2008年09月28日
雨模様だったので、カメラは持っていかなくて写真無しで、ごめんなさい。試合前には晴れて、素晴らしい秋空で、後悔しました。 それはさておき、試合はナイスチャレンジではあったと思います。結果はすでにご存じでしょうが、選手の“気持ち”は十分に受け取りました。 結果は別にして、良い試合になったのはレフリングが大きかったと思います。今日のレフリーは試合を止めない方で、ハードワークが信条の札幌は、ホイッスルを気にしすることなく、思い切った試合が出来たようでした。 一般に、日本の審判はボディコンタクトに厳しい判定をする傾向があるように思います。こうした審判の元では、ボールの保持時間が短いパスサッカーが有利になります。審判の間にも、フィジカルコンタクトの少ないパスサッカーが“良いサッカー”という共通観念があるのかもしれません。 いわばレフリングを通して“こういうサッカーをしなさい”と審判が言っているようもの。各国のサッカースタイルの違いは、選手や指導者よりも、そのリーグに所属する審判たちの“良いサッカー”という共通了解によって、決まってくるのかもしれません。日本のパスサッカーは、パスサッカーを好む日本の審判たちによって作られていると。 ところが、札幌のハードワークサッカーは、審判のお気に召すものではなかった。J1に上がってからの苦戦は、こうしたレフリングのスタンダードに、札幌が対応するのに苦悩したということも大きかったと思います。生で見ていて、その思いを強くしました。 とは言え、結果として、東京に勝てませんでした。実力差と言えばそれまでですが、1-0でリードした後に、札幌は1点を守りに行かずに、積極的に2点目をねらいに行きました。これが結果的に相手のカウンターを呼んで、失点していった形です。 降格決定まで後がない札幌。リードした時点で、どっしりとか構えるゆとりのなさが招いた敗北だったと思います。思えば、ここ3試合の敗北は、すべて積極的に仕掛け主導権を握ったものの、ゲームに緩急を与えないために、招いた敗北でした。 「窮すれば鈍す」という諺がありますが、まさにその通りで、2002年の時のように、降格が決まってしまえば、勝ち始めるのではないでしょうか。 いずれにしろ、上昇気流に乗った千葉と、勝ちに見放された札幌との違いは紙一重なんですが、まさに気流をつかみ取ったか、つかみ損ねたかの違いだと思います。 蛇足です。後半からですが、それまで日本人選手を信用しないクライトンが西を信用し始め、パスを出すようになりました。そのため、クライトンー西の間で右サイドにいい起点が生まれました。もっと早くこれを見たかったですね。 横野がJデビューを果たしました。新人のデビューは、何か思いもしないことをやってくれるか、まったく試合に入れないかとのどっちかですが、横野は後者でしたね。
大阪の道産子
窮鼠猫を噛む!
2008-09-28 20:43
>ホイッスルを気にしすることなく、思い切った試合が出来たようでした。 スカパー見ててもそうでしたね、あまりレフリングが上手くなくても、やたらカード 出したり笛吹かずに進めたのは札幌にとってよかったかも。 ただ、三浦監督ゲームプランとしては前半に1点でも先制し、後半の早いうちに勢いで 追加点し、それを守りきるつもりだったのでしょうが前半ゼロは痛かったのでしょうか? >まさに気流をつかみ取ったか、つかみ損ねたかの違いだと思います。 今年の波に乗れない原因はやはり監督の戦術と選手の起用法とのミスマッチでしょうか? いつかhibariさんが書いていたブラジル人の助っ人ばかりでは無く4-4-2のシステム なら欧州の選手の獲得も必要だったのでしょうか? ※以下の記載は全て架空のものです、実在する団体・個人等とは何の関係もありません。 ・・・都内某所・・・ 小泉元首相「さあさあ、茶でも進ぜよう、どうぞお気楽にしてください・・・」 三浦監督 「今日は身の振り方について、ご意見伺いにまいりました」 小泉元首相「ははは、オレは政界から引退したが政治活動は続ける、君もそうしたら?!」 ・・・一方宮の沢では・・・ 西 大伍「監督の姿が見えませんね?」 藤田征也「なんでも引退した大物政治家に会いに言ってるみたいだぜ?」 石井謙吾「それって辞任した中山国土交通相かも?」 中山元気「やっぱり浜松に『のぞみ』を停めようとしているッ!」
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
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