2010年02月28日
弟が大会から帰ってきた。 きのうのブログに書いた、唯一メダルのもらえる大会である。 「どうだった?」と聞くと、 青いメダルケースをぽーんと食卓の上に放り投げて、黙って2階に上がっていってしまった。 ケースを開けてみると、中には金メダルが入っていた。 少し遅れて帰ってきた母に、弟のようすが変だと告げると、 「サッカーをやめたい、と言っている。」と言われた。 さらに、「お母さんも止めないよ」と付け加えた。 一体何があったのか。 決勝戦を1-0で勝って優勝した。 こぼれ球を弟が押し込んで決勝ゴールを決めたのだった。 しかし、試合後に指導者からかけられた言葉は「おめでとう」でも「よくやった」でもなく 「お前がなぜあそこにいたのかわからない。得点は単なるまぐれ。」 サッカーは11人でするスポーツ。 もっと言えば、少年団時代の大半を補欠で過ごした兄(私のことです…)を考えれば、 11人以上で戦う競技である。 母も、自分のこどもだけを褒めてほしいとは夢にも思っていない。 (教育熱心で、そういう部分はとくに厳しかった。) 結果として1点も取れなかったセンターフォワードの選手だけがなぜか絶賛された。 決勝点を決めた選手(といっても12歳の小学生)に対して こんな言葉を選手・保護者全員の前で発して みんなで笑い者にする神経がまったく理解できないと激怒していた。 弟は少年団卒業を機にサッカーを離れ、全くの門外漢であった野球の道へ進んだ。 戦前に甲子園準優勝した商業高校出身で、自身も球児だった父はこれを歓迎した。 高校では山岳部に入った弟。 さまざまなスポーツを経験したこと、 常に新しい環境で人間関係を構築してきたことが 営業という仕事をしていく上で財産になっているようだ。 サッカーが嫌いになったわけではなかった。 ただ、あのときの一言が許せなかったんだと大人になった彼は言った。 大学の体育の授業では、迷わずサッカーを選んだ。 大阪トレセンの選手をあっさり抜き去って 「さすが静岡や!」 と言われてうれしかったと話していた。 同業種のサッカー大会では、県大会の準決勝まで進み、 「あと一歩でエコパだったのになぁ。」 といいながら、 「3決、エコパのサブGで30㍍のロングを決めてやったぜ。」 なんて自慢された。 そんな弟が仕事中の事故で、右足を骨折した。 治っているはずなのだが、ボールを蹴るたびに激痛が走るという。 お医者さんからは「もうサッカーはできませんね」と告げられた。 「GKでもいいから試合に出たい。」 試合に行く準備をしていた姿を見て、年老いた母は 「本当にサッカーが好きだねぇ。」 と、少しあきれた顔で言っていた。 「ここにもいるよ、サッカーバカが。」と思った。 仕事が忙しくて、なかなか休みも取れないみたいだけれど、 いつか札幌ドームでうまいビールを飲みながら 一緒にサッカーを観たいなぁと思っている。 私が思い出の銀メダルを探していたとき、 小僧にむかって 「俺は金メダルだったぞ。今度探して絶対に見せてやる。」 だって!
