2008年07月16日
ウェブとか、新聞とか、いろんなところで、札幌の高さというものが浸透してきていますね。 高さは確かに武器ではありますが、相手もJ1チームで、差は2,3センチの違いでしかありません。ジャンプ力などの身体能力でかんたんに補えるものではあります。それでも、相手よりも確実に上回っているというものがあるか、無いかの違いは大きい。 昇格したばかりの、戦力的にもっとも落ちるといわれる札幌に対して、J1の常連チームは、やはり格上意識を持ち、また札幌もどこかに格下意識を持ってしまうんですね。 格下意識みたいなものが、やはり微妙な影響を与える部分もあると思うんです。札幌を格下としてなめていた相手は、のびのびと自由に、強豪とやるとき以上の実力を出していたと思うんですよ。たしかに溌剌とした相手に対して、萎縮してミスを繰り返す、という試合はかなりありました。 ところが、身長差だけは、明確な数値で、どちらが上か明確なわけです。その部分で札幌はJでナンバー1なんですよ。そうなると、いままで格下として下に見ていた相手チームが、こと高さに関しては、脅威を感じ始めるはずです。 高さを意識し始めると・・・札幌にセットプレイを与えることを過剰に警戒するようになる。そのために当たりが微妙に弱くなる。コーナーを与えるのを嫌って、攻め上がりが鈍くなる。ハイボールのマークが過剰になる・・・というように、これを意識する、意識しないとでは、少しずついろんなものが微妙にずれてくる、と思うんですね。 背の高さというのは、ハイボールでの競り合いとでのアドバンテージだとかよりも、こうしたメンタルに与える影響の方が大きいと思うんです。そして、それは相手の意識に染みこめば、染みこむほど効果を発揮すると。 中断期前でも、私の手計算でJ全体で3位の平均身長であったんですが、札幌の高さを強調したメディアはほとんど見たことがなかった。しかし、中断期に箕輪が入り、アンデルソンが入ってから、少しづつメディアでも、札幌の高さを言うようになりました。 中断期前までは「めぼしい選手もいない昇格チーム」だったのが、これからは「めぼしい選手のいない昇格チームだが、背の高さは日本一」というチームとして相手からは意識されるようになっていくはずです。これがどんどん相手の選手の意識の中に刷り込まれると、意識の上下関係が変わってくると思うんですよね。 さて次節の相手は大分です。単純に前節のスターティングイレブンだけで比べると、 札幌 181.27センチ 大分 179,57センチ です。 大分には、(平均身長)“日本一のチームと戦う”という意識を、今以上に強く持っていただきたいですね。(でも大分というチームは、こうした劣等意識に立ったときにモチベーションの上がるチームだったりして)
大阪の道産子
日本一のメリットに今夜も期待♪
2008-07-16 10:07
>相手よりも確実に上回っているというものがあるか、無いかの違いは大きい。 私の会社のような、弱小プロダクションに就職してくれる若い子は、総合的な能力や 資質に関して不十分な面がありますが、指導する上で「これだけは誰にも負けない領域 を持て」とやってます♪職人として生きるなら不可欠な事です。気が付けば伸びます☆ そしてライバルがソレを意識すればするほど本人にプラスに作用する事となります。 でもサッカー選手の身長は本人の資質と言うより親から貰った財産かもしれませんねェ? ※以下の記載は事実です。ただ余りに古い個人情報なので公開しますが、転載はご勘弁 この仕事を始めた頃(大学生のバイト時代ですが昭和50年前後)土曜日の朝の番組で 全国ネットの毎日放送の八木二郎ショーで朝丘雪路さんのマネージャーだった野田義治 氏が休憩中にボクに語ってくれた話しですが「雪路さんは歌や演技力があるが・・若い 頃からバストがデカイのが幸いして仕事が多かった」・・で彼はさほど能力が無くとも 胸が大きくて、でも性格の良い女の子を集めた『イエローキャブ』を創設しました。 で・・それが成功したのです」最初は弱小プロダクションでしたが、明確なコンセプトと 他に負けないフィジカル?の強さで勝利したものだと思います。 彼の良いトコは「イエローキャブ」の女の子を裸にさせなかった事です!細川フーミン等 ※以下の記載は全て架空のものです、実在する団体・個人等とは何の関係もありません。 藤田征也「なんかオオドサの言ってるイミとサッカーとの関連がゼンゼンわからんッ!」 箕輪義信「あーっそれは胸のデカイ娘を大量に集めると相手に威圧感で勝るからなッ♪」 中山元気「いやいやッ!こう言うことだろう・・・ムキムキッ!」 松井コーチ「試合中、不用意に上半身を裸にすると『イエローキップ』だぞッ!」
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
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