しているコラムの一文を引用させてもらった。彼が指導の勉強をしていく中で出会った言葉だそうだ。更に本文から引用させてもらう形で説明するならば、「過去の実績の延長線上を惰性に進むのなら成長はない。その延長線上から思い切って外れ、新たな道を切り開かなければ進化できない。」ということだ。吉原氏はこの言葉を、伸び悩んでいるコンサドーレの若手選手に向けて贈っている。「常に考え、新しい知識を得て挑戦し、技術や経験をつみながら、日々進化するイメージを持って未来を切りひらいてもらいたい。」
この言葉は若手選手だけではなく、コンサドーレ札幌というクラブ自体も金言として受け取らなければならないだろう。今まで培ってきたスポンサー企業との関係。そして会社間の横の繋がりを活かし、新規スポンサーを募り着実に会社としての体力をつけていく。小さなことからコツコツと。中長期の計画を立て着実に遂行していくことは大事なことだ。ただフットボールクラブとは夢を売るという大変重要な事業目標がある。この達成には大きなリスクが伴い、本気度を測る目安として強化費5億円獲得というものもある。継続して夢を売るためにはやはり金が要る。いかにして資金を得るか。そのためにコンサドーレは中山雅史、レコンビン、イルファン、小野伸二、そして稲本潤一を獲得した。コンサドーレ札幌というチームの日本国内そして海外での露出を高め、スポンサードする価値を高めたのだ。
これは2013年10月の大手商社である住友商事との契約締結という形で実を結ぶ。短期とはいえ札幌の財界とは縁の薄い東京に本社を置く企業がJ2所属チームをスポンサードしたのだ。18日金曜日の野々村社長が出演するラジオ番組において詳細は明かせないと前置きした上で、社長自ら新規大口スポンサーとの契約交渉状況についてこう述べている。「プロジェクトが大きければ大きいほど、または一緒にやっていこうとする会社が大きければ大きいほど、向こうの会社の中で色々な事を倫理通してなんたらかんたらというに相当時間がかかったりするらしいんですよね。1年くらいかかってますから。僕が提案をしてだいたい1年、11か月前くらいですかねえ・・・。まあ、概ね『面白いね!』ということで進んではいるけれども・・・ねえ?(笑)最後、向こうの社長さんなのか誰なのか判子が押ささって『もういいよ!言って!』ってなるまでにはまだ至っていないんです。」
野々村芳和氏がコンサドーレ札幌の社長になるにあたり、某社の前社長の鶴の一声が合ったことは周知の事実である。事実、野々村氏自身が明言している。今後「北海道から世界へ」を実現しようとするなら、会社としてのコンサドーレ札幌は拡大を続けていかなければならないし、メインスポンサーにおんぶに抱っこという体制は改善していかなければならないだろう。そのために新たに「北海道」の名をクラブ名に加え、「コンサドーレは札幌のチームだから」とスポンサードを渋る会社のエクスキューズを封じていく。ホームタウンも拡大し、名実ともに北海道のチームとなった訳だ。この取り組みもまさしく「過去の延長線上に自分の未来はない」ことを念頭に置き行動した結果なのだと思う。地方クラブでありながらナビスコ杯を勝ち取った大分トリニータは地元財界に縛られず積極的に全国企業から出資を募った。やり方やその後について賛否はあれど、一定の成果を残したことは確かだ。リスクとリターンの分岐点を見定めたうえで、積極的な経営手腕を見せてもらえるというのはサポータ冥利に尽きるというものだ。コンサドーレ札幌の未来、僕らはどこまで行けるのだろうか。
2015年12月16日
途方に暮れていた。月曜日だ。まだ新しいビジネス手帳に目をやる。新人研修が9時から予定されているのが、自分の悪筆で記されていた。悩んだ末おもむろに携帯電話を手に取り、教育担当に連絡することにした。