2010年02月27日
サッカーでもらったメダルが2つある。 私のふるさとの小さな街には いまから30年以上も昔から少年団のリーグ戦があった。 6年生のときにAリーグで優勝し、念願の金メダルをもらえると思っていたら、 (Aリーグ優勝チームのみメダルがもらえた) なぜかその年からメダル授与が廃止になってしまった。 メダルをもらえる大会は1つだけになった。 5年生のときにはじめてもらったメダルは 準優勝の銀メダル。 補欠選手として、1秒も出場しなかった私にも 銀メダルが掛けられた。 ずっしりと重いメダルの感触に全員が虜になった。 記念写真にも、見せびらかすように リボンの部分を持っているメンバーの姿が写っていた。 「来年はみんなで金メダルをもらおう。」 そう思ってリーグ戦で優勝したのだった。 この悔しさをバネに、唯一メダルのかかった大会で順調に勝ち進んでいった。 だが決勝戦、またしても敗れた。 2つ目の銀メダルが首にかけられた。 うれしくなかった。 あれから20数年。 結婚してこどもが生まれ、そのこどもがサッカーをやりたいと言い始めた。 「お父さんは昔、サッカーの大会でメダルをもらったことがあるんだぞ。」 「えーっ、本当。」 「本当だとも。じゃあ、おばあちゃんのうちにあるから行ったら見せてやる。」 「やったー。」 お正月に里帰りしたときに探したのだが、 結局見つからなかった。 お盆に帰ったとき、もう一度よく探してみよう。 「ほら、これだ。」 「なんだ、銀メダルじゃん。」 「でもこのメダルはな、みんなで力を合わせて取った、価値あるメダルなんだ。」 「金メダルよりはうれしくなかったしょ。」 「そうだなー。でも、いまお父さんはとてもうれしい気持ちでいっぱいだ。」 「なんで。」 「…。」
2010年02月26日
通勤しながら聞いているラジオから 「続いてはコンサドーレの情報です」 という声が聞こえてきた。 聞き漏らしてはならない、と思い あわててボリュームを上げた。 「道央道は、全線通常どおり走行できます!」 高速道路の情報かいっ!
2010年02月25日
娘が1歳にして アルファベットを読めるようになりました。
↑これを見て、ちゃーんと「こんそーれ」って読めたのです。
サッカーバカって言うより、ただの親バカだ。 親バカって言うより、バカ親だ。 バカ親って言うより、大バカモノだ。(おしまい)
2010年02月24日
ときどきですが、
フットサルをして遊んでいます。
もう走れないので、
「俺、キーパーやるわ」
なんて言って上手くサボっています。
といいつつも、
やっぱり点を取らないとおもしろくないので
オーバーラップしてシュート!
あっさり相手GKに弾かれて、
ボールは無人の自陣ゴールへ…なんてこともよくあります。
フィールドプレイヤーとして出場したときには
むかし取ったなんとやらで、ピンチを再三防いじゃいます。
きっちりゴールまで戻って、相手のシュートを止めてやったときなんかには
「これこそDFの見せ場だよな」なーんて調子に乗っちゃうわけです。
先日、やはりフィールドプレイヤーとしてプレイしていました。
相手の素早いパス回しにチンチンにされ、どんどん抜かれる味方選手。
キーパーまでもが抜かれてゴールには前線から戻ってきた私1人。
「よし、来い!」
放たれたシュートは、ほわっとした浮き球。高さはおへそのあたり。
胸?もも?と迷っているうちに出たのがなんと手。
手による決定的な得点機会の阻止。
一発退場。
レフリーがいるわけでもない
遊びのフットサルでしたが、
いちスポーツマンとして、
こどもから大人に、大人から紳士になった者として
堂々退場したのでした。
(実は2回目。)
2010年02月23日
初めての観戦は2007年の最終戦。
SB席の当日券を購入すると、
味気ないチケットを渡されました。
「Jリーグの入場券って、こんな感じなの?」
当時何も知らない私は
入場券といえばえ・チ・ケのようなものを想像していたので
すこしショックでした。
それでも札幌になかなか行けない私は
仕方なく近所のコンビニで購入した味気ないチケットで入場していました。
2009年春、
それまでバカみたいな高値の続いていたガソリン価格が落ち着くと、
札幌に出かける機会も多くなってきました。
あるとき、丸井今井に行ったのを機に、
はじめてえ・チ・ケを買ってみようと思ったのです。
コンビニで買うチケットと同じ値段なら、絶対え・チ・ケのほうがいいに決まってます。
しかも記念にもなりますし。
というわけで、初めて買ったえ・チ・ケは…
小僧のセンスで選んだ岡本選手のチケットでした。
ウチの小僧もなかなかやるぜ!←バカ親。
以来、嫁はんをやたら買い物に誘ったりして無理に用事を作り、
札幌まで出かけてせっせとえ・チ・ケを購入してまいりました。
どうしても買えなかったときには、
試合当日に北広島インターで降りてスポーツデポで買う、
という技を駆使してえ・チ・ケ購入に執念を燃やしたのです。
その結果、
手元に残ったえ・チ・ケは…
岡本選手・中山選手・上里選手・佐藤選手・藤田選手・西選手
吉弘選手・ダニルソン選手・キリノ選手・趙選手・クライトン選手
です。
昨年販売された、
すべての選手のものがあると思います。
(間違っていたら、ツッコんでください!)
