2007年07月02日
1993年のJリーグ開幕は、「突然、天から降ってきた」というコトバがぴったりでした。 資料には、開幕の前年、92年9月から11月にかけて行われたナビスコカップ(ナビスコはJリーグよりも古い!)が大盛況で、これがJリーグの成功につながった、とあります。 実際9月6日の開幕戦では、ヴェルディですら1万3000人の観客だったものが、11月26日の過川崎対清水の決勝では、国立競技場に5万6000人の観客を集めています。 けれど、そのわずか3ヶ月前に閉幕したバルセロナ五輪でのサッカーの扱いは、前回、書いたとおりです。東京から遠く離れた北海道では、サッカーが盛り上がっているという実感はほとんどありませんでした。 当時の私は今の2CH用語でいう「海外厨」だったんだと思います。当時、実際に私が情熱を傾けていたのが洋楽で、それなりの数のレコードやCDを持っていましたが、その中に日本のアーティストのものが1枚もないのが密やかな自慢だったほどです。 マラドーナにきっかけに、サッカーを意識するようになったといっても、日本の国内リーグなんかまったく眼中になかったのです。カンプ・ノウのことは知っていても、読売と日産が、チャンピンを目指して激しく争っていたなんてまっく知りませんでした。そんなもんだといえば、そんなもんだったんです。 それでも1993年を迎えると、日に日に世の中がJリーグにむかって高まりを見せ、日本中の多くの人と一緒に、気が付けば私も5月15日の「ベルディ川崎対横浜マリノス」の試合中継にチャンネルを合わせていました。 その日から数年、まさにダムが決壊したような勢いで、日本中にサッカーがあふれたのです。 ps これを書くために、本棚にあった「Jリーグ・オフィシャルガイド1993年、サントリーシリーズ」という本を見ていて、とても面白かった。 選手名鑑もついているんですけど、ヴェルディ川崎のサテライトに、富樫剛一、関浩二、石塚啓次、村田達也という人たちと並んで、西澤淳二という名前を見つけました。 19歳の西澤
EBT
Re:コンサドーレへの道・第5回『Jリーグ開幕(1)』
2007-07-06 00:06
Jリーグ開幕OPセレモニーの時はJリーグのマスコットキャラクター(何て名前でしたっけ?)は本当に天から降ってきましたね(w Jリーグ開幕の1993年当時、私は勤め先が東京で寮が横浜と”Jリーグブーム”の中心地にいましたが今、振り返ってみても当時のフィーバーは尋常でなかったです。只の国産牛が”Jビーフ”になったり、1993年の新語・流行語大賞にJリーグが選ばれたり、テレビ番組も今も続くTBS系スーパーサッカー、テレビ朝日系JリーグA.GOGO、テレビ東京系ダイヤモンドサッカーと各局競って放送始め、試合会場は常に満員で、国立や等々力を建設した会社の社員なのにチケットが手に入らない(結局この年のJリーグ生観戦は0)有様で仕方ないので会社から近く、いつでもガラガラの東京ドームの日本ハム戦を見に行ってました勿論タダ券で(w 只これだけ急激なブームとなると色々ひずみも出てきて、私の勤め先の会社で施工した競技場でも、名古屋の瑞穂球技場で大雨の試合でグラウンドが田んぼ状態になったり、等々力競技場の芝が剥げて見栄えが悪いので神奈川営業所の社員が緑の砂(商品名:グリーンサンド)を撒いて誤魔化したとか数々の問題ありましたが、それも怪我の功名で既存の競技場の改修工事の増加に繋がりました。また地方でもJリーグ仕様に競技場を改修する工事も多く、平塚陸上(ベルマーレの現ホーム)、新潟市陸上(アルビレックスのJ2時代のホーム)、山形県陸上(モンテディオのホーム:現NDスタジアム)等あります、厚別は残念ながら他社 でしたが。そうなると現金なもので私もDFの一員のグランディーノ(グランドの妖精だとか)なるサッカーチームが会社に出来、一丁前に草津で合宿したりしましたが、どうもザスパのチャレンジャーチームの練習グラウンドだったようです。それでもJリーグ2年目の1994年はチケットも手に入るようになり、当時ベルマーレファンで厚別のJリーグ開催の試合を見に行っていた妹と一緒に改修工事後すぐの平塚に行ったのがJリーグ初観戦でした。試合の方はサントリーシリーズ12チーム中11位のベルマーレと12位のレッズの対戦とあって4―2でレッズの勝利と凡戦の類いでしたが、ベルマーレのCBが名塚と渡辺卓と入れ違いですが、後にコンサで優勝に貢献した2人でした。この試合はディゲームでしたがJリーグ初のナイター観戦は前年度の天皇杯優勝のフリューゲルスと前年度Jリーグ覇者のヴェルディが国立で対戦した試合で、白熱の一戦は1―1でPK戦に突入し結局フリューゲルスが勝利しましたが、この試合でJリーグ初得点を決めたヴェルディの選手の名は西澤淳二、そう現コンサの画伯でした。当時は意識していなかったですがコンサとの縁は意外な所に潜んでいたものです。ちなみに当時ベルマーレファンだった妹は今は日本ハムファンで連日、札幌ドームに通っています。あの頃のJリーグブームに群がったのは、こうした人間が多く当初の熱狂が直ぐ去ったのも当然と思います。
hibari
Re:コンサドーレへの道・第5回『Jリーグ開幕(1)』
2007-07-09 00:41
EBTさん コメントありがとうございます。 すごい時代でしたよね。これの続きで、もう少しその辺のことを書こうと思っています。そんなんで資料を集めの発見です。93年のヴェルディのサテライト(当時は、明確にトップとサテライトが別れていたようです)には19人が所属し、そのうち5人が後に札幌の選手となっています。今も西澤が現役で活躍しています。一方、ヴェルディには、この時のサテライトのメンバーは今は誰も残っていません。(永井は当時すでにトップでした)
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
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