金メダル(サッカーバカ6)

2010年02月28日

弟が大会から帰ってきた。
きのうのブログに書いた、唯一メダルのもらえる大会である。

「どうだった?」と聞くと、
青いメダルケースをぽーんと食卓の上に放り投げて、黙って2階に上がっていってしまった。

ケースを開けてみると、中には金メダルが入っていた。

少し遅れて帰ってきた母に、弟のようすが変だと告げると、
「サッカーをやめたい、と言っている。」と言われた。
さらに、「お母さんも止めないよ」と付け加えた。

一体何があったのか。

決勝戦を1-0で勝って優勝した。
こぼれ球を弟が押し込んで決勝ゴールを決めたのだった。
しかし、試合後に指導者からかけられた言葉は「おめでとう」でも「よくやった」でもなく

「お前がなぜあそこにいたのかわからない。得点は単なるまぐれ。」

サッカーは11人でするスポーツ。
もっと言えば、少年団時代の大半を補欠で過ごした兄(私のことです…)を考えれば、
11人以上で戦う競技である。
母も、自分のこどもだけを褒めてほしいとは夢にも思っていない。
(教育熱心で、そういう部分はとくに厳しかった。)

結果として1点も取れなかったセンターフォワードの選手だけがなぜか絶賛された。
決勝点を決めた選手(といっても12歳の小学生)に対して
こんな言葉を選手・保護者全員の前で発して
みんなで笑い者にする神経がまったく理解できないと激怒していた。

弟は少年団卒業を機にサッカーを離れ、全くの門外漢であった野球の道へ進んだ。
戦前に甲子園準優勝した商業高校出身で、自身も球児だった父はこれを歓迎した。

高校では山岳部に入った弟。
さまざまなスポーツを経験したこと、
常に新しい環境で人間関係を構築してきたことが
営業という仕事をしていく上で財産になっているようだ。

サッカーが嫌いになったわけではなかった。
ただ、あのときの一言が許せなかったんだと大人になった彼は言った。

大学の体育の授業では、迷わずサッカーを選んだ。
大阪トレセンの選手をあっさり抜き去って
「さすが静岡や!」
と言われてうれしかったと話していた。

同業種のサッカー大会では、県大会の準決勝まで進み、
「あと一歩でエコパだったのになぁ。」
といいながら、
「3決、エコパのサブGで30㍍のロングを決めてやったぜ。」
なんて自慢された。

そんな弟が仕事中の事故で、右足を骨折した。
治っているはずなのだが、ボールを蹴るたびに激痛が走るという。
お医者さんからは「もうサッカーはできませんね」と告げられた。

「GKでもいいから試合に出たい。」
試合に行く準備をしていた姿を見て、年老いた母は
「本当にサッカーが好きだねぇ。」
と、少しあきれた顔で言っていた。

「ここにもいるよ、サッカーバカが。」と思った。

仕事が忙しくて、なかなか休みも取れないみたいだけれど、
いつか札幌ドームでうまいビールを飲みながら
一緒にサッカーを観たいなぁと思っている。

私が思い出の銀メダルを探していたとき、
小僧にむかって

「俺は金メダルだったぞ。今度探して絶対に見せてやる。」

だって!


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