今年はシーチケを買ったので、
え・チ・ケを買う機会はあまりないと思いますが、
嫁はんをスタジアムに誘って
家族全員で観戦にいってみようと思っています。
そして、最大の目標は…
オフィシャルホームページにも載っていない、
幻の(?)え・チ・ケを入手することです。
道新ぶんぶんくらぶの懸賞が当たりますように!
2010年02月22日
チケットホルダーに入れておいた ドーレ君直筆サイン入りカード。 どうしても出して遊びたいと娘が猛アピール。 仕方なくチケットホルダーを渡すと、 勝手にファスナーを開けて カードをばらまく。 さらにカードを寝室に持って行き、 布団の中に隠した。 「ドーレ君のカード、早く片付けなさい!」 妹大好きの小僧がやってきて一言。 「どれどれ…」(おしまい)
2010年02月21日
この前から 私の夢にたびたび出てくる「背番号26」。 コンサドーレ札幌の背番号26は上原慎也選手。 190センチ近い長身と50メートルを5秒7で走る俊足が武器。 身長170センチ少々、 50㍍7秒切るのがやっと(ただし、現役時代のピーク時) の私からしてみたら「とにかくうらやましいー!」 しかもハンサム。 10-0くらいの歴史的大敗ですわ。 しょうもない自分の話はおいといて、 上原選手の初ゴールは 2009年5月5日、第13節の栃木戦でした。 左サイド西嶋選手からのクロスを ヘッドでズドン! とても美しいゴールでした。 といってもこの試合、 昨シーズン初のホームゲーム「欠席」でしたので シーチケ購入特典のDVDで観たんですけど…。 本当に美しかった。ナマで観たかったなぁ。 目の前で上原選手のゴールを見たのは 7月25日第30節、雨の厚別での岡山戦でした。 上里選手からのパスを受け、ペナルティーエリア内で思いっきり振り抜いたシュートは 相手DFに当たってそのまま吸い込まれるようにゴールへ! 試合終了間際の得点で岡山に引導を渡したのでした。 次のホームゲーム、 8月5日、第32節の福岡戦 第1ゲートには黒いジャージ姿の上原選手が。 「この前点取ったのに出られないの?しかもリザーブにも入れないなんて…!」 プロの厳しさを思いっきり目の当たりにして 真夏なのに少し寒さを感じたような気持ちがしたのでした。 何度かファミリーシートのサイン会にも来てくれて、 とても優しくこどもたちに対応してくれる選手です。 練習場でサインをいただいたときも、 小雪が舞う寒い天候だったにもかかわらず (しかも南国沖縄出身。私も温暖なところ出身なので震えて出待ちしてました。) とてもさわやかな笑顔で たくさんサインをしてくれました。 ウチの小僧にもたくさん話しかけてくれて とても親しみを感じています。 FWですから、今年はとくにポジション争いが厳しいことだと思います。 がんばって1つでも多くの試合に出場してください。 そして1点でも多くゴールを決めてください。
2010年02月20日
ブログを始めて約1ヶ月。
今日は朝から
カテゴリー分けをやってみました。
(最新更新順リストの1番上にずーっと居座っていたのはそういう理由でした。スイマセン!)
