2015年12月08日
1人の男の引退で思い出す光景がある。
背番号8が目の前で宙に舞う。その背中に触れたか触れなかったか。今となっては覚えていないが、2010年福岡で砂川誠がサポーターから胴上げされたことは確かだ。
2010年早々にJ2残留を決めたコンサドーレは相も変わらず私たちサポーターを一喜一憂させていた。中位をうろつき最終的に13位でフィニッシュしたこのシーズン。最終盤に私たちの心を抉ったのが砂川誠の退団だった。スナイフターンと称される切れ味鋭いドリブルターンで相手DFを置き去りにし鮮やかなシュータリングで私たちを魅了した、もといしている。この後に繰り広げられる悲喜劇については読者諸兄のほうがご存知だと思われるので割愛したい。
「22本。」
忘年会と称したドンちゃん騒ぎの喧騒の中、空き瓶を並べ僕は一人悦に入っていた。中州の屋台で唯一サッポロビールを出してくれる店のカウンター。11本ずつ2列に並んだ黒ラベル。1時間前に札幌のレジェンドに触れたその手で空き瓶を並べる。単純な興味だった。何本飲めるのか、そして空き瓶を並べたらさぞ壮観だろうと。酔っ払うと自分に正直になるという。だからこそ飲みニュケーションなる言葉が生まれ、世代が移ろうとも面々と飲み会なる文化が受け継がれているのだ。裸電球に照らされて鈍く光を放つビール瓶の隊列を眺めて満足感に浸りつつ、おぼつかない手つきで店の売りである牛サガリをパクつく。シンプルに塩胡椒しただけとはいえ肉々しい味わいがビールに良く合った。誰に何枚あたるとかそのあたりは最早どうでも良くなっていた。僕だけでなく皆がビールと焼酎に蕩け混然一体となり、11月の星空の下、札幌のフロントやUSに対する不満を肴に博多の夜は更けていった。
1人あたりの飲み代がいくらだったか記憶がない。何人で飲みに出たかも記憶がない。ついでに言えばどのようにホテルの部屋に辿り着いたかも記憶がないのだ。そして僕は目を覚ました。搭乗予定の飛行機が飛び立ったその時間に。その後何度も繰り返す二日酔いと寝坊の黄金コンボ。これが2011年に取り返しのつかない出来事を引き起こすことになる。
プロフィール
98年J1参入決定戦に敗れ涙に暮れる札幌サポを見たことで、コンサ愛に目覚めた非道民。 何の因果か札幌に居を構え、試合結果に1週間のテンションを左右される日々。 いい年こいてまだ中二病が完治していない。 思い出とコンサの試合と日常をミキサーに投げ入れて、味の素で整えた文章を提供していく。 ご笑覧いただければ幸いだ。
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