2009年03月18日
2カ月も休んでいたんで、多くの人に見切られたかと思っていましたが、再開後、以前と変わらないアクセスをいただいておりまして恐縮です。 ありがとうございます。 さて、そんなことありまして、前回に札幌大学の話題を紹介しましたので、それに続いて感謝の気持ちをこめて、ちょっとばかり大ネタを。 今やプロリーグもできようかという勢いのフットサルですが、北海道はフットサルの国内発祥の地であることをご存じですか。 『フットサルの日本への伝播は、1973年に札幌大学で行われたサロンフットボールからといわれる。柴田勗教諭(現・札幌大学名誉教授)が、当時二人のブラジル人留学生とともに、ブラジルのサロンフットボール(Futebol de Salao)の技術や戦術を札幌大学サッカー部のみならず北海道サッカー界に披露し、伝播した。このサロンフットボールは、またたく間に積雪寒冷地の冬季室内サッカー訓練に役立つ室内型競技としての形態を整えていく(柴田勗著、『ブラジルサッカー総覧』、河出書房新社)』 http://www.hit-charivari.com/article/data/p0107.html これによると日本で最初のフットサルは、「サロンフット」という名前で、今から35年以上も昔に、札幌大学で行われたのが最初というのです。 一方、「北海道デジタル図鑑」http://www.hokkaido-jin.jp/zukan/story/05/10.html によると、 『フットサルは、1988(昭和63)年に、国際サッカー連盟が世界各地にあったさまざまな室内サッカーを統一してつくられたもので、南米で行われていた「フットボウ・デ・サロン」と、ヨーロッパで行われたインドアサッカーの二つの大きな源流を持ちます。 このうち南米式室内サッカー「フットボウ・デ・サロン」を研究し、名前を発音しやすいように「サロンフットボール」と変え、日本に広めたのが元札幌大学サッカー部監督の柴田勗(しばた・つとむ)札幌大学名誉教授。1971(昭和46)年のことです。 この年、岩見沢で全国に先駆けて第一回市内室内サッカー大会が開かれました。その後、サロンフットボールは、カーリングやブルームボールなど並んで、北海道ならではのスポーツ文化として全道に普及しました』 71年に、やはり柴田先生が、岩見沢で第1回室内サッカー大会を日本で最初に開催したとしています。いずれにしろ、北海道は国内でもっとも早くにフットサルが行われた場所の一つであることは確かなようです。 ここに出てくる柴田先生は、日本サッカー界の重要人物で、北海道のサッカー界では神様のような人です。柴田先生の影響力から、北海道サッカー協会はユースの国際試合を開催するなど、比較的活発な活動をしています。 コンサドーレ札幌は、この柴田先生から強い支持をいただいており、今回の池内選手の札大コーチ就任も柴田先生の影響力が感じられますし、北海道スーパーリーグという他府県にはない独自のリーグ構想、そして札大JFL参戦構想にも、コンサドーレに良い刺激を与えてやろうという柴田先生のお気持ちを感じます。(違っていたらゴメンナサイ) この柴田先生のおかげで、コンサドーレ札幌は、県レベルのサッカー協会のさらに上の地域ブロックレベルの北海道サッカー協会から独占的な支持を頂いている。宮澤の札幌入団など、道内優秀な才能がコンサドーレに集まりやすくなっているのも、サッカー協会とコンサドーレが良好な関係を保っているからだと思います。 このことは、これまであまり語られてきませんでしたが、他のJクラブにはあまり見られない、札幌の優位性だと私は思います。
大阪の道産子
室内での戦い
2009-03-18 17:46
>岩見沢で全国に先駆けて第一回市内室内サッカー大会が開かれました。 オオドサの記憶では会場は昭和43年に竣工した当時では最先端の岩見沢スポーツセンター ではないかと思います。と言いますのは昭和46年(71年)に岩見沢の某公立高校に入学 しスグに放送部に入りましたが、岩見沢東高校放送部(略称GHK=がんとう放送協会)と 岩見沢西高校放送部(NBS=西高ブロードキャストステーション)の2校がボランティア で日ソ対抗バレー等の大きな競技大会の場内音響や放送を交代でお手伝いしていましたので。 そこで室内サッカー大会の話を先輩の放送部長から聞いた覚えがありますが、実際にその 試合を担務して無いので既に終わった大会なのか、予定項だったのかは記憶にありません。 ただ室内でサッカーをするのに、当時は奇異な感じを受けた事だけは憶えています。 (もしも記憶違いでしたらすみません・・・大昔の事ですので) でもその年のオオドサの記憶に一番あるのは民間空路に誤侵入した自衛隊機と全日空機とが 空中衝突した「雫石事故」でしたね・・・。 ※以下の記載は全て架空のものです、実在する団体・個人等とは何の関係もありません。 西 大伍「最近は町村合併なんかで古いカーナビが役に立たないみたいですよね」 藤田征也「そうそう更新用の地図DVDの値段も高いしねェ・・」 西 大伍「友達が日高の三石町にいるけど今は新日高町って言うんだそうだよ」 藤田征也「でっドコと合併したの?」 中山元気「それは静内との事でした」
かもめ
Re:フットサルの国内発祥の地
2009-03-18 19:20
岩見沢が発祥とは知りませんでした。嬉しいです。 71年なら、私はバレーボールの国際大会などで何度も岩見沢スポーツセンターに行きましたが、サッカーまでやっていたとは知りませんでした。(オオドサの言うように、あそこしかないでしょう) それにしても、札幌大学は偉大ですね。 そういえば、今はロアッソにいる河端は札幌大学出身でしたよね。 この前のロアッソの試合、河端がミスして、ボールを取り返そうとしてPK献上してカズに決められてしまったけど、その後は良いプレーをして逆転して、河端は戦犯にならないで済みました。 今年は河端がキャプテンというのも嬉しいですね。 そうそう、マリーニョさんも札幌大学でしたよね。 今年は池内が面白くしてくれそうですね。 http://ameblo.jp/dack20/
hibari
Re:フットサルの国内発祥の地
2009-03-19 19:32
みなさま、ありがとうございます。 オオドサさんの >当時は奇異な感じを受けた事だけは憶えています。 というのは日本のおける“フットサルの産声”を 産室の隣でたまたま偶然聞いてしまったということですね。
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
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