これからも少しずつですが、
読みやすくなるよう工夫していこうと思っています。
お付き合いのほど、よろしくお願いします。
2010年02月19日
また、夢を見た。
キックオフ2010 @どこかの高校の体育館。 背番号なしの新ユニフォームを披露したあと、 選手が控え室(教室)に戻ってきた。 チームスタッフが 「いまから来シーズンの背番号を発表するから」 と宣告する。 一同に緊張が走る。 控え室には 見覚えのない顔がある。 逆に、見覚えのある顔がない。 よく見ると 私も胸スポンサーが「白い恋人」になっている 赤黒のユニフォームを着ている。 「俺もコンサの一員なのか?」 疑問を抱きながらも トップチームに選ばれたことに誇りを感じている。 「俺の番号は…」 胸を見た。 白い恋人の下にはあるはずの胸番がない。 「なんだよ、レプリカじゃん」 少しがっかりしながら、部屋の片隅にあった鏡に背中を映した。 背番号26。 番号の下には名字がローマ字でしっかりと入っている。 誰かが 「なんで下の名前にしなかったんですか?」 と聞いてきた。 すかさず私は 「大切な家族の名前を背負ってこの1年を戦いたいんだよ。」 と、さぶーい返事をしていた。
たしか、 この前見た夢にも 背番号26が出てきた。 どういうことなのだろうか。
2010年02月17日
リンカーン、 録画しておいたものを先ほど見ました。 コンサの旗やエンブレム、ユニフォームが映るたびに 「こんそーれ、こんそーれ」 と娘が興奮していました。 最近は、よくテレビに映る 中山選手を見るとすぐに 「こんそーれ」と言うようになってきました。 いま、娘を抱っこしながら ブログを書いています。 画面左上のドーレ君を見て 「こーんそれ、たたったたった」 なんて言うようになってきました。 サッカーバカ街道まっしぐらの 父と娘です。
2010年02月16日
いま、飲み会から帰ってきました。 私の住む海沿いの街は快晴で、 今夜はとても冷え込んでいます。 (その分とても星空がキレイです。) お店から自宅まで約1㎞。 お迎えになんか来てくれませんから 一人さみしく徒歩で帰ります。 そんなときに私を助けてくれているが、 Kappaのネックウォーマーです。 いつもは首に巻いているのですが 今日のようにあまりにも寒くて耳が痛いときには 帽子のようにかぶると耳を守ってくれます。 おかげで寒い思いをせずに帰ってくることができました。 結構いいお値段なんですけど、 コンサの選手と同じものを使っている、 というところがポイントです。 とてもいい気持ちで さむ~い冬も楽しく乗り越えられますよ。
2010年02月15日
2月14日 20:39 きのう、私がブログを更新したとき もう一つのブログが更新されました。 そのタイトルは 「横野純貴のブログ」 最新更新順ブログリストのページを見ると、 横野選手のブログの上にわがブログの名前が! 「なんということでしょう!」(←サザエさんの声で。) まったくの同時刻に更新とは。 熊本と北海道とで離れてはいるけれど、 なにか赤い糸が見えるような気がしてきました。 …というのは冗談ですが、 昨シーズンから横野選手のことは気になっていました。 私が彼を最初に見たのは3月の湘南戦でした。 後半最後に投入されて、 泥臭く走り回り、必死にボールに食らいついていく姿を見て 「俺、こういう選手が好きだ!」 とすぐに思いました。 もしかしたら、 過去の自分の姿を重ねていたのかも知れません。 水曜日の通信簿では 平川さんに酷評されちゃったけど、 何が何でもゴールを目指す姿は あのころのコンサには欠けていたように思いました。 4月、セレッソ戦の選手サイン会(ファミリーシートイベント)に 横野選手が来てくれました。 私は 「湘南戦でのプレーに感動しました。また試合に出て、次は必ず点を取ってください。」 と声をかけました。 すると、とてもさわやかな笑顔で 「はいっ、がんばります!」 と元気よく答えてくれました。 今年のFWのポジション争いは、 熾烈を極めることだと思いますが、 ぜひ出場機会をつかみ取ってください。 そして、次こそコンサ勝利のゴールを奪ってください! 「がんばれ、純貴!」
2010年02月14日
2009年 第38節 コンサドーレ札幌VS愛媛FC 試合後に撮った写真より。 愛媛FCのチームカラー、 オレンジ色のクーラーバッグには なんと「ポンジュース」が! さすが愛媛、 蛇口からポンジュースが出てくるだけのことはある。 遠征にも帯同させているなんて…。 選手にも愛飲者が多いのだろうか?
