2015年12月16日
途方に暮れていた。月曜日だ。まだ新しいビジネス手帳に目をやる。新人研修が9時から予定されているのが、自分の悪筆で記されていた。悩んだ末おもむろに携帯電話を手に取り、教育担当に連絡することにした。
2011年の大分は6月だというのに暑かった。昼食はここにしようと決めていた「とり天発祥の店 東洋軒」の開店は11時。節約のため切り詰めた予算は始発での大分着を選択させ、都合2時間近く暇つぶしという名の炎天下の行軍をする羽目となった。行軍などと言いつつ僕は楽しんでいた。僕は知らない町に着いたときには散歩をすることにしている。恨み節は単純に目的のない散歩で飽きてしまったからだ。温泉街で有名な別府とはいえ、TV番組では駅前の足湯ぐらいしか映らないであろう駅前を2時間近くうろつくのは流石に無理があった。最終的に店の前で30分ばかり座り込み開店を待つことに相成った。…味はどうだったかって?人によって感覚は千差万別、何者でもない僕が評せるわけがない。それでも一言言わせてもらうとしたら、大変ご飯の進む味でございました。お立ち寄りの際は暇があったら寄ってみてくださいな。
で、暑かったのである大銀ドーム。ある日森の中ニータンに出会ったのである。アウェイゴール裏の一角に押し競饅頭よろしく陣取った僕らは前半12分、近藤祐介のゴールに沸き立ち…具合が悪くなった。頭が痛い。今考えるとおそらく軽い熱中症だったのだろうと思う。試合開始の16時時点で25度という夏日にだ、東洋軒で飲んだお冷程度の水分しか取らずにね、入場したらしたでビールを2杯も飲めば覿面熱中症にかかりますわな。そりゃ祝勝会でも飲めないし食べれないさ。わざわざ2階を借り切った大分の郷土料理を食べさせてくれる居酒屋で、目の前に所狭しと並べられた鳥刺し・とり天・関さば・関あじ。これに九州特有の甘辛い醤油をつけて、焼酎と合わせる。この味が分からない。味がしないから食欲が湧かない。頭が痛くて体がだるく、味覚が快楽中枢を刺激するのを放棄していた。思い出すだに口惜しい。言葉通りに口惜しい。太陽と酒のせいだ。そう思っていた。夜が明け腫れ上がった右足を目にするまでは。
「ブユかな。」
会社に連絡を入れ、訪れた近所の内科。薬を塗ってもらい、歩くこともままならないので松葉杖を貸してもらう。僕は4月から社会人になった。社会人なのだから責任は自分で取らなければならない。さあ研修室のドアをノックし、自分に出来る限りの申し訳ない顔をして入ろうじゃないか。意を決して入室した僕を、イタズラを見つけたかのようなニヤけた先生の視線が捕らえた。あれから4年たった2015年7月。再び邂逅した我々はムヒアルファEXを武器に渡り合うことになる。
2015年12月08日
1人の男の引退で思い出す光景がある。
背番号8が目の前で宙に舞う。その背中に触れたか触れなかったか。今となっては覚えていないが、2010年福岡で砂川誠がサポーターから胴上げされたことは確かだ。
2010年早々にJ2残留を決めたコンサドーレは相も変わらず私たちサポーターを一喜一憂させていた。中位をうろつき最終的に13位でフィニッシュしたこのシーズン。最終盤に私たちの心を抉ったのが砂川誠の退団だった。スナイフターンと称される切れ味鋭いドリブルターンで相手DFを置き去りにし鮮やかなシュータリングで私たちを魅了した、もといしている。この後に繰り広げられる悲喜劇については読者諸兄のほうがご存知だと思われるので割愛したい。
「22本。」
