2008年01月26日
北海道フットボールクラブの経営問題も、減資を行うという方向で、まとまりが見えてきました。ここで少し私論を述べさせていただきます。 私としても、ここまで金属疲労をおこしているHFCは発展的に解消し、新たに起こした新法人に譲渡するなどして、リセットすべきだと思います。 ただし、そのことは、どこの馬の骨ともわからない、北海道、札幌とは無縁なイチ民間企業の商行為、営利のための投資行為、または野心的な企業家の虚栄心を満足させるものとして行うのであってはいけないと思います。 道路や水利網などのハードウェアだけが公共インフラという時代ではありません。プロサッカークラブを北海道全体の公共財、新たな文化インフラとして位置づけ、道、札幌市と道内経済界が、支えていく仕組みを作るべきだと考えます。 すなわち、道と札幌市、そして道経連などが話し合い、その時々でもっとも体力のある企業に責任企業になってもらって、その他の有力道内企業がこれを支えていく。そんな体制、コンセンサスが理想なのではないでしょうか。 コンサドーレ札幌をめぐる混とんの一因に、これを株式会社北海道フットボールクラブというイチ営利企業の営業行為としてみるのか、道民市民の間から生まれた文化事業として見るかの相克があったと思うんです。つまりアメリカ的なスポーツビジネスの視点と、ヨーロッパ的なクラブ文化の視点との相克です。 営利行為としてみると、税金の投入はとんでもなく、私有財産としての転売は当然という見方ですが、道民、市民の文化事業として見ると、公共が支えていく必然性も生まれてくるわけです。このように基盤となる認識によってまったく正反対の結論が生まれてくるのですね。 だから、コンサドーレ札幌の今後を考えてゆく上で必要なのは、大前提としての「コンサドーレ札幌とは何なのか。どうあるべきなのか」という共通認識を、道民、市民の間で確立することなんだと思います。 公共が行政だけの独占物だった時代は終わりましたし、民間企業が私的営利だけを追求する時代も終わりました。そうした新しい時代の中で、コンサドーレ札幌にとどまらず新時代の文化インフラを、どのように地域社会が支え発展させていくか、その中で行政と民間あり方はどうあるべきか、という新たなビジョンが必要なんだと思います。 そこには、たとえばPFI(Private Finance Initiative http://ja.wikipedia.org/wiki/PFI)のような、これまでの既存の概念、制度の中にはなかった、まったく新しい発想が求められるのでしょう。そして、このことは北海道やコンサドーレ札幌だけでなく、今の日本全体に求められていることではないでしょうか。
これは「コンサドーレ札幌インフォメーション」に投稿したものの転載です。 http://www.phoenix-c.or.jp/%7Ehiro/bin/yybbs/yybbs.cgi?list=
大阪の道産子
コンサは皆の為に!皆はコンサの為に♪
2008-01-27 10:36
>その中で行政と民間あり方はどうあるべきか、という新たなビジョンが必要なんだと思います。 PFIはもともと行政主導の民間資金活用で、あまり行政に期待してない?僕にはこの方法は 少し不安があります。むしろ今年の12月1日施行の公益法人制度改革関連3法の一つの一般社団 ・財団法人法に期待しましょう。監督官庁の指導を受けるものの公益法人のメリットを簡便に 受けられるメリットがあります。それにはコンサが広く道民にサッカーを通じた利益(夢と希望) を増進する必要がありますね。(あっ!もう既にそれは実証済み!?) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E8%88%AC%E7%A4%BE%E5%9B%A3%E3%83%BB%E8%B2%A1%E5%9B%A3%E6%B3%95%E4%BA%BA%E6%B3%95 >これまでの既存の概念、制度の中にはなかった、まったく新しい発想が求められるのでしょう。 この改正法の下でも新しい発想は可能かもしれません。いずれにせよ道民一人一人がコンサと 郷土のとの関係を真剣に考えなくてはいけない時期ですので、ネットでも良いのですがその場が 必要でしょう。インフォのようにH.Nでは無く新聞の投書欄のように記名式が良いと思ってます。 ※以下の記載は全て架空のものです、実在する団体・個人等とは何の関係もありません。 謙伍 「元気センパイ!この『コンサドーレの未来を真剣に考える会』って何ですか?」 元気 「これはHFCの将来について、道民による道民のための意見交換のたたき台だよっ」 征也 「ぼくら選手でも自分の意見を発表できるのですか?」 