2010年02月13日
小僧がテーブルのところでケーキを食べていた。 そこに下の子が後ろからやってきたかと思うと いきなり体を入れて 小僧とテーブルの間に入り込み、 見事ケーキを奪うことに成功した。 もちろん小僧だって抵抗した。 なのに、このフィジカルの強さは 一体なんなんだ! かつてDFだった俺の血が流れているんだ。 きっと素晴らしいDFに成長していくことだろう。 左足のシュートも強くなってきたし、 いまから将来が本当に楽しみである。 (まだ1歳8ヶ月の女の子だけど…。)
2010年02月12日
係の方の案内で、こどもたちは選手と合流します。 このとき、保護者軍団は再びドームのフィールドに移動し、 わが子と選手の登場をいまや遅しと待っています。 電話をしながらスタンドに手を振っている方もいます。 より近い位置でわが子の勇姿を見ようと ポジション争いも激しさを増してきます。 可能な限り選手出入り口に近づこうとする我々保護者軍団。 すかさず止めるスタッフ。 試合開始前に両者の熱い攻防が繰り広げられます。 「MOON OVER THE CASTLE」のイントロが流れてくると、 興奮と緊張はクライマックスに! フィールド内は一切撮影禁止なので、 全員が血眼でわが子の姿を瞳に焼き付けます。 おそらく引率の保護者が誰も踏んだことのないであろうドームの芝の上を、 15名のこどもが選手とともに歩いていきます。 試合前で緊張がピークのはずの選手が、 優しくこどもの手を引き、肩に両手を載せています。 写真撮影が終わると、 ダッシュで戻ってきてドーレ君との記念撮影。 保護者は控え室でこどもたちを待ちます。 着替えが終わると解散。 長~い階段を上って急いでスタンドに戻りますが、 だいたい前半が5分くらい経過しています。 後日、写真が送られてきました。 写真屋さんに持って行って、大きく引き伸ばしてもらい、 宮の沢の練習場で一緒に入場した選手にサインを入れてもらいました。 「とても喜んでいました。ありがとうございました。」 とお礼を言うと、 「本当ですか。よかったです。ありがとうございます。」 ととても礼儀正しく対応してくださいました。 荒谷選手、ありがとうございました。 親である私にとっても、こどもにとっても 一生の思い出と宝物ができました。(おわり)
2010年02月11日
フラッグキッズに選ばれたこどもと保護者にとって 最も重要な時間…それは並び順を決める時間です。 控え室となっているミラールーム内で、 ユニフォームに着替えたわが子を写真に収めたり、 知り合いや家族に電話したり、メールしたりと 思い思いの過ごし方をしているところに 係の方から集合の声がかかります。 「では、並び順を決めます。」 一瞬、静寂が訪れます。 わが子がどの位置になるのか、 どの選手と手をつないで入場することになるのか、 すべての保護者が固唾を飲んで見守ります。 「先頭はキャプテンの上里選手、その後ろは…」 とか、 「あの選手は怪我で今日は出ない。じゃあ今日のスタメンは…」 とか、 「確か一番後ろはクライトンだったはず…」 なんていう思惑が渦巻いています。 すべての並び順が決定すると、 係の方:「どの選手になるかわからないけど、文句言わないでね。」 こども:「はーい!」 係の方:「外国人選手と一緒になった子、ゴメン。声かけても言葉わからないから。」 保護者:(爆笑) こども:「…?」 なんてやりとりがあって、いよいよ入場となります。(つづく)
2010年02月10日
試合開始約1時間前、 幸運にもフラッグキッズに選ばれたこどもと保護者(1名)は 指定された集合場所に集まります。 そこで、「フラッグキッズ」と書かれたパスを渡され、首からさげます。 係の方に案内されてついていくと、 「秘密の入口」の扉が開きます。 IDチェックがあり、先ほどのパスを持っていないと入れません。 周りを見回し、優越感に浸りながら、 思わずムスカ口調で 「この先は王族しか入れない聖域なのだ!」 なんて口走りたくなる瞬間です。←最低。 長~い階段を下り、人工芝が敷かれた鏡張りの部屋に入ります。 どうやらここはミラールームといって ピッチャーが自分のフォームを確認しながら 投球練習をおこなう部屋のようです。 ここで男女別に着替えとお手洗いを済ませます。 だいたい先に男の子が着替えるようです。 着替えが済んだところで トイレに行くため、一度ドームのフィールドに出ます。 このときピッチ上は、 選手のアップが始まっている時間です。 ホーム側ゴール裏からは選手一人ひとりのコールが聞こえてきます。 なにか、自分が選手になったかのような錯覚に陥って とってもイイ気持ちになるのです。 野球のベンチから その裏にあるトイレに入ります。 「このベンチにファイターズの選手も座っているのか」 とか、 「このトイレでダルビッシュも?」 なんてことを考えながらこどもの世話をして、 再びミラールームに戻ります。 時間があるときは、 隣のブルペンの見学などもさせてくれます。 そして、こどもにとっても親にとっても 一番重要な時間を迎えるのです。(つづく)