2011年の大分は6月だというのに暑かった。昼食はここにしようと決めていた「とり天発祥の店 東洋軒」の開店は11時。節約のため切り詰めた予算は始発での大分着を選択させ、都合2時間近く暇つぶしという名の炎天下の行軍をする羽目となった。行軍などと言いつつ僕は楽しんでいた。僕は知らない町に着いたときには散歩をすることにしている。恨み節は単純に目的のない散歩で飽きてしまったからだ。温泉街で有名な別府とはいえ、TV番組では駅前の足湯ぐらいしか映らないであろう駅前を2時間近くうろつくのは流石に無理があった。最終的に店の前で30分ばかり座り込み開店を待つことに相成った。…味はどうだったかって?人によって感覚は千差万別、何者でもない僕が評せるわけがない。それでも一言言わせてもらうとしたら、大変ご飯の進む味でございました。お立ち寄りの際は暇があったら寄ってみてくださいな。
で、暑かったのである大銀ドーム。ある日森の中ニータンに出会ったのである。アウェイゴール裏の一角に押し競饅頭よろしく陣取った僕らは前半12分、近藤祐介のゴールに沸き立ち…具合が悪くなった。頭が痛い。今考えるとおそらく軽い熱中症だったのだろうと思う。試合開始の16時時点で25度という夏日にだ、東洋軒で飲んだお冷程度の水分しか取らずにね、入場したらしたでビールを2杯も飲めば覿面熱中症にかかりますわな。そりゃ祝勝会でも飲めないし食べれないさ。わざわざ2階を借り切った大分の郷土料理を食べさせてくれる居酒屋で、目の前に所狭しと並べられた鳥刺し・とり天・関さば・関あじ。これに九州特有の甘辛い醤油をつけて、焼酎と合わせる。この味が分からない。味がしないから食欲が湧かない。頭が痛くて体がだるく、味覚が快楽中枢を刺激するのを放棄していた。思い出すだに口惜しい。言葉通りに口惜しい。太陽と酒のせいだ。そう思っていた。夜が明け腫れ上がった右足を目にするまでは。
「ブユかな。」
会社に連絡を入れ、訪れた近所の内科。薬を塗ってもらい、歩くこともままならないので松葉杖を貸してもらう。僕は4月から社会人になった。社会人なのだから責任は自分で取らなければならない。さあ研修室のドアをノックし、自分に出来る限りの申し訳ない顔をして入ろうじゃないか。意を決して入室した僕を、イタズラを見つけたかのようなニヤけた先生の視線が捕らえた。あれから4年たった2015年7月。再び邂逅した我々はムヒアルファEXを武器に渡り合うことになる。
2015年12月12日
「みんな、やればいいんですよ・・・ここで!ここでやる責任があるでしょう!と思います。」思わずこぼれた本音だったのか。ラジオから聞こえてきた野々村社長の声は若干の哀愁を誘うものだった。本日付の日刊スポーツにこんな見出しが躍った。『U22奈良は札幌退団 東京、川崎F、千葉が争奪戦』先日の堀米といい札幌ユース出身選手の移籍に関する報道。ステップアップになるし、もちろん育成費だってクラブの懐に入ってくる。プロビンチャの宿命だと覚悟はしていた。社長も同じ気持ちであったのだろう。しかし現実として迫ってくる時、クラブの魅力を積極的に語る社長だからこそ受けるダメージは計り知れないと思う。
報道を信じるなら奈良の移籍に伴ってコンサドーレに支払われる金額は5000万円前後。仮に2年契約で新外国人を連れてくるなら2500万レベルの選手を連れてくることができる。本日付の道新スポーツによると新外国人は『リストアップされていた外国人選手FWや攻撃的MFを3人まで絞り込んだ。すでにオファーを出して交渉も行っており、順調に進み合意に至れば、近日中に発表される見込み。』とのこと。また、『守備的な補強はせず、より攻撃的なフィニッシャーとなりうる選手に照準を定め、絞り込んでいる。』との報道もあった。
11月15日の日刊スポーツによると『クラブは来季に向けて動き出しており、強化費は今季の5・1億円から約1億円増の6億円台に増額する方針。』また、記事にまではなっていないが様々なメディアで触れられているように、在京の新規スポンサーが付き少なくとも2年4億はチームの強化に回す事が出来ると思われる。昨日のラジオで社長は新外国人選手との交渉にあたり、現状をこのように語っていた。「すごくいい選手に来てもらいたいという気持ちはあると思いますけど『それは無理だろ』っていう金額の問題もあったりするのでコンサドーレで現実的になんとか一緒にやっていけそうなランクの選手、ランクをかなり超えているけど頑張れば手が届くみたいな選手にどうやってその気になってもらうかというようなことがポイントとしてあると思いますけど、そこのところはそれなりに上手くいっていると思います。」