三浦監督「そのとうり!コンサの将来を議論する場として道民なら誰でも利用出来るのだ。 今日は有効なたたき台としての利用について東京から講師の先生を呼んできた」 寅次郎「わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。姓は車、名は寅次郎、人呼んで フーテンの寅と発します。さあさあお立会い、国の始まりが大和の国なら、 島の始まりが淡路島。泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、博打打ちの始まりが 熊坂長範っときた。なぁ、みなさんよぉ。こんな立派なサッカーチームがねぇ。 そんなに安いお値段でお願いできる訳がないでしょう。大きな声じゃ言えネェけども。 札幌は梟堂という大きな問屋がわずかな累積債務で投げ出した倶楽部だよッ!。 丸井さんや大丸さんでお願いしましたら六百億か五百億はする倶楽部だぁッ。 今日はそれだけ下さいナッとは言わないョ。ね。腹切ったつもり。畜生!四百、三百、 あーっこれで買い手がなかったら、右に行って田子の浦、左に行って三島でさァ、 右と左の泣き別れだッ。よし、特別、二百億。持ってけドロボー!。まだダメかい? よーし、こうなったらもうヤケのヤンパチ日焼けのナスビ、色は黒くて食いつきたいが、 あたしゃ入れ歯で歯が持たない。バンジージャンプした気で百億円。はい持ってって。 百億、百億!!えっ??みんな黙り込んでどうしちまった??」 一同 「・・・それって以前どこかで聞いたんだけど・・・」 寅次郎「あれっ?サッカークラブの叩き売りッて聞いて来たけど??」
hibari
Re:新たな公共財として
2008-01-27 23:00
オオドサさん ありがとうございます。 PFIはたとえとして適当でなかったですね。 本当は、PFIのように日本の既存の制度にはなく、新しすぎて、日本語の名前もついていような「制度」が、必要ということを言いたかったです もう少し具体的にいうと、株式会社などの営利法人、財団法人や社団法人などと同列な法人格として「スポーツクラブ法人」というのを認めさせる。そしてそこへの寄付は非課税にする・・・ などという夢物語を考えていたんですけどね。 でも現実的に、オオドサさんが教えてくれた「12月1日施行の公益法人制度改革関連3法の一つの一般社団・財団法人法」をちょっと勉強してみます。
大阪の道産子
コンサは永永永遠に♪
2008-01-28 00:45
>夢物語を考えていたんですけどね。 ※以下の記載は全て真実のものです、表記する団体・個人等は私との関係アリです。 大昔にNHKで「夢で会いましょう」という当時の子供では深夜?11時位の番組が ありました。その中で永六輔さんと渥美清さんが印象的で番組に葉書を出したら永さん から「小学生は早く寝なさいっ」とコメントを頂きそれから永六輔さんのファンになり TBSのパックインミュージック(土曜深夜)の投稿常連になり、それが縁で 昭和47年にはNTVの「遠くに行きたい」のロケで岩見沢のイクラ弁当の紹介などで チョッピリ出演もらい、この業界に興味を抱きました。永さんからは、渋谷の自宅に若い 頃の渥美さんが永さんの奥さんと一緒にご飯を食べているの旅先から帰宅して見て 「生まれた子供が顔が四角で目が小さかったらどうしよう?」と聞いたのが印象的です。 ・・いろいろありましたが昭和62年頃に「札幌テレビハウス」でお世話になった時に HTBの番組で「男はつらいよ知床慕情」のナビゲーションがあって羅臼に音声技師と して滞在しました!この仕事をして三船敏郎さんにじかにお会いできたのが最高の幸せ です♪(男はつらいよにはこれしか出演してないのですから)竹下景子さんもステキ でしたね☆そして渥美さんが亡くなる少し前に神戸の震災で被害が甚大だった長田区 を訪れた時に知床の話をしたら「あの巨大なロケ弁当はやりすぎだよねェ」と覚えて くれてました・・合掌
プロフィール
コンサドーレの試合をはじめて見たのは、招待券で見た1996年伝説の厚別初戦。ペレイラのフリーキックと、オテーロのVゴールを目撃しました。娯楽の少ない北海道で、それは衝撃的な体験でした。そして実際に自分がファンからサポーターになったのは98年に、オフィシャルサポータークラブに入ってから。以来、今日までホーム全試合観戦を目標に、シーズン券を買って、応援を続け、たとえJ2の最下位になろうとも、年間に5回しか勝てなくとも、(実際になりましたが)、チームがある限り、サポであり続けることを誓って、今日まで生きてきました。
最新のエントリー
月別アーカイブ
コメント
検索