2010年02月09日
2010年ホーム開幕戦、対横浜FC。 開場からまだ30分というのに 札幌ドームはすでに半分ほど埋まっている。 開幕を待ちきれなかったサポーター、 そして新加入選手を一目見ようというファンが押しかけている。 どこに座ろうかとドーム内を歩いていると、アウエー側ゴール裏がわりと空いていた。 キックオフ50分前、 今季初のパフォーマンスとなるドールズのメンバーも いつもとは違う雰囲気でピッチに降りてきた。 勢いよくピッチに散らばったかと思うと、 流れてきた曲が「Romanticが止まらない」。 ドーム内が一斉にどよめく。 ピッチ内練習が始まる。 次の瞬間、大型ビジョンが故障。 勝手に両チームのスタメンが部分的に紹介されてしまう。 GK高原選手の背番号はなぜか26。 「オイオイ」という感じの上里・藤田両選手と目が合う。 そして、いつまで経っても試合は始まらないのであった…。
おはようございます。 今朝はこんな感じで目が覚めました。 禁断症状が出始めたのでしょうか。 みなさんは、 夢の中にコンサの選手が出てくること、ありますか?
2010年02月08日
きのうようやく札幌に行ってきました。 めでたく? ファンクラブ更新 シーチケ購入 レプリカユニ申し込みを済ませました。 その後、 雪まつり会場をぐるっと一周。 まずは中山選手の雪像を見学。 そして、 なんとホーム最終戦以来となる ドーレ君との遭遇。 思わず写真を一枚。 さらにグッズショップで 2009アウエーユニを購入。 売店には磐田サポらしきおじさんの一行が。 お姉様方の 「コンサドーレも応援よろしくお願いします」 に対し、 「早くJ1に上がってきてください」 のエール。 いろんなことがあって、いい1日になりました。 J1目指して 俺もがんばって応援するぞ!
2010年02月07日
きょうこそ ファンクラブ更新と シーチケ購入と レプリカユニの申し込みに行くぞ! ついでに雪まつりの会場にいって、 グッズショップも見てこよう。 何かいいものないかなー? さて、きょうの判断は? 一石四鳥の札幌行きとなるかどうか。
2010年02月06日
お正月の話ですが、 職場の旅行で鹿児島・宮崎に行ってきました。 1日目は 新千歳→羽田→鹿児島空港~指宿 という行程でした。 指宿ではものすごくでっかいホテルに泊まりました。 温泉に入り、宴会をして、みやげ物でも…と館内を歩いていると、 突然、代表のレプリカユニフォームを販売している売店がありました。 入口には、代表の合宿風景の写真も飾られていました。 「指宿合宿ってここでやったんだー」 ぐらいにしか思わずに通り過ぎ、 北海道に戻ってきてからネットであれこれ調べたら… かつてコンサもここで合宿してたんですね。 スイマセン、なーんにも知りませんでした。 期せずしてコンサゆかりの地巡りをしてしまった私。 次はちゃんと下調べをしてから訪問したいと思いました。
2010年02月05日
私のポジションは、 サッカーを始めたころからずっとDFでした。 なぜDFになったのか はっきりとした理由はいまだにわかりませんが、 おそらく体格がよかったからではないかなと思っています。 かつてはDFがオーバーラップして ゴール前にいるなんてことはあまりありませんでした。 ですから、試合に出ても得点に絡んだことなどほとんどありません。 ただ一度だけ、得点をしたことがあります。 小学校のときだったと思いますが、 右サイドバックとして出場していた試合で、 エンドは風上でした。 ハーフウェーラインを少し超えたあたりに(たまたま)いた私のところに こぼれ球がバウンドしながら転がってきました。 その瞬間、ゴールが見えました。 ゴールまで40メートルはあったと思います。 