この「どうやってその気になってもらうか」という部分。これが札幌ユース出身の選手にも当てはめて考えなくてはならない時が来てしまったのかもしれない。ユースから札幌で育っても、今後のクラブの方針について理解した上でトップ昇格を受け入れたわけではないだろう。若い彼らには酷だろうと思うが、小野伸二や稲本潤一がなぜ札幌を選んでくれたのかを今一度考えてもらいたい。その気になってくれた新外国人が誰で、どの程度成績を残してくれるのか。ここでやる責任を果たしてもらいたいものだ。
2015年12月08日
1人の男の引退で思い出す光景がある。
背番号8が目の前で宙に舞う。その背中に触れたか触れなかったか。今となっては覚えていないが、2010年福岡で砂川誠がサポーターから胴上げされたことは確かだ。
2010年早々にJ2残留を決めたコンサドーレは相も変わらず私たちサポーターを一喜一憂させていた。中位をうろつき最終的に13位でフィニッシュしたこのシーズン。最終盤に私たちの心を抉ったのが砂川誠の退団だった。スナイフターンと称される切れ味鋭いドリブルターンで相手DFを置き去りにし鮮やかなシュータリングで私たちを魅了した、もといしている。この後に繰り広げられる悲喜劇については読者諸兄のほうがご存知だと思われるので割愛したい。
「22本。」
忘年会と称したドンちゃん騒ぎの喧騒の中、空き瓶を並べ僕は一人悦に入っていた。中州の屋台で唯一サッポロビールを出してくれる店のカウンター。11本ずつ2列に並んだ黒ラベル。1時間前に札幌のレジェンドに触れたその手で空き瓶を並べる。単純な興味だった。何本飲めるのか、そして空き瓶を並べたらさぞ壮観だろうと。酔っ払うと自分に正直になるという。だからこそ飲みニュケーションなる言葉が生まれ、世代が移ろうとも面々と飲み会なる文化が受け継がれているのだ。裸電球に照らされて鈍く光を放つビール瓶の隊列を眺めて満足感に浸りつつ、おぼつかない手つきで店の売りである牛サガリをパクつく。シンプルに塩胡椒しただけとはいえ肉々しい味わいがビールに良く合った。誰に何枚あたるとかそのあたりは最早どうでも良くなっていた。僕だけでなく皆がビールと焼酎に蕩け混然一体となり、11月の星空の下、札幌のフロントやUSに対する不満を肴に博多の夜は更けていった。
1人あたりの飲み代がいくらだったか記憶がない。何人で飲みに出たかも記憶がない。ついでに言えばどのようにホテルの部屋に辿り着いたかも記憶がないのだ。そして僕は目を覚ました。搭乗予定の飛行機が飛び立ったその時間に。その後何度も繰り返す二日酔いと寝坊の黄金コンボ。これが2011年に取り返しのつかない出来事を引き起こすことになる。
2015年12月04日
「前田が子供を教えたら子供も凄く喜ぶし上手くなるんだろうなあとか思っている。」意外だったのか、真偽のほどをたずねるラジオMCの質問に野々村社長は重ねてこう言った。「結構、子供に教えたりするの上手いんですよ。」
前田俊介、ナザリト、古田寛幸、菊岡拓朗、ニウド、園田淳の6名がチームを去ることになった。その話題に触れた時に思わず洩らした本音だった。その上でかつて選手だった社長らしく、選手の気持ちを思いやって葛藤する胸のうちを明かす。「でも僕のそういう風にいったら面白いんだろうな、というのは彼らの人生の中の提案のうちの1つでしかないですからね。もっとサッカーやりたい!という想いは凄く分かるし、そこはみんな難しいところですよ!」
前田俊介という選手はエリート中のエリートである。年代別の代表に選ばれ、恵まれない体格にも関わらず確かな足元の技術を生かしチームを渡り歩き中心選手として活躍している。年齢もまだ29歳だ。もちろんまだまだやれるという本人の自負もあるだろう。そのうえで我が儘を言えるのならば、その経験と技術を後進の指導に活かして貰いたいという所だ。子供たちは食い入る様に見ることだろう。ボールが足に吸い付くようなトラップとDFを軽々と交わしていくその独特なリズムのドリブル。決して順風満帆なプロ生活ではなかっただろう彼の口から語られる経験と教訓。その全てが子供たちを成長させるはずだ。面白いではないか。彼の門下生が札幌の両翼を担うかもしれないのだ。するするとペナルティエリアに入り込み、師匠譲りの澄ました顔でゴールの隅にボールを蹴りこみニヤリと笑う。そんな浪漫が広がる。そして僕らは呟くだろう。「前俊を諦めない」と。
