2007年07月08日
札幌のシステマチックなゲーム運びを、各チームが研究してきて対策が確立しつつあるように思います。草津は、2列目から、キーパーとディフェンスの間にボールを放り込み、そこにFWが走り込むという作戦でのぞんできました。 第2クール最終節となる山形戦。相手の4-4-2破りに対応して、札幌は志賀と大塚をボランチにし、カウェをサイドに出して、相手の2列目からの球出しを厳しくチェックして、ゾーンとゾーン間に良いボールを供給できないようにする布陣を取りました。 立ち上がり、札幌としてはコンパクトに出来ていまし、悪い入り方じゃなかったと思います。失点までは比較的、新布陣は機能していたと思います。一方、芳賀・大塚の2ボランチでは、やはり攻めの迫力を欠き、2トップにロングで当てる以外に有効な攻め手がありません。そのため膠着した展開が続きました。 一方、山形は、ゾーンディフェンスの弱点といわれる、ゾーンとゾーン間を徹底的についてきました。前半の失点は、志賀のミスもありますが、志賀から奪われたボールが、簡単にキーパーとの1対1になってしまったのは、ゾーンデフェンスの弱点もあったと思います。 札幌も前半終了間際に同点に追いつきます。ダヴィへのロングフィードを、ダヴィが肩で絶妙なトラップを見せて(偶然?)、ディフェンダーを置き去りにして決めたもの。ロングボールをツートップにあたるという執拗に続けてきた攻撃がようやく実りました。 後半、精彩の欠いた芳賀に代わって砂川を入れ、カウェをボランチに戻して攻撃への比重を高めますが、追加点が奪えない。バランスを欠くレフリングにはばまれ感もありました。そうこうするうちに次第にラインが間延びして、セカンドボールが奪え無くなってきました。 後半に中山を下げて岡本賢明がリーグ戦デビューを飾り、砂川に変わって右サイドに入り、砂川がフォワードに入りました。岡本は投入された早々、ドカーンと抜かれて、トップの洗礼を受けました。 いつもならば、時間とともに札幌が回転を上げ、相手が先に止まるというところでしたが、この試合では先に札幌の足が止まりはじめ、ラインが間延びして、セカンドボールが相手に奪われることが多くなっていきました。 結果は引き分けで順当なところでと思います。もし延長があれば、Vゴール負けしていたのは札幌じゃなかったかと思いますね。 札幌はそんなに変わっていないんですが、相手の研究が進み、その結果、これまで1-0で勝ち点3だったものが、1-1で勝ち点1になってきた。これここ数試合の傾向です。 1-0で勝ち点を拾っていたときは、攻められ続けても、ゲーム全体の主導権は札幌にあったと思います。しかし、相手の札幌への研究が進むようになってからは、主導権を渡す時間が増えてきた。監督は、試合後のコメントで、変える必要がない、と言っていますけど、あの人のコメントは相手に対する作戦の一つなので、別なことを考えていそうな気もします。
大阪の道産子
Re:【第26節】奪われた主導権
2007-07-08 21:16
昨日の引き分けは三浦監督の思惑?が外れた試合かも。 彼もひばりさん同様、他チームの包囲網を感じているのでしょう。だからどうしても先制点を欲しかったのにミスで先制を許し、同点(動転?)になるまでバタバタしましたね。 第3クールは相手が研究の成果を出してくるので、三浦監督も対抗策を出してくる筈です。期待しています。 元気が出て、岡本が入り、砂川がトップに回り・・・岡本見てたら、いまのコンサに征也が抜けているのは以外に大きいかも。それより相川!!!あんたッなにやってんだよ!! 水曜のアビスパ戦が一つの分岐点かも、監督の対抗策がホーム無敗記録を(勝利で!)延ばすことを信じています。
EBT
Re:【第26節】奪われた主導権
2007-07-10 21:22
チェルシーのモウリーニョ監督は自著の中で「ゲームを支配せよ。できなければコントロールせよ」と言っています。徳島戦・草津戦とホームで2回CVSした関係で山形戦は私にとって先月の京都戦以来じっくり観戦した試合でしたが、そこで見たのは好調だった時期は出来ていた試合のコントロール(支配は個の力の無さで無理)ができず苦しむコンサの姿でした。こういう場合は三浦監督お得意の”修正”より思い切ってチームを変える必要があると思います。過去のJ1昇格チームを見ると(システム変更で)やり方を変えるか(補強で)人を変えるか大まかに分けると2つの方法で行き詰まったチームを変えています。コンサの場合も、(4―3―3を試す等)やり方を変えたり(補強を検討して)人を変える事を考えているようですが後半戦最初の厚別の福岡戦は早くも明日からですし、そう簡単にチーム改造できないでしょうから、暫くは我慢が続く事になりそうです。
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
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