しかし、私は迷わず右脚を思い切り振り抜きました。 ボールは風に乗ってぐんぐん相手ゴールに向かっていきます。 ゴール手前で落下しはじめたボールは ゴールキーパーの手とクロスバーの間を抜け、 ノーバウンドでゴールネットを揺らしました。 思わず両手を天高く突き上げました。 「俺には必殺の超ロングシュートがある」 一気に自信を持ちました。 狙えるときには積極的にシュートを打っていきました。 中学生になって、練習試合で同じような場面がありました。 私の放った超ロングシュートは、どんどん相手ゴールに向かっていきます。 キーパージャンプ!届かない!決まった!と思った瞬間、 「カーン」 という音とともにクロスバーに弾かれ、 あえなくゴールキックとなってしまいました。 その後、交代させられ、 監督から「あれが決まっていれば、お前の人生も変わった」 と告げられました。 それからしばらくの間、 レギュラーからはずされることになりました。 厚別で上里選手が、 65メートルの超超ロングシュートを決めたとき、 少しだけそんな過去のことを思い出していました。
2010年02月04日
こどもが「サッカー」ということばを覚える前に、 「コンサドーレ」ということばを覚えた。 もっとも、「こんしょーれ」にしか聞こえないが。 「コンサドーレ」ということばを発する前から サッカーボールを蹴らせている。 最近ではボールを見ると蹴る癖がついている。 しかも左だ。 やはりおまえにも俺の血が流れてるんだ。 サッカーバカの、 オヤジの血が。
2010年02月03日
昨年、ついにアウエーデビューを果たしました。 しかも2回も行ってしまいました。 2回とも岐阜に。 1回目は8月16日(日)、第34節でした。 この試合は 「花火大会のときの試合」 といったほうがわかりやすいかも知れません。 目の前で砂川選手の切り返しがズバッと決まったとき、 家族全員から「おおおーーーーーっ!」という声が上がりました。 2回目は11月22日(日)、第49節は雨の試合でした。 古田選手の「幻の初ゴール」(単にアナウンスが間違った)と 岩沼選手の本当の初ゴールを目の当たりにしました。 (一緒に観戦した帯広のお父さん、お元気でしょうか?) なぜ岐阜か? それは故郷に近いからです。 里帰りをかねて、アウエー進出を果たしたのです。 といっても私は岐阜出身ではありません。 (そのあたりの話は別に聞きたくないかも知れませんが、いずれ…。) 今年は密かに 岐阜、甲府、水戸あたりを狙っていました。 しかし、勤め人の私にはちょっと厳しい日程です。 8月15日(日)、第22節のヴェルディ戦がおもしろそうです。 大好きなコンサドーレを国立で観てみたいです。
2010年02月02日
小3でサッカーを始めて 最初(で最後)に買ってもらったボールは、 チーム指定のミカサの貼りボールでした。 六角形と赤と青の三角形を組み合わせたデザインのボールは、 1年中練習できる土のグラウンドや アスファルトの道路で容赦なく使われて、 皮がはげて茶色くなっていきました。 少年団の倉庫(通称:サッカー小屋)の一角に試合球を保管するスペースがあり、 そこにはモルテンのタンゴが4個うやうやしく置かれていました。 その美しいほどの白さと蹴り心地のやわらかさは サッカー少年の心を一気に虜にしたのでした。 中学に入るとボールは5号球になりました。 練習では貼りボールを使っていましたが、 試合には手縫いのボールがあらわれました。 変形するという理由で普段は空気の抜かれた 天然皮革の手縫いボール…その名は「PEACOCK」。 目一杯空気を入れられたPEACOCKは これでもかというくらいカチカチに硬く、 ヘディングでの競り合いをためらわせるほどでした。 雨なんか降った日にゃ、思いっきり水を吸い込んで重いのなんの。 ゼ~ンゼン飛びません。 それでも個人では所有することのできないあこがれのボールでした。 いまはいろんなデザインのボールがたくさん売られていて、 しかも価格も昔ほど高くなくてうらやましいです。 ちなみに小僧のあこがれのボールは 去年までのJリーグ試合球だった「テラパス」。 小僧曰く「コンサドーレのボール」なんだそうです。
プロフィール
NAME:PA AGE:AROUND40 BORN IN SHIZUOKA LIVE IN HOKKAIDO
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