選手は決してゲームの駒ではない。面白いからといって勝手に願望を押し付けることはできない。選ぶのは彼らだ。明日、砂川誠が決断する。練習後に自身の報道についてコメントをするとのことだ。引退。このままでは試合に出られないと、断腸の思いでチームを離れ新たな勝負の世界に身を置いた。そして勝ち取った388分。やり切ったのだろうか。おそらくやり切ったのだろう。切れ味鋭いクライフターンでDFを置き去りにし、前傾姿勢で突進してくるあのドリブルはもう見られない。
明言はしていないが、札幌としては指導者としての椅子を用意しているようだ。強化費が3年前と比較して倍増し、ユースから大量昇格した時よりもチームのレベルが上がっている現在。今後トップチームへの昇格は狭き門となることが予想される。その中で切れ味鋭いスナイフターンを武器にサイドを切り裂く「北海の荒鷲」が昇格してくる未来を夢想したいと思う。
2015年12月01日
契約更改も始まり、チームを去る選手も出てきた。厳しい冬の到来だ。別れもあれば出逢いもあるだろう。こんな季節だからこそ、遠い記憶に思いを馳せてみたいと思う。
ざわついている。2009年ホーム開幕戦。後半26分。先制点がベガルタ仙台に入り、まだ下を向く時間ではないとチームを鼓舞するべく声を張り上げようとした矢先のことだった。選手が一人消えた。
窓の外は一面の雪。始発便に飛び乗り千歳に着いたばかりの頭の回転は鈍く、虚ろな目がただ窓の景色を映しているだけだった。8時40分発の福住駅経由札幌行き高速バスが、寝不足の貧乏学生の体を運んでいく。とはいえ、いつまでも「へんじがない まるでしかばねのようだ」となっているわけにもいくまい。佐藤水産手まり秋鮭ミックス。この手にずっしりとくる重みと筋子と焼鮭の親子共演。これが400円だ。貧乏学生が貧乏旅行で真っ先に考えること。それは食費の削減。コスパMAXジャンボおにぎりを胃に収め、ようやく動き出した頭を働かせ今後の予定を確認することにした。
改めて思い返すとつまらない旅をしていたものだ。今なら1泊2日は当然のことながら、まず缶ビールのひとつでも買ってバスの中で飲んだくれていることだろう。札幌に行き慣れてからも、帰りに回転寿司でビール1杯飲むことに無上の幸せを感じていたことを思い出す。置かれた場所で咲けばいい。人それぞれに幸せの形があるともいえる。
ともあれ選手が消えた。決勝ゴールを決めた菅井が消えた。これは正確ではない。皆様も覚えておいでだろう。ゴールを決め、アウェイゴール裏に陣取る仙台サポーターの元へ走り出したまでは良かった。ガッツポーズを決め、広告看板を飛び越え、そして高さ2.5mのホバリングステージから飛び降りたのだ。毒気を抜かれたのかコンサドーレのカウンターは精度を欠き0-1で敗れた。この年ベガルタはJ2優勝を果たし、現在に至るまで降格していない。明暗分かれたとは言わないが、胸にもやもやした感情を抱くのは当然だろう。
何にせよ、この試合から僕はサポーターとして歩み始めた。この試合を機に様々な人と出会い、日本全国津々浦々を行脚することになる。朝の新千歳空港で選んだ時点から、この後の波乱万丈な人生は決まっていたのかもしれない。無骨だが、大きく満足感のあるジャンボおにぎりのようなサポーター人生が。
プロフィール
98年J1参入決定戦に敗れ涙に暮れる札幌サポを見たことで、コンサ愛に目覚めた非道民。 何の因果か札幌に居を構え、試合結果に1週間のテンションを左右される日々。 いい年こいてまだ中二病が完治していない。 思い出とコンサの試合と日常をミキサーに投げ入れて、味の素で整えた文章を提供していく。 ご笑覧いただければ幸いだ。
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