2008年06月19日
夕張に浦和レッズが来ますね。 先般、久しぶりに夕張に寄りました。観光案内所のところに「歓迎浦和レッズ」という張り紙がしてあり、案内所のおばさん尋ねてみましたが、要領をえません。夕張のおばちゃんと浦和レッズは、どう見ても距離が遠く、繰り返し尋ねるのを辞めました。 そんなんで忘れていましたが、17日からもうキャンプに入ってきているようです。コンサドーレと練習試合もあるんでしょうか。 夕張には、芝の立派なグランドがあって、かつてベアフッドが夕張にあった時代にホームとしていました。例の財政危機で、あのグランドのメンテナンスが心配されましたが、浦和が来たところを見ると、しっかりと維持されているのでしょう。これも少し安心しました。 浦和さん、たくさんのお金を落として、夕張の財政を少しでも助けてやってください。
大阪の道産子
開催各地で夕張メロン売れば良いかも♪
2008-06-20 22:29
>浦和さん、たくさんのお金を落として、夕張の財政を少しでも助けてやってください。 キャンプは順調のようですね。小さな頃から夕張とは縁があったので他人事とは思えません。 でも普段は夕張メロン関連商品(主にゼリー)友人や同僚にプレゼントする事くらいしか 出来無いのが心苦しい限りです。 http://www.urawa-reds.co.jp/tools/page_store/news_4026.html ※以下の記載は全て架空のものです、実在する団体・個人等とは何の関係もありません。 藤田誠也「センパイッ!レッズが夕張でキャンプ張ってるみたいでスョ」 中山元気「キャンプの目的がミエミエだなッ♪バレバレユウバリ♪」 西 大伍「バレバレッ?でしたっけバリバリじゃなかったのでは??」 中山元気「ああッスマン!スマン・・バレバレはウチの監督の戦術だったよなァ」 三浦監督「そうだッ!新戦術が浮かんだ!ガンバ戦は全員夕張メロンのマスクをして戦おう!」 中山元気「マスクメロン対食いしん坊太郎?・・・完全に大阪プロレスの世界だね」 ・・・・その頃・・・・ 西野 朗「大変だッ極秘情報だとコンサは未知の寝技とメロン型フェイスガードを使用すとか」 藤ヶ谷陽介「大丈夫ですよッ監督!コンサドーレは夕張メロンみたいに皮(D.F)さえ破れば 中身はとっても美味ですからネッ☆」
hibari
Re:夕張に浦和レッズ
2008-06-21 00:32
オオドサさん、ありがとうございます。 北海道の人には3つのふるさとがあると思うんですよ。 まずは農村と漁村、そして残るは炭鉱。。。 親子代々(と言っても、せいぜい3代かな)北海道な人の親兄弟、親戚の中に一人は炭鉱に関わりがある人がいますよね。私も母親のお姉さんの旦那さんが若い頃は夕張で働いていたそうです。 学生の頃、カメラを持って夕張に写真を撮りに行く活動があって、結構、通いました。その頃にはすでに炭鉱はありませんでしたが、南大夕張にはまだ炭鉱施設が残り、本町にも炭鉱街の面影残されていました。 そんなおりに、夕張のある商店で、おばちゃんからこんなことを言われたっけ。 「夕張はいいマチでしょ。札幌だっていいマチだったんだよ。夕張と変わらなかったんだよ。人口が50万人ぐらいだった頃は」 この話を伺ったとき、札幌の人口は100万人を大きく超えていました。そして人口190万と言われるようになった今になっても、ときどきあのときのおばちゃんの言葉が思い出されます。
大阪の道産子
夕張に涙・・・
2008-06-21 00:54
>そして人口190万と言われるようになった今になっても、 ときどきあのときのおばちゃんの言葉が思い出されます。 思わず涙がでました・・・含蓄なんて言葉でなく、心の奥底の自身の価値観の故郷を 感ずる・・ひばりさんのレスでした♪ありがとうございます。 明日は早いので改めてコメントいたします。 元気「ZZZZッ・・・♪」
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
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