忘年会と称したドンちゃん騒ぎの喧騒の中、空き瓶を並べ僕は一人悦に入っていた。中州の屋台で唯一サッポロビールを出してくれる店のカウンター。11本ずつ2列に並んだ黒ラベル。1時間前に札幌のレジェンドに触れたその手で空き瓶を並べる。単純な興味だった。何本飲めるのか、そして空き瓶を並べたらさぞ壮観だろうと。酔っ払うと自分に正直になるという。だからこそ飲みニュケーションなる言葉が生まれ、世代が移ろうとも面々と飲み会なる文化が受け継がれているのだ。裸電球に照らされて鈍く光を放つビール瓶の隊列を眺めて満足感に浸りつつ、おぼつかない手つきで店の売りである牛サガリをパクつく。シンプルに塩胡椒しただけとはいえ肉々しい味わいがビールに良く合った。誰に何枚あたるとかそのあたりは最早どうでも良くなっていた。僕だけでなく皆がビールと焼酎に蕩け混然一体となり、11月の星空の下、札幌のフロントやUSに対する不満を肴に博多の夜は更けていった。
1人あたりの飲み代がいくらだったか記憶がない。何人で飲みに出たかも記憶がない。ついでに言えばどのようにホテルの部屋に辿り着いたかも記憶がないのだ。そして僕は目を覚ました。搭乗予定の飛行機が飛び立ったその時間に。その後何度も繰り返す二日酔いと寝坊の黄金コンボ。これが2011年に取り返しのつかない出来事を引き起こすことになる。
2015年12月01日
契約更改も始まり、チームを去る選手も出てきた。厳しい冬の到来だ。別れもあれば出逢いもあるだろう。こんな季節だからこそ、遠い記憶に思いを馳せてみたいと思う。
ざわついている。2009年ホーム開幕戦。後半26分。先制点がベガルタ仙台に入り、まだ下を向く時間ではないとチームを鼓舞するべく声を張り上げようとした矢先のことだった。選手が一人消えた。
窓の外は一面の雪。始発便に飛び乗り千歳に着いたばかりの頭の回転は鈍く、虚ろな目がただ窓の景色を映しているだけだった。8時40分発の福住駅経由札幌行き高速バスが、寝不足の貧乏学生の体を運んでいく。とはいえ、いつまでも「へんじがない まるでしかばねのようだ」となっているわけにもいくまい。佐藤水産手まり秋鮭ミックス。この手にずっしりとくる重みと筋子と焼鮭の親子共演。これが400円だ。貧乏学生が貧乏旅行で真っ先に考えること。それは食費の削減。コスパMAXジャンボおにぎりを胃に収め、ようやく動き出した頭を働かせ今後の予定を確認することにした。
改めて思い返すとつまらない旅をしていたものだ。今なら1泊2日は当然のことながら、まず缶ビールのひとつでも買ってバスの中で飲んだくれていることだろう。札幌に行き慣れてからも、帰りに回転寿司でビール1杯飲むことに無上の幸せを感じていたことを思い出す。置かれた場所で咲けばいい。人それぞれに幸せの形があるともいえる。
ともあれ選手が消えた。決勝ゴールを決めた菅井が消えた。これは正確ではない。皆様も覚えておいでだろう。ゴールを決め、アウェイゴール裏に陣取る仙台サポーターの元へ走り出したまでは良かった。ガッツポーズを決め、広告看板を飛び越え、そして高さ2.5mのホバリングステージから飛び降りたのだ。毒気を抜かれたのかコンサドーレのカウンターは精度を欠き0-1で敗れた。この年ベガルタはJ2優勝を果たし、現在に至るまで降格していない。明暗分かれたとは言わないが、胸にもやもやした感情を抱くのは当然だろう。
何にせよ、この試合から僕はサポーターとして歩み始めた。この試合を機に様々な人と出会い、日本全国津々浦々を行脚することになる。朝の新千歳空港で選んだ時点から、この後の波乱万丈な人生は決まっていたのかもしれない。無骨だが、大きく満足感のあるジャンボおにぎりのようなサポーター人生が。
プロフィール
98年J1参入決定戦に敗れ涙に暮れる札幌サポを見たことで、コンサ愛に目覚めた非道民。 何の因果か札幌に居を構え、試合結果に1週間のテンションを左右される日々。 いい年こいてまだ中二病が完治していない。 思い出とコンサの試合と日常をミキサーに投げ入れて、味の素で整えた文章を提供していく。 ご笑覧いただければ